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葛飾北斎「富嶽三十六景」にまつわる、いくつかの小さな逸話

葛飾北斎の《富嶽三十六景》は、
いまでは世界的に知られる名作ですが、
描かれた当時から「特別扱い」されていたわけではありません。

むしろ、このシリーズには
少し不思議で、少し人間くさい逸話がいくつも残っています。

「三十六景」のはずが、四十六景になった話

タイトルは《富嶽三十六景》。
ですが、実際に制作されたのは 全部で46図 です。

最初に36図を発表したところ、
予想以上に評判がよく、追加で10図が描かれました。

今でいうなら、
「反応がよかったので、シリーズ化した」
そんな感覚に近いかもしれません。

北斎が描いた富士山は、必ずしも“正面”ではない

《富嶽三十六景》に描かれている富士山は、
どれも雄大で、完璧な姿に見えます。

ですが実は、
北斎は富士山を主役にしない構図を多く使っています。

・橋の下から見える富士
・大波の奥に小さく見える富士
・町や人の営みの背景としての富士

富士山は「見せたいもの」ではなく、
そこに“在るもの”として描かれていることが多いのです。

実は「青」が新しすぎた

《富嶽三十六景》が当時として革新的だった理由のひとつに、
**プルシアンブルー(ベロ藍)**の使用があります。

これは江戸後期に入ってきた輸入顔料で、
それまでの藍よりも発色がよく、色あせしにくいものでした。

つまりこのシリーズは、

・伝統的な木版画
・最新の海外顔料

を組み合わせた、
かなり実験的な作品群でもあったのです。

北斎は「昔ながら」にこだわる人ではなく、
新しい技術を面白がって使う人でした。

北斎自身は、このシリーズをどう思っていたのか

意外なことに、
北斎が《富嶽三十六景》を
「自分の最高傑作だ」と語った記録は残っていません

《富嶽三十六景》を描いたのは、70代前半。
北斎自身にとっては、
まだ「途中」だったのかもしれません。

それでも、いま私たちはこの絵を見ている

北斎は、
世界的な評価も、後世の称賛も知りません。

それでも、
日常の風景を、
人の営みを、
富士山のある景色を描き続けました。

完成形を知らないまま描かれた絵が、
200年後もこうして見られている。

もし、
この話を読んで、
浮世絵を少し身近に感じてもらえたら。

それだけで、十分です。

このnoteでは、カメラを持って各地を歩いた記録と、
そこで出会った風景や文化を手がかりに、
浮世絵を現代のデザイン実務で使える素材として
再構築する活動をまとめています。

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