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視覚障害のわたしがnoteを始めた理由

 私は、今から約9年前に病気で目が見えなくなりました。そのころからずっとXをやっています。Xを始めたのは、見えない仲間が欲しかったからです。

1、Xを始めた頃の思いとnoteを始めた理由

 Xを始めたのは、見えなくなって、1年もたたないくらい、まだ、看護師として病院で働いていた頃でした。そのころは、どんどんみえにくさが進んでいき、できなくなっていくことばかりで、失っていくものばかりで、未来に不安と絶望歯科ありませんでした。職場でも、私生活でも、眼科病棟に入院していても・・見えないのは私だけ。自分の周りには、視覚障害の人はいませんでした。まるで自分だけが見えない世界に迷い込んだ、そんな気持ちでした。
 そんな時に、ふと、Twitterには視覚障害の人がたくさんいて、色々発信しているらしいという情報を入手しました。そして、まだボイスオーバー初心者であまり上手に使えていないスマホをなんとか捜査して、Twitterを始めました。そして、私の期待通り、Twitterの世界では、見えないのは私だけではありませんでした。
 見えない私の思いに共感してくれる人がたくさんいて、見えない私の困りごとをクリアして生活している先輩たちがたくさんいて、私はひとりじゃなくなりました。Xで視覚障害についてのいろいろな情報を入手し、いろいろな悩みを打ち明けてきました。たくさんの仲間の姿に、何度も励まされてきました。そして、だんだんと、「次は自分が誰かの支えになりたい」と思うようになりました。
 そこから8年くらいの間ずっとXを登校し続けてきており、たくさんの情報発信をし、日々の生活の工夫や日々感じたこと、制度のことなどを投稿してきました。盲導犬のお嬢との生活についても、みんなに知ってほしいことをたくさんつぶやいてきました。Xには、どのくらいの記事を投稿したのかわからないくらい、たくさんたくさん投稿してきました。もう、読み返すのが難しいほどになっています。そこで、そろそろそれらをまとめてもよいのではないかと思い、何か、文章を残していけるものをできたらいいなと思うようになりました。ブログ?note?といろいろ悩みましたが、見えない私でも、シンプルで使いやすそうなnoteに挑戦してみることにしました。これが、私がnoteを始めた理由です。
 ただ、ここには、もうひとつ大切な思いがあります。それが、私がnoteでやっていきたいことです。

2、noteでやっていきたいこと

 私がnoteをやりたい一番の理由は、伝えたい思いがあるからです。それは、「見えなくてもできること・楽しいこと・幸せを感じられることはちゃんとあるから大丈夫!」ということと「ひとりで悩まないでほしい」ということです。
 私は、今年の3月に大学院を修了し、ひとつの修士論文を書きました。テーマは、中途視覚障害についてです。この論文には、見えなくなってからの私の人生の中で感じてきたたくさんの思いを込めています。思いを込めることに注力しすぎて、学術論文というよりも、エッセイに近いものになってしまいましたが、私の伝えたかった思いは、しっかり込められたのかなと思っています。この論文を通して、私が読者に伝えたかったことが、先に述べたあの2つの思いです。これからnoteの中で、論文で書いたことを、少しずつ紹介していければよいなと思っています。

 人生の途中で見えなくなったことで、それまでの人生で築き上げてきた大切なもののほとんどすべてを失いました。天職だと思っていた看護師の仕事、夢や目標、自分への自信、人間関係、社会とのつながり、役割や誇り…見えなくなって本当に多くのものを失いました。


 見えているときと見えなくなった時、何も変わらず同じようにできることってどんなことがあると思いますか?

ちょっと考えてみてください。



 私は、大学などで講義をさせていただくとき、よくこの質問をします。学生さんからは、「人と話をすること」「音楽を聴くこと」等といった答えが返ってきます。

でも、これらは、本当に何も変わらずにできると思いますか?

「人と話をする」

確かに言葉を話すことは、見えなくても変わらずにできます。ただ、私たちは、相手の表情もしぐさも何も見えません。笑っているのか、怒っているのか、つまらないのか…ひどいときは、その場からいなくなっていても気づかずに話続けているなんてこともよくあります。決して、見えていた頃と同じようにではないですよね。

「音楽を聴く」もそうです。機械の操作だったり、音楽を選ぶときだったり…決して見えているときと同じようにはできません。

私が考えるこの質問に対する答えは、

「息をすること」くらいなんじゃないかなと思っています。

前に、同じ質問をXでした時に、「愛すること」「夢を見ること」という答えを返してくださった当事者の方がいて「素敵だな」と思いましたが、私自身は、この2つも、決して同じとはいかないのではないかなと思っています。

 そのくらい、言えなくなるということは、世界を一変させてしまう衝撃の大きな出来事です。

 見えなくなった当時の私は、できないことだらけの自分に完全に自信を失い、自分の人生に絶望し、自分にはもう生きる価値がないのではないかとさえ考えていました。自分は社会の足手まといでしかない、このまま消えてなくなったほうが良いのに…そんなことばかりを考えていました。自分の人生に楽しいとか幸せなことなんてもう二度とこない…心からそう思っていました。ひきこもりや鬱になっていても決しておかしくなかったし、診断を受けていないだけで、鬱にはなっていたかもしれないなと思います。そのくらい、辛く、しんどい日々でした。
 でも、今の私は、決してつらいことやしんどいことばかりの毎日ではありません。見えなくても工夫次第でできることはたくさんあるし、楽しいことも、幸せを感じられることもたくさんたくさんあります。見えない自分の人生も、ちゃんと大切な人生だと思えています。二度と笑える日なんて来ないと思っていたけど、ちゃんと来ています。このことを、ぜひ、今、まさに苦しんでいる人に伝えたいのです。
 見えないという現実に直面することは、本当に衝撃の大きな危機であり、簡単にうけとめられるようなことではありません。もちろん、ひとりで抱えきれるようなことでは決してありません!私自身も、まだまだ、この現実に押しつぶされそうになることがあります。でも、今の私は、「ひとりじゃない」と感じられているので、きっと何とか押しつぶされずに進んでいけるのではないかと思えています。

リアルな世界はもちろん、Xでもnoteでもブログでも、MLでも…とにかく何でもよいので、誰か一緒に現実を受け止める人を持てるようになってほしい。周囲にひとりで苦しんでいる人がいたら声をかけ、手をさしのべてあげてほしい。

 今、まさに苦しんでいる人に、「ひとりで悩まなくていいんだよ」というメッセージを伝えることで、みんなに誰かの温かい手が届くような、そんな世界を目指して、noteや論文を通して、私だからこそできることを見つけていきたいなと思っています。

「ひとりで悩み苦しんでいる視覚障害の仲間を減らすこと」

これが、noteを通して、私がやりたいことです。

その為に、論文で書いたことや私の考え、日々の何気ない幸せ、生活の工夫、見えない私の世界をたくさん伝えていければなと思います。

とても、長い文章になってしまいましたが、最後まで読んで下さりありがとうございます。 私と一緒に、この暖かい社会を作っていきたいというみなさん、ぜひ、スキやコメントで私に勇気をください。皆さんの思いを励みに、これからも頑張って書いていきたいと思います!

そして、よかったら私の修士論文も一部でも良いので読んでいただけると嬉しいです♡

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ナツコ@視覚障害の相談支援専門員 もしも私のnoteを読んで少しでも思いが心に届いたと言う方、私と一緒に見えない仲間たちを応援したいと思っていただいた方は、チップと言う形で応援していただけるととてもうれしいです。ぜひよろしくお願いします。いただいたチップは、視覚障害の支援団体に寄付させていただこうと思います。

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