【コラム】「人を殺しかけても執行猶予」という日本の奇妙な交通倫理 —— 法の温情と、路上の生贄たち


世間には「飲酒運転撲滅」という標語が、まるで呪文のように街角の看板やポスターに踊っている。警察機関や啓発団体が熱心にキャンペーンを展開する姿は実に微笑ましいが、実務的な現実を見渡せば、そのお題目がどれほど空疎な幻影に過ぎないかがよくわかる。

先日も、酒を呑んでハンドルを握り、人間を撥ね飛ばし、恐怖のあまりネズミのように現場から逃走した男のニュースがあった。のちに自首し、職を失い、退職金もフイになったという。ここまでは社会的な報いとして順当なシナリオに見える。しかし、司法が下した決断は「執行猶予」であった。

重罪を犯しながらも、しばらくの間「真面目な人間」を装っていれば刑務所に収監されることもなく、やがて法的なペナルティは期間満了とともに消えていく。残された被害者やその家族の日常は永遠に破壊されたままであるにもかかわらず、加害者には「反省の機会」という手厚い温情が与えられる。

これほどの「甘やかし」が制度として確立されている国で、一体どうやって飲酒運転を撲滅しようというのだろうか。理念と制度のあまりの乖離に、失笑を禁じ得ない。

「先進の安全技術」に甘やかされたドライバーたちの醜態

筆者は日常的にロードバイクに跨り、車道を走る身である。それゆえ、路上を蠢く自動車の生態系を誰よりも間近で観察している。

近頃の自動車の挙動は、控えめに言っても異様である。酒を呑んでいるか否かにかかわらず、加速性能に優れ、先進の運転支援システムを搭載した現代の車に乗り込んだ途端、自らの身体能力が高まったと錯覚するドライバーが後を絶たない。車線を大幅にはみ出し、ノーマナーで突っ込んでくる鉄の塊たち。事故統計のグラフでは「安全技術の向上により事故件数は減少傾向」と誇らしげに語られるが、実態は「技術が低レベルなドライバーの殺意を間一髪でカバーしているだけ」ではないのか。

車載システムという過保護な補助輪に守られ、スマートフォンを注視しながら漫然と運転する人々。仮に事故を起こして人間を跳ね飛ばしたとしても、この国では「反省」の二文字と引き換えに実刑を免れるルートが用意されているのだから、緊張感など生まれるはずもない。

「やっている感」という名の官僚主義

他方で、近頃鳴り物入りで導入された自転車の「青切符」制度にも目を向けてみよう。

街を巡回するパトカーを見かける機会は多い。だが、あれは警察組織による厳格な法執行の姿勢なのだろうか。あるいは単に、ガソリンと貴重な勤務時間を浪費しながら「我々は巡回している」というパフォーマンスを演じているだけなのだろうか。

違反を抑止するための実効性のある取り締まりは後回しにされ、メディア受けの良いパフォーマンスばかりが優先される。子ども騙しのパフォーマンスで仕事をした気になっている行政の姿勢は、児戯に等しいと言わざるを得ない。

法律は弱者を守るために存在するのではないのか。それとも、ハンドルを握る加害者の「社会復帰」を手厚くサポートするために存在しているのか。

本日も路上では、高度な安全技術に守られた身勝手な車が、命懸けで車道を走る弱者をかすめて走り去っていく。日本の交通倫理というものは、恐ろしく「緩い」温室の中で、静かに崩壊を続けている。


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