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反復・沈降・無名性──Andrew Weatherall/Blood Sugarの構造

第一章|Andrew Weatherallと“Blood Sugar”──逸脱の名で束ねられた試み

Andrew Weatherallという名前を聞いて、あなたがどこに反応するか。それは『Screamadelica』かもしれないし、Sabres of Paradiseかもしれない。あるいは後年の『A Love From Outer Space』かもしれない。彼の活動には、入口がいくつもある。だが、もし“Blood Sugar”という言葉で彼を思い出す人がいたら、その人はもうかなり深いところまで潜っているはずだ。

“Blood Sugar”とは、Andrew Weatherallが1990年代半ばから後半にかけて展開した複数のプロジェクトに共通して現れる名義である。主なものは以下の三つに分類される。

  • David Harrowとの共作による音楽ユニット「Blood Sugar」名義での録音活動

  • ロンドン・ショーディッチのクラブ〈Blue Note〉で1996年から1997年にかけて開催された定期イベント「Blood Sugar」

  • 1996年から2001年にかけて制作されたスタジオ/ラジオ用のDJミックスシリーズ「Bloodsugar」

これらはいずれも名称としては同一だが、活動の内容・形式・意図は異なる。それでもこの3つを束ねるキーワードとして“Blood Sugar”が共有されていたのは、彼にとってこれが一種の美学的な実験領域を象徴するコードだったからだと考えられる。

Weatherallはこの時期、音楽的な分岐点に立っていた。1991年、Primal Screamの『Screamadelica』を手がけたことでシーンの寵児となった彼は、以降のキャリアにおいてあえて表舞台から距離を取り、より内省的で、より匿名性の高い実験的プロジェクトへと軸足を移していく。Sabres of Paradiseの解散後には、Two Lone SwordsmenやLords of Affordなどのプロジェクトを並行して展開し、ハードエッジなテクノと、抑制されたダブやエレクトロニカの狭間で揺れる音楽的志向を深化させていった。

この文脈において「Blood Sugar」は、ある種の“逸脱”として存在していた。プロジェクトとしての持続性は短く、リリースもわずかにとどまる。しかし、そこに刻まれていたのは、Weatherall自身が時代の趨勢とは異なる場所で、新たなグルーヴを探し続けていたという事実である。

実験性、匿名性、脱構築、そして遅さと曖昧さ。Blood Sugarは、90年代後半という加速と過剰の時代において、逆方向へと音を突き進めた稀有な試みだった。それは音楽ジャンルではなく、思考の構造であり、態度の記録である。

第二章|プロジェクトとしての“Blood Sugar”──Weatherall & Harrowによる音の実験場

「Blood Sugar」は、Andrew WeatherallとDavid Harrowのコラボレーション・ユニットとして1995年ごろに始動したプロジェクトである。元々はロンドン〈Blue Note〉でのクラブイベント名として用いられていたこの名称が、やがて音楽制作における別名義としても機能するようになった。

このユニット名で最初にクレジットされた作品は、グラスゴーの〈Soma〉からリリースされたPercy Xのリミックスである。1995年に発表されたこの楽曲では、初期Weatherallの持ち味だった荒々しいブレイクビーツを抑制し、クラシックなデトロイト・テクノに接近した整ったミックスを提示している。

唯一の正式なスタジオ作品として残されているのが、1996年に〈Emissions Lo-Fi〉からリリースされた12インチEP『Levels』である。赤と白の二色のヴァイナルで構成され、全5曲を収録。この作品は当時ほとんどプロモーションが行われず、流通量もごく限られていたため、現在ではコレクターズアイテムとして高値で取引されている。

収録曲のうち、「Sextrafiction」「Dirty List」「Highly Skilled」「Skratchy」「Thee Night Before」などはいずれも明確なブレイクポイントやメロディを排した構造で、空間的エフェクトとベースラインの反復が軸となっている。とりわけ「Highly Skilled」や「Skratchy」においては、クリック的なパーカッション、湿度の高いダブ処理、エコーやヒスノイズの使用が顕著である。

また、WeatherallとHarrowが当時使用していた機材として、Emu SP-1200やAkai S950、Ensoniq系エフェクターなどが挙げられており、これらのローファイな質感がサウンド全体に与える影響も大きかったとされる。

『Levels』の音楽性は、同時代のBasic ChannelやChain Reactionなどに通じるダブ・テクノ文脈に位置づけられることが多いが、Weatherall独特の粘度ある質感、曖昧な拍感、構造を持たないループ性などが他のミニマル・ダブ作品と異なる印象を与える。いわば「クラブ機能を削ぎ落としたポスト・テクノ」としての側面が強く、当時のUKダンスミュージックにおいては極めて異質な作品群であった。

加えて、Weatherall自身がこの時期「グランドなアマチュアリズム(glorious amateurism)」という言葉で自らの音楽観を語っていたように、Blood Sugarの制作姿勢には実験的かつ反商業的な精神が一貫して流れていた。売れることを意識せず、あくまで自身の感覚と耳を頼りに音を構築する――その徹底したアンダーグラウンド性こそが、このプロジェクトの最大の特徴である。

総じてBlood Sugar名義の作品は、Two Lone Swordsmenの活動と並行する形で、より深く、より内省的な領域への探求として機能していた。クリック音、無響音、曖昧な拍、意図的な非機能性――それらは「ダンスミュージック」というフォーマットの限界を突き崩す試みであり、Weatherallが音楽そのものを“再設計”しようとしていたことの証でもある。

第三章|“Blood Sugar”@Blue Note──音が空間を支配する夜

1996年、Andrew Weatherallはロンドン東部ショーディッチの地下クラブ〈Blue Note〉で、新たなレジデントイベント「Blood Sugar」をスタートさせた。これはそれまでのSabresonicシリーズの後継的な位置づけにありつつ、音楽性と雰囲気の両面で大きく方向転換された実験的なクラブナイトである。

パーティは月1回、金曜最終週の開催で、1996年から1997年にかけて全13回で終了。主催者であるWeatherall自身が「やるべきことはやり尽くした」と語ったとされるように、このイベントは意図的に短期集中で完結されたプロジェクトだった。

音楽的には、Sabresonic期の攻撃的なインダストリアル・テクノ路線から一転し、Blood Sugarでは「より遅く、より深く、より内省的な」グルーヴが追求された。ディープハウス、ダブ、ヒップホップ、ミニマルテクノといったジャンルがテンポを抑えて交差する空間は、当時主流だったハードテクノやプログレッシブハウスに対する明確なカウンターとして機能していた。

この夜のレジデントDJはWeatherall、Alex Knight、Rick Hopkinsの3人で構成されていた。Knightは〈Sabres of Paradise〉のスタッフとしても知られ、4つ打ちミニマル的なグルーヴを中心にプレイ。一方Hopkinsはヒップホップ出身で、ウォームアップではMobb DeepやJ Dilla系のインストを多用するなど、当時のUKクラブイベントでは珍しいヒップホップ的導入でフロアを湿らせていた。

ゲストDJにはDavid Holmes、Dr. Bob Jones、Grand Centralクルー、Rub-A-Dubチームなどが名を連ねたが、基本的にメインフロアを支配していたのはレジデント陣であり、空間全体のトーンとリズムは彼らによって一貫して制御されていた。イベントの構造自体が、「ウォームアップ」「ビルド」「崩壊」という3段構えで設計されており、それが毎回の展開として機能していたという。

Blue Noteの地下フロアはキャパシティこそ小さいものの、音響的には極めて特異な場だった。煉瓦の壁、低い天井、過剰な湿度。音は拡散せず、滲むように広がる。光量も最低限で、音が空間を塗り替えるように鳴るその場は、「音楽が身体ではなく空気を支配する」体験そのものだったと証言されている。

ケミカル・ブラザーズのEd Simonsがこのイベントを訪れ、WeatherallがReel Houze「The Chance(DJD’s Dubplate Re-Dub)」をプレイした瞬間、あまりの衝撃を受け、Simonsはその後レコードを後日必死に探し当て、この曲を「Heavenly Social」でのプレイにおいて秘密兵器のように用いたとされているというエピソードは有名である。

パーティ終了後の影響は小さくなかった。Rick HopkinsやAlex Knightは後年この場を「人生で最も重要な現場だった」と語っており、またイベントの終了にあたってWeatherallは「やりきった」という姿勢を崩さなかったという。これは、単なるクラブナイトというよりも、空間と身体と音の関係を問い直すラボのような場であったことを示している。

続く章では、この空間体験を録音物として再構築しようとした試み――ミックスシリーズ「Bloodsugar」へと視点を移す。

第四章|“Bloodsugar”ミックスシリーズ──録音された夜の記憶

クラブイベント「Blood Sugar」が終焉を迎えた後も、Andrew Weatherallはその精神を引き継ぐ形で、同名義によるDJミックスシリーズを継続していく。1996年から2001年にかけて、彼は「BloodSugar」のタイトルを冠した一連のスタジオ/ラジオミックスを制作した。これらは《BloodSugar 1》から《BloodSugar 7》まで、明確にナンバリングされた音源として現存しており、プロモーション用CD-Rで配布されたものやラジオ放送を録音したものなどが、現在もDiscogsやMixcloud、YouTubeなどを通じて確認されている。

シリーズ全体に共通するのは、クラブイベント期と同様、ディープでミニマルなグルーヴを基調とした選曲である。音数は少なく、低音域を中心としたサウンドデザインが際立ち、Basic ChannelやChain Reaction、Mille Plateaux、Force Tracksといった当時のヨーロッパ電子音楽レーベル群の影響が濃く反映されていた。

たとえば、1998年に制作された《BloodSugar 3》では、PoleやGrammなどの音源を交えつつ、リズムを解体しながら構造的に再構築するような、マシン・ファンク的深層を探るミックスが展開されている。一方、2000年リリースの《BloodSugar 5》では、クリックノイズ、サブベース、ダブエフェクト、無音の間合いを軸にした構成が目立ち、テクスチャとしての音響処理が前面化している。選曲にはGramm「Ment」やPole「Spass」、Kid606「Together」、Arovane「Plnt」、Crane A.K.「Scheitelmodul」などが含まれ、当時隆盛しつつあったグリッチ/マイクロハウス的文法が大胆に導入されていた。

シリーズ終盤、2001年の《BloodSugar 7 – The Final Chapter》は、それまでの探求を集約するような内容となっており、テンポを落としつつ、深い空間処理と断片的なリズムの反復によってトリップ感覚を演出する。冒頭のReadymade FC「I'd Like To Hear This」から、Kid606「Together」へとつなぐ導入部にその美学が象徴されている。

このような一連のミックス作品において、Weatherallは常にトレンドの先を行く視座を保ち続けた。クラブイベントにおける実践的知見をミックス作品へと転写し、90年代後半〜2000年代初頭の電子音響表現に対して独自の応答を示した点で、「BloodSugar」シリーズは彼のDJキャリアの中でも特異な存在である。長尺の持続的グルーヴ、細密な音響処理、そして実験性を内包したそのスタイルは、後のA Love From Outer SpaceやFabric 19へと連なる「遅く、深く、低く」潜航するサウンドの原点と見なすことができる。

第五章|時代背景と文化的文脈:90年代後半UKクラブシーンにおける「Blood Sugar」

「Blood Sugar」プロジェクトおよびクラブイベントが展開された1995年〜2001年という時期は、イギリスのダンスミュージックとクラブカルチャーにおいて、大規模化と細分化が同時進行した変革期であった。

レイヴカルチャーの勃興(1988〜1992)から数年を経て、90年代中盤にはジャンルが多極化し、ハードコア、ジャングル、プログレッシブ・ハウス、UKガラージ、トランス、ビッグビートなどが並立する状況が生まれていた。特にトランスやプログレッシブ勢はCream、Gatecrasherなどのスーパークラブに集い、マス・オーディエンスを獲得していた一方で、より実験的なサウンドを志向する地下パーティも各地で胎動していた。

Andrew Weatherallは、そうした二極化において明確に後者の立場を取った存在である。彼は1991年のPrimal Scream『Screamadelica』の成功によって広く知られる存在となったが、その後のキャリアにおいては一貫してメインストリームから距離を取り、暗く沈降したサウンドへと向かっていった。Sabres of Paradise、Two Lone Swordsmenといったプロジェクトはいずれも、ダンスフロアの快楽性を保ちながらも、実験性と音響への探求を深めていく路線を取っていた。

「Blood Sugar」が開催されたBlue Noteは、そうしたアンダーグラウンド志向の実験場として、90年代後半ロンドンの象徴的な空間であった。Goldie主催の「Metalheadz」や、Talvin Singhの「Anokha」といったイベントと並び、ジャンルや文化的出自の異なるプレイヤーたちが交差する現場であり、Weatherallはこの文脈において、ディープハウスとダブテクノの接点を探る「逆行的試み」を提示していた。

特筆すべきは、その選曲・演出が2000年代のミニマルテクノ隆盛を先取りしていた点である。Blood SugarではBasic Channel、Rhythm & Soundなどの音源が積極的にプレイされ、テンポを落とし、反復と残響を重視するサウンドは、のちにRicardo Villalobosらが象徴する「マイクロ/ミニマル・ムーブメント」の美学を早くも体現していた。

さらに、ヒップホップやファンク、エレクトロ、ジャズといった要素を自在に行き来するクロスジャンルな構成も、当時としては珍しかった。それは80年代末のBalearic的精神の継承でもあり、ジャンルに拘泥しないDJ哲学の具現であった。

このように、「Blood Sugar」は特定のジャンルや潮流に依拠せず、むしろそれらを俯瞰し、再構成するプラットフォームとして機能していた。90年代後半のUKクラブカルチャーが拡大と停滞を繰り返す中で、Weatherallがその中心で提示していたのは、「深度のある音の選択」そのものであった。

第六章|Weatherallのキャリアにおける位置付けとUKクラブシーンへの影響

Andrew Weatherallにとって「Blood Sugar」の時期は、キャリア中盤における転機の一つである。彼は1990年代前半、Primal Scream『Screamadelica』のプロデュースを通じて広く名を知られるようになり、同時期にDJとしても世界的な注目を集める存在となった。しかし、商業的成功が訪れたその直後から、Weatherallは意図的にメインストリームから距離を取り、よりアンダーグラウンドで探求的な路線へと進んでいく。

その動きの第一歩が「Sabres of Paradise」(バンド/レーベル/イベント)であり、続いて始動したのがTwo Lone Swordsmen、そしてその狭間に位置するのが「Blood Sugar」だった。Blood Sugarはプロジェクト、イベント、ミックスという三つの異なるかたちで構成されているが、いずれも共通しているのは、Weatherallが当時強く関心を寄せていた「ダブ」「エレクトロニクス」「ミニマリズム」を軸とした深い音響的探求である。

クラブイベントの面で言えば、Blood Sugarのパーティは月1回・全13回という短期間で幕を閉じたものの、その濃密な内容と参加者の記憶の中に残った熱気は、後年の数多くのパーティ設計に影響を与えている。特に、レジデントを重視し、夜の構成全体に一貫した美学をもたせるという設計思想は、2000年代以降のロンドンのクラブFabricや、ベルリンのBerghainといったクラブ文化の中核にも共鳴する姿勢である。

レジデントDJのRick HopkinsやAlex Knightは、Blood Sugar終了後も各地でパーティ運営やDJ活動を継続し、Weatherallの哲学を受け継いだスタイルを展開した。また、Blood Sugarにゲスト出演したDavid Holmes、Grand Central周辺の面々(例:Mr. ScruffやAim)なども、ジャンルを横断しながら物語性のあるセットを組むDJとして成長していく。

さらに、Weatherall自身が並行して関わっていたパーティ「The Social」(Heavenly Sunday Social)は、The Chemical Brothers(当時はDust Brothers)がレジデントを務めたことで知られ、ブレイクビート/ビッグビートの震源地の一つとなる。その中でも、Blood SugarでかけられたReel Houze「The Chance (Dubplate Re-Dub)」がSocialの定番曲として愛され続けたように、Weatherallが提示した音の断片は後続のシーンに静かに拡散していった。

2004年には、彼はFabricのミックスCDシリーズ第19弾『Fabric 19』を担当する。この作品では、ポストパンク、エレクトロ、テクノ、ダブといった複数の系譜が縦横に交差し、まさにBlood Sugar期に確立された選曲哲学が、さらに発展した形で提示されている。

このように「Blood Sugar」は、Weatherallのキャリアの中でも特に“実験と浸透”の位相にあたり、彼自身の探求精神が純度高く記録された時期であると同時に、その精神を次世代に伝播させる媒介でもあった。

第七章|現代シーンへの継承と再評価:「Blood Sugar」の持つ意義

Andrew Weatherallが2020年に急逝した後、彼の音楽的遺産の再評価が進むなかで、「Blood Sugar」もまた、再発見されるべき重要な試みとして注目を集めている。それは単なる過去のイベントやプロジェクトにとどまらず、今日のDJカルチャーやクラブミュージック制作に対しても多くの示唆を与える存在である。

第一に挙げられるのは、低BPM文化の先見性である。Blood Sugarでは、当時の主流であった高速ハードテクノに対抗するかのように、ディープでスロウなダブ・テクノやハウスを中心とした選曲が貫かれていた。Weatherallが後年、Sean Johnstonとともに主宰した「A Love From Outer Space(ALFOS)」では「122BPMを超えない」をコンセプトとしていたが、すでにBlood Sugarでその美学の原型は現れていた。

現代のクラブシーンでは、こうした「ゆるやかなテンポによる恍惚感の演出」が再評価されており、ALFOSの影響を公言する若手DJも増えている。Blood Sugarで試みられたグルーヴの設計は、まさにその原点のひとつである。

次に重要なのは、ジャンル融合と選曲哲学の示唆である。Blood Sugarではヒップホップ、ジャズファンク、ディープハウス、テクノ、エレクトロ、ダブなどが混在していたが、それらはバラバラではなく、レジデントDJの構成や夜の流れに応じて有機的に配置されていた。Spotifyのプレイリスト文化に代表されるように、現代では多ジャンル横断的な選曲が当たり前になっているが、問題はその文脈設計の巧拙にある。Weatherallのように一夜の流れを通じて文脈を提示できるDJは、今なお少数であり、彼の実践から学ぶべきことは多い。

また、DIY精神とアンダーグラウンド志向の象徴としての意義も大きい。Blood Sugarは商業性をほとんど持たず、告知も限定的、会場も狭小だったが、それでも伝説的なイベントとして語り継がれている。これは「どれだけ大きな場でプレイするか」よりも、「どれだけ深く共鳴する体験を生み出すか」が重要であるという事実を示している。現代において、SNSフォロワー数や再生回数に左右されがちな音楽活動に対し、Weatherallの姿勢は強いカウンターである。

最後に、「Blood Sugar」はWeatherallの中期キャリアを象徴する企画でありながら、後の活動――たとえば『Fabric 19』や『A Pox on the Pioneers』といった作品群、あるいはALFOSのような晩年のクラブナイト――とも強く連続している。つまり、彼の哲学や美学の基礎が最も凝縮されたのがBlood Sugarであり、そこに立ち返ることでWeatherallというアーティストの全体像をより深く理解できるのである。

その意味でも、「Blood Sugar」は単なる過去の遺産ではなく、現代に生きるクラブカルチャーのための教則/参照点として、いま改めて光を当てるべき対象だと言えるだろう。

第八章|おわりに:Weatherallと「Blood Sugar」が遺したもの

Andrew Weatherallによる「Blood Sugar」プロジェクト、および同名義のイベントやミックス群は、1990年代後半のUKクラブ文化の中で、他に類を見ない存在感を放っていた。ディープで実験的、かつ抑制の効いたサウンドを追求する一方で、それは明確にダンスフロアと繋がる意思を持っていた。反復、沈降、空間性。そこにはWeatherallが終生探求し続けた「音の在り方」が刻み込まれている。

あらためて振り返れば、Blood Sugarは彼のキャリアにおける「中間点」であり、エッジからエッジへの遷移を繋ぐ橋のような存在だった。Primal Screamの成功後にあえて主流から退き、Sabresonicの過激性を経て、よりミニマリズムとダブに傾倒していったこの時期は、Two Lone Swordsmenや後年のHaywire、ALFOSにも直結する起点である。

その意味で、「Blood Sugar」はWeatherallの全キャリアの中でも最も意識的に自らのDJ哲学を組み上げた時期と見ることができる。レジデント制度へのこだわり、遅いBPMでの身体性の再構築、クラブ空間における親密性の重視、そして何より、音楽を“万人のもの”にせずに、深く信じられる少数と共有するという姿勢。それらは今日のように即時性や拡散性が重視される時代において、いっそう重みをもって響く。

Weatherallの生前の口癖に、「Music's Not For Everyone(音楽は万人のものじゃない)」という言葉があった。この言葉は、彼が着ていたTシャツに印字されていたものとしても知られている。それはただのニヒリズムではなく、「深く繋がる人たちとの信頼に基づいた文化の構築」という彼なりの理想の表現だったのではないか。

「Blood Sugar」という名の下に生まれた音楽、パーティ、ミックスは、すべてがこの姿勢に貫かれている。流行に迎合することなく、時に誤解され、忘れられかけながらも、なお地下で息づく文化の証左として、私たちはこれを掘り起こし、聴き直し、語り継いでいく必要がある。

Andrew Weatherallが蒔いた種は、すでに多くの場所で芽吹いている。ジャンルを越えて、国境を越えて、世代を越えて。それはとても静かで、けれども確かな広がりを持っている。
Blood Sugarは、終わってなどいない。

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