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自分を嫌いだった私が、月の女神になった話──あの日のドレスが、私を変えた

──ランウェイの闇は、私の過去よりも静かだった。

ミシンの音が響く教室で、 私はいつも、自分の存在が薄くなっていく気がしていた。

誰も私を見ない。 誰も話しかけない。 誰も期待しない。

でも、それは私にとって“救い”だった。


前の学校では、 私は「出来ない子」として見られ続けた。 誰かの視線が刺さるたびに、 胸の奥がぎゅっと縮んで、 息ができなくなった。どう思われているんだろう。どう答えるのが正解なんだろう。好かれたいとは特に思ってないけど嫌われたくない。その事だけが、心を支配して、気がつけばその卑屈さが、余計に周りを苛立たせた。

髪を切った。長い髪がちゃらちゃらしていてムカつくと言われたからそうした。でも、短くしたら、変に目立って、クラスメートの小野寺君に話しかけられた。小野寺君はカッコいい。クラスメートはみんな、彼を中心に回っている。陽気で派手で、勉強も出来るのに、顔まで良い。だけど。だからこそ、みんなの前で褒めてもらいたくなかったのに、彼はしつこく私を褒めた。そうやって、小野寺君に注目される様になったら、今度は、髪を切れと言った女子、田中亜理紗が、仲間を引き連れて難癖をつけてきた。

「あんたさあ。自分が可愛いとでも思ってんの??」

バカにするような笑顔で、でも目は笑っていなかった。
「もっと短くして来いよ。お前には禿げ頭がお似合いなんだよ。」

そう言って、彼女たちは私を囲んで、短くなった髪の毛を掴んで揺さぶった。

「痛い、やめて、やめて!」

うるせえな、と罵る田中さんに、為すがままにいたぶられる。そんな私の様子を可笑しそうに小野寺君は見ていた。この人、愉しんでる。私は思った。

「クワガタの尻を、指で、打ち続けると、クワガタって興奮するだろ?そこに、別の虫を入れると、クワガタが怒って、その虫を真っ二つにするんだ。」
小野寺君はそう言って笑った。
「人間の女も変わらねえよな。」ショックだった。

憧れていたのに。私は、動きの鈍い大きな虫で、田中さんは怒り狂ったクワガタだったのだ。私は、田中さんに切られた髪の毛をハンカチで隠して、泣きながら家に帰って、それから、学校に行けなくなったのだ。

好きな人に、人間として見られていなかった。
可愛いと言ってくれた時に、やめてと思いながらも、ドキドキした心臓が憎たらしかった。アイドルのユキちゃんに似ていると言われて、赤くなった自分の頬が、死ぬほど嫌になった。恋なんか二度としたくないし出来ない。一歩も前に進めない。そう思ったけれど、いつか親も死ぬんだし、生活は待ったなしだから、深夜のコンビニで働いてお金を貯めて、ついに。文化服装系の学校に入学することが出来た。収めた入学金は満額ではなかったにしても、両親は、解ってくれた。娘が自分なりに前に進む気持ちになったこと自体を喜んでくれたのだ。

ここには田中さんも、小野寺君も、いない。腐ったスクールカーストが構築されていない。誰も、本当に手元の布を扱うことにしか関心がない。

パターンを引き、マネキンにピンでシーチングという布を留め、形作り、裁断してゆく。立体的に、仕上がっていくその仮縫いしたみんなの布遣いは、魔法の様に見えた。みんな一生懸命だった。他人を苛める暇のある人はどこにもいなかった。いつも課題に負われていたし、それをクリアしてもまた次の課題が待っていた。

だから、 こんな風に誰も私を見ないこの場所は、 初めて“呼吸ができる場所”になってくれて、授業の終わりに顔見知りと紅茶をたまに飲む程度の付き合いしかこのメンバー達と、交流はろくにしていなかったけれど、会話の下手な私は、それもやがて苦手になっていって、結局一人になっていた。仕方ない事だった。

そんなある日、 教室の隅で、一人の男子が黙々と白いコットンブロードの布を縫っていた。あっという間に、プリーツの襟飾りのあるブラウスを縫い上げていく。手際がいい。

彼は、黒髪で、少し猫背の姿勢で、 でもミシンに向かう姿だけは、 誰よりも真剣だった。解らない事は即座にメモに取り、同じ間違いはしない。とても真面目な男の子で、彼は今まで出会ってきたどんな男子とも違っていた。

英次くん。

彼のミシンの音は、 他の誰よりも速くて、 他の誰よりも迷いがなかった。
カタカタではない。ビイィッ。ビイィッ。ミシンがうなりを上げた。
そして、送られる、白い布。縫っているブラウスは2着目に入っていた。

まるで、 何かに追われている様に、彼は縫い上げていた。その何かが、いったい何を示すのかはわからないけれど、たまに疲れて、眠気でうつらうつらしているところからすると、夜も働いている様だった。

ある日、 そんな彼が描いたデザイン画を見てしまった。

そこには、 黒いリボンとレースに包まれた、 月の光の女神のように美しい女の子がいた。私の好きだった少女漫画の、ヒロインも霞む様な輝くばかりの美少女だった。それは、憧れのキャラクターデザイナーの描くような、本格的なアクリル絵の具のイラスト画だった。テイルズ系のゲームは好きだったけど、本当に綺麗で、息を呑んだ。



「ユエちゃん」だよ。

彼はそう呼んでいた。そして顔をクシャっとさせて笑った。

「男が、こんなの、描くなんて、変かもしれないけど。俺の夢の中の女の子だから、綺麗に描いてあげたくて、ファッションイラストも、キャラクターイラストも勉強したんだ。この質感はね、ほんの少し、アクリル絵の具にカラーインクを入れて伸ばすんだ。ルマがいいけど、予算的にドクターマーチン使ってる。そうすると、ほら、透明感が違うだろう?日光には弱いからいつもスケッチブックは、日の当たらない机の引き出しの中に入れているんだけどね。紙は、ちょっと高いけどアルシュを使っているんだ。前は、コットマン・タケ・ブリストルだったけど、紙には、こだわった方がいい。筆も大事だ。弘法筆を選ばずというけどあれは嘘だね。命毛ってあるだろ。筆の先端。安い奴は割れているんだ。それじゃうまく描けない。透明水彩は、試したけど合わないな。コピー機にかけたら色が全部飛んだ。だから、印刷物に強い画材を調べたら、これだったんだ。このチュールの質感、どうだい?自分じゃ中々気に入っているんだけど。あ、ごめん、なんか俺だけ喋ってて。好きなことを語りだすと、止まんなくて。ごめんね。」

その英次君の情熱的な語り口に、聴いていた私は思わず 胸の奥がじんわりと熱くなった。

──こんなふうに、 誰かに懸命に、向き合ってもらったり、憧れてもらったり、つまりは“美しい”と思われてみたかった。

でも、私は知っていた。 そんな願いは、 私には似合わない。

鈍い虫、その自意識が、私に美しい物への憧れを抱くことを怯ませた。
全然違う世界だ。ユエちゃんは夢に生きていて、私はどこまでも現実に生きている。その世界の線は交わることは無い。

そう思っていたのに。

卒業イベントのショーの前日、 英次くんが私に言った。

「静子さん。  君に、ユエの衣装を着てもらいたい。」

世界が止まった。

私なんかが。 私なんかが、あの絵の中の女の子になれるわけがない。
断った。絶対無理だと、かぶりを振った。

でも、 英次くんの目は真剣だった。

「君じゃないと、ダメなんだ」

その言葉が、 胸の奥の何かを静かに溶かした。
誰にもそんな風に選んで貰ったことが無かったから、誰にもそんな風に見つけて貰ったことが無かったから、涙が出た。

嬉しかった。断る理由はいつの間にか、溶け崩れてしまった。

そして私は、 初めて“誰かの夢の中の自分”になった。

鏡を見るまで、英次君は、懸命に私が最大限に美しく見えるようなメイクを施してくれた。緊張をほぐすように彼は、私に話しかけてくれた。

「メイクアップって、いい言葉だよね。自分で、自分自身を作り上げて行くんだ。大丈夫。君は綺麗だよ。俺は、君の美しさをほんの少しだけ引き出すだけなんだ。背中を少し押せば、君は歩き出せる。だって、そうだろう?ここに来るまでに、君がどれだけ真剣だったか、俺には解るよ。その歩き方、とても綺麗だ。背筋も伸びてるし、頭から一本、糸で釣られた様に姿勢が良い。一日じゃ出来ないよね。君は舞台に立てる人だ。ただ、自信が足りなかっただけだ。」

私は嬉しくて涙ぐみそうになった。こんなに私の事をいつも見てくれていただなんて。確かに舞台に憧れてはいた。華やかな衣装を着て、皆の前で、女性である事を誇って、女性である事を謳歌する、そんなモデルの様になりたくて、なれないと知りながらも、ウォーキングを秘かに練習していたのだ。見られたら恥ずかしいから、こっそり、みんなが帰った教室の中で、教科書を頭に載せて、落ちないようにして、大きな全身の映る鏡の前で、ポージングをした。でも恥ずかしくなってしまって、やっぱり無理だし、自分らしくないと思って、諦めようとしていたのに。あの姿を見られていたのかなぁ。嬉しいのに、胸がきゅっとして、どうしようもなく恥ずかしい。

だけど、恥ずかしさの余りに泣き出す私に、英次君は慌てて、

「ちょ、ちょっと待って!ダメだよ!泣いたらメイクが崩れちゃうよ!」

と、マスカラとアイラインを直してくれた。綿棒にリムーバーをつけて、滲んだラインを剥ぎ取る。そして、新たにくっきりとアイラインを引くと、すっかり元通りになった。

「ほら、笑って。じゃあ、こうしよう。今までの嫌な奴なんて、月に代わって何とやらだ!君は。月のお姫様だよ。」

そう言って英次くんは私の大好きな竹内直子さんの漫画のヒロインの決めポーズをして見せた。それを見たら、何だか胸が一杯になった。

「ありがとう…、元気出た。…見て。…足が震えてるの。…私、歩けるかな。」

英次君は、また笑った。
「大丈夫だよ。君はユエちゃん。今から、ユエちゃんなんだよ。」

私は頷いた。強く、強く、思った。私はユエ。

月の女神様。

そして、ファッションショーの輝くばかりのランウェイに、私は足を踏み出す。編み上げのニーハイブーツのヒールの音が、静まり返った空気を切り裂くように響いた。

レースをふんだんに使ったトレーンを靡かせて、ランウェイを闊歩する私は、まっすぐ前を向いた。今まで練習して来た様にすれば良い。私は逃げも隠れもしない。皆に見てもらう。そうよ。もう隠れないわ!

月の光の様に、この闇で輝きを放つから!

そして、ヒールをカツカツと響かせて完璧なウォーキングを繰り出す。そして、舞台の先端、折り返し地点で振り向きざまに、観客に投げキッスをして見せる。そして、腰に手を当てて、セクシーに片足を曲げて、ちらりと流し目を送った。

もうそこには、大きな鈍い虫はいない。

いるのは月の女神、あるいは月のお姫様、ユエちゃん。

一瞬、会場が静まり返った。 そして、息を呑んだ音が聞こえた。

一瞬遅れて、

──どよめきが起きた。

クラスにあんな子いたかしら?

すごく可愛いし、綺麗!

そして、客席から大きな拍手が巻き起こった。

その中に、涙をぼろぼろ零して、両手を振る英次くんがいた。

私は、胸が一杯になって、でも泣かないように頑張って、最後まで完璧に歩き切った。

舞台裏に戻ると、エイジ君が立っていて、その泣いて赤くなった目を見ると、私まで泣きたくなってしまって、ホッとして、嬉しくて、やり遂げたんだと思うと、力が抜けて、自分で自分を支えきれないように思って、縋るように英次君に抱き着いてしまって、顔から火が出た。

そして思わず弾かれるように、私は慌てて離れた。

その位嬉しかった。

そして、英次くんが涙ぐんだまま、にっこりと笑って、私の手を取って、フィナーレに私を連れて行く。万雷の拍手だった。

スポットライトの中、良かったよと言う掛け声が遠くに近くにさざめく様に聞こえる。

二人で作り上げた夢の舞台。

そしてそれは閉幕ではなかった。

新しい世界の幕開けだった。

ーーそして、今。

私はゴシックロリータ専門マガジンの、専属モデルとして活躍している。

ただ、どんなに可愛くて、綺麗な服を着ても。

あの日の英次くんの作ってくれた衣装を超える服なんか、どこにも無かった。

ランウェイを歩いたあの日、 私は確かに、 ユエだった。

そして、 ユエになった私は、 初めて“自分の人生を歩き始めた”のだと思う。

英次のスケッチブック|関口直子  このお話の続きはこちら。


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