修験道入門

私の修験道に帯するイメージは、日本古来の山信仰に仏教(主に密教)が結びついたもの、というものです。
最近、オリエンタルラジオの中田敦彦氏によるYoutube大学で「日本の宗教」を興味深く視聴しました。日本の宗教を俯瞰できる、よいレクチャーでした。
しかし、修験道の名前が出てきません。日本宗教史における修験道の位置づけを知りたくて、手元の本「修験道入門」を紐解きました。
前半は修験道の歴史と位置づけ、後半は具体的な修行の説明という内容です。
一読してみて、
・素朴な山神信仰(祖先信仰)ではなく、どちらかというと山岳信仰に近い。
・神道より仏教に近い。
・修験道の実践者である山伏は、寺社と民衆をつなぐ役割を担い、カウンセラー的でもあった。ということがわかりました。
また、昨今よく話題になるマインドフルネスは禅から派生したものと言われていますが、体を動かして五感を研ぎ澄ませていく修験道の修行も同じ要素をはらんでいると感じました。
私には静の禅より、動の修験の方が合っているかも知れないな、しかしもう体が動かない・・・という落ちです(^^)。

<メモ>
・明治時代に山伏は姿を消した。「神仏分離令」(1868年)、「修験道廃止令」(1872年)という政策による。
・修験道は、山を歩くという身体的な行為による修行である。在家・出家の別を問わない。
・「さーんげさんげ、ろっこんしょうじょう」(懺悔懺悔、六根清浄)
・修験道の定義
① 山の宗教である。山そのものが御神体である。山はある種の霊的な力がある。そこの籠もって修行して法力(験力)をえて悟りを開く。
② 実践的な宗教である。山を歩く、滝に打たれる、礼拝する、瞑想するなど、自分の五体を通して実際の感覚を体得することを繰り返し、それによって心を高め悟りを目指す。山で験力を得た修験者は、里に降りて護摩を焚き、雨乞いをはじめ憑きもの落としや安産祈願、病気平癒の加持祈祷など、人々の願いに応えてさまざまな実践活動を展開する。
* 修験とは「修行得験」(しゅぎょうとつけん、実際に自分の体を使って修め、行じていく)あるいは「実修実験」の略語。
③ 神仏和合の宗教である(神は仏の化身→ 権現)。仏教を父に、神道を母に産まれた宗教。神仏を分けず、神も仏もともに尊いものとして礼拝する。もともとは自然や山岳を怖れ敬うといった信仰風土に、仏教的行法が入って成立した。さらには、中国の道教や陰陽道など様々な外来の要素も吸収され、やがて庶民の間で広く行われた加持祈祷などが加わった。
大峰奥駈(おおみねおくがけ);吉野修験で欠かせない大峰山脈の山奥を駈ける修行で、1日12時間くらい、雨が降ろうが槍が降ろうが、決められた行程を黙々と歩む。古来日本人は、山だけではなく岩や樹木も「神の依代」として崇めてきた。神道には八百万の神々がいて、常に神様に見守られているため、「神様に恥じることのない生き方をしよう」というのが生活規範になっていた。そのような神道の国に6世紀頃、仏教が伝来した。日本には元々八百万の神々というおおらかな宗教観があったため、仏様は、いわば新しい神様として受け入れられ、仏のことを「今来(いまき)の神」と呼んだ。
④優婆塞(在家)の宗教である。役行者自身も出家していない。
* 仏教の四衆(ししゅ):出家の男性修行者を比丘(びく)、女性修行者を比丘尼(びくに)、在家の男性修行者を優婆塞(うばそく)・女性修行者を優婆夷(うばい)と呼ぶ。
・修験道の成り立ち
神仏への礼拝以前にあった、日本ならではの山岳信仰がベースとなっている。古来、動物や木の主である山の神が山中に存在すると信じられ、山の神は農耕を守る水分神(みくまりのかみ)、のちには祖神(おやがみ)として麓に祠をつくって崇めた。
そのうち、役小角(えんのおづぬ)を代表とする山に籠もって修行するものたちが現れた。さらに最澄・空海が伝え平安時代から盛んになった密教とも結びつき、山岳修行によって験力を修めて加持祈祷の力を持ったものが修験者と呼ばれるようになった。そのうち、修験者に導かれる霊山詣が盛んになった。
・修験者にとっての山
修験者達は山を神仏や祖霊がおわす世界であると考え、畏れを持って仰ぎ見た。山には聖なるものが存在し、そこに入って大自然と同化し、山の霊気をいただいて修行した。日本の古き山岳信仰に、神道や、外国から入ってきた仏教、道教、陰陽道などが習合して成立したのが修験道であり、山伏の宗教である。
・山に対する意識:欧米人と日本人の違い
欧米では森や山には悪魔が住むと見なされていた。西洋登山は二百数十年前に始まった新しいもの。キリスト教などでいうところの「神」は自然の中には存在しない。神は自然を創造したが、自然と同化してはいない。神は常に自然の外にいる唯一絶対者である。その絶対の神と契約した人間にとって、自然は神から与えられたものとされている。神との契約により、自然をどのように切り取ってもよい、意のままに扱ってもよい、という論理。これはキリスト教精神を基層とした欧米人の文化である。欧米の森のほとんどは、一度切り取ったあとに新しく植えた森、つまり悪魔を追放して住み取った森である。一方、日本人にとっての森は、そのものが聖なる存在である。その目線の中で、森は神仏のおわします場所として本来の姿を生かしながら大事に守られてきた。
・修験者が修行で身につける力(法力、験力)(災いを除く力)(病を治す力)
山伏は、生薬・漢方薬などに精通していて、それらを調合して「なんでも治る魔法の薬」(例:陀羅尼助、だらにすけ)のようなものをつくるのが得意とされた。また、護摩供(ごまく)や諸尊法(しょそんぽう)など密教にも通じ、その他、疳の虫封じや熱冷ましなどといったまじないの類いや民間療法にも詳しく、いろいろな病者の加持なども行った。(前世を知る力)宿命通(他人の心中を知る力)他心通(空を飛ぶ力)逸話は残っているが未確認。現実的には「険しい山をものすごく早く走れる」能力(神足通)とも考えられる。

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