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聖書研究の場 | 洗足式・聖餐式 | 恵みの間自己吟味、悔い改め | 生か死の境目のとき


🦉 12月18〜21日アリゾナ州フェニクスにて、TPUSAのフェスがあるみたいでした。その動画の内容をみると、刻々と日曜休業令の準備ができているのを感じます。Saved to Serveミニストリーでは、洗足式・聖餐式がこの安息日(12月27日)が最後の聖餐かもしれないと言っていました。その意味については、動画、動画の概要、聖書、預言の霊(証の書)、参考記事などを用いて学んでみてください。
 聖書と証の書を通して、キリストと12弟子たちの最後の晩餐の情景がもっと分かりやすいと思います。
キリストの生涯、特にバプテスマを受けた後3年半のキリストの品性、行動(模範)と天来の教師を深く追い求めてください。
今後、生と死の境目にあるという状況を理解し、正しい(神の側に立つ)選択をすることを切に願います🙏

ルカによる福音書22章
14節 時間になったので、イエスは食卓につかれ、使徒たちも共に席についた。
15節 イエスは彼らに言われた、「わたしは苦しみを受ける前に、あなたがたとこの過越の食事をしようと、切に望んでいた。
16節 あなたがたに言って置くが、神の国で過越が成就する時までは、わたしは二度と、この過越の食事をすることはない」。
17節 そして杯を取り、感謝して言われた、「これを取って、互に分けて飲め。
18節 あなたがたに言っておくが、今からのち神の国が来るまでは、わたしはぶどうの実から造ったものを、いっさい飲まない」。
19節 またパンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。
20節 食事ののち、杯も同じ様にして言われた、「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である。
21節 しかし、そこに、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に食卓に手を置いている。
22節 人の子は定められたとおりに、去って行く。しかし人の子を裏切るその人は、わざわいである」。
23節 弟子たちは、自分たちのうちだれが、そんな事をしようとしているのだろうと、互に論じはじめた。
24節 それから、自分たちの中でだれがいちばん偉いだろうかと言って、争論が彼らの間に、起った。
25節 そこでイエスが言われた、「異邦の王たちはその民の上に君臨し、また、権力をふるっている者たちは恩人と呼ばれる。
26節 しかし、あなたがたは、そうであってはならない。かえって、あなたがたの中でいちばん偉い人はいちばん若い者のように、指導する人は仕える者のようになるべきである。
27節 食卓につく人と給仕する者と、どちらが偉いのか。食卓につく人の方ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、給仕をする者のようにしている。
28節 あなたがたは、わたしの試錬のあいだ、わたしと一緒に最後まで忍んでくれた人たちである。
29節 それで、わたしの父が国の支配をわたしにゆだねてくださったように、わたしもそれをあなたがたにゆだね、
30節 わたしの国で食卓について飲み食いをさせ、また位に座してイスラエルの十二の部族をさばかせるであろう。

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ヨハネの福音書13章
2節 夕食のとき、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていたが、
3節 イエスは、父がすべてのものを自分の手にお与えになったこと、また、自分は神から出てきて、神にかえろうとしていることを思い、
4節 夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、
5節 それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。
6節 こうして、シモン・ペテロの番になった。すると彼はイエスに、「主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか」と言った。
7節 イエスは彼に答えて言われた、「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう」。
8節 ペテロはイエスに言った、「わたしの足を決して洗わないで下さい」。イエスは彼に答えられた、「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる」。
9節 シモン・ペテロはイエスに言った、「主よ、では、足だけではなく、どうぞ、手も頭も」。
10節 イエスは彼に言われた、「すでにからだを洗った者は、足のほかは洗う必要がない。全身がきれいなのだから。あなたがたはきれいなのだ。しかし、みんながそうなのではない」。
11節 イエスは自分を裏切る者を知っておられた。それで、「みんながきれいなのではない」と言われたのである。

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ヨハネの福音書13章
21節 イエスがこれらのことを言われた後、その心が騒ぎ、おごそかに言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」。
22節 弟子たちはだれのことを言われたのか察しかねて、互に顔を見合わせた。
23節 弟子たちのひとりで、イエスの愛しておられた者が、み胸に近く席についていた。
24節 そこで、シモン・ペテロは彼に合図をして言った、「だれのことをおっしゃったのか、知らせてくれ」。
25節 その弟子はそのままイエスの胸によりかかって、「主よ、だれのことですか」と尋ねると、
26節 イエスは答えられた、「わたしが一きれの食物をひたして与える者が、それである」。そして、一きれの食物をひたしてとり上げ、シモンの子イスカリオテのユダにお与えになった。
27節 この一きれの食物を受けるやいなや、サタンがユダにはいった。そこでイエスは彼に言われた、「しようとしていることを、今すぐするがよい」。
28節 席を共にしていた者のうち、なぜユダにこう言われたのか、わかっていた者はひとりもなかった。
29節 ある人々は、ユダが金入れをあずかっていたので、イエスが彼に、「祭のために必要なものを買え」と言われたか、あるいは、貧しい者に何か施させようとされたのだと思っていた。
30節 ユダは一きれの食物を受けると、すぐに出て行った。時は夜であった。

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 人はどのようであったら神の前に正しいと言えるでしょうか。罪人はどうすれば義とされるのでしょうか。私どもはただキリストによってのみ神と一致し、清くなることができます。それではどうすればキリストに行くことができるでしょうか。ペンテコステの日に群衆が罪を悟って、「わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と叫んだように、今日、多くの人々は同じ質問をしています。ペテロは、「悔い改めなさい」 (使徒行伝 2:38) と言い、また「自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい」 (使徒行伝 3:19) とも言っています。
 悔い改めとは罪を悲しむことと罪を離れることを含みます。人は罪の恐ろしさを知るまでは罪を捨てるものではありません。心の中で全く罪から離れなければ、生活に本当の変化は起こらないのであります。
 悔い改めの意味の本当にわかっていない人が多くあります。罪を犯したことを嘆き、外面的には改める人もありますが、それはその悪事のために苦しみに会わねばならぬことを恐れるからであります。しかしこれは聖書に教えられた悔い改めではありません。彼らは罪そのものよりは、むしろ罪から来る苦しみを悲しむのであります。エサウが家督の権を永久に失ってしまったと気づいた時の悲しみがそうでした。また、バラムは、自分の行く手に剣をぬいた天使が立ちふさがっているのを見て、命が奪われるのではないかと恐れ、自分の罪を認めたのであります。けれどもそれは、罪に対する純真な悔い改めではなく、目的を全く変えるのでもなければ悪を嫌悪するのでもありませんでした。イスカリオテのユダは主を裏切ったあとで、「わたしは罪のない人の血を売るようなことをして、罪を犯しました」 (マタイ 27:4) と叫びました。
 ユダは、恐るべきさばきと自分の犯した罪のため、自責の念に耐えかねてこういう告白をせずにはいられなかったのでありますが、それは自分の身にふりかかってくる結果を恐れたためで、傷なき神のみ子を裏切り、イスラエルの聖者を拒んだことを深く心の底から悔いたのではありませんでした。

キリストへの道 | 第3章 | 悔い改め

🎥 おとり商法 | キリスト教国から苛酷な国家へ | あなたの最後の安息日 | あなたの最後の聖餐式

(自動日本語字幕)

動画の概要
 本動画のテーマは、終末の時代における神の戒めと信仰の重要性、特に聖餐式(コミュニオン)と洗足式の儀式の意義に焦点をあてています。講師は、現代世界に蔓延る「おとり商法(Bait and Switch)」的な欺瞞、特にアメリカで起こりつつある「キリスト教国家化」運動を通した偽りの自由と迫害の危機を警告。終末に備え、本当の霊的な準備として、信者が謙遜と心の変革を経験し、聖餐式や洗足式を通じた深いコミュニオン(信仰体験)に参加する必要性を説いています。
 本動画は以下の方に適しています:
 ✴️ 終末論、キリスト教信仰の最後の試練に興味がある方
 ✴️ 聖餐式や洗足式の霊的意味を学びたい信徒
 ✴️ 現代社会の宗教的・政治的動向が聖書預言とどう関係するか理解したい方
 視聴後には、聖餐式に積極的に参加して心を改めることの必要性、また現代の宗教的欺瞞を見抜く視座が得られます。

タイムライン要約
00:00–00:54:【聖餐式の重要性と終末の警告開始】
- 主日(実は安息日)が聖餐式の日であり、この儀式は軽んじてはならないと強調。
- ヨハネの黙示録3:16-19を引用し、霊的怠慢(熱心でも冷淡でもない「ぬるま湯」の状態)の危険を説く。
00:55–07:05:【終末を象徴する欺瞞「おとり商法」の概念】
- サタンは世界を欺き、自由と称して実は束縛と死をもたらす偽りの約束をする。
- 聖書の預言(ペテロの第二の手紙2:18-19)からも、偽りの自由がやがて奴隷化へと至ることを警告。
07:06–11:45:【アメリカの「キリスト教国家化」運動とその危険性】
- 「Make America Christian Again(アメリカをキリスト教に戻そう)」という運動が実は厳しい迫害や自由の剥奪を招くとの予言。
- 昔のローマ帝国の例を引き、日曜礼拝強制の実態を解説。
11:46–16:10:【聖書の預言と現代運動の関連性とそこからの迫害の予兆】
- 日曜礼拝強制と安息日違反者の罰、迫害の時代が迫っていることを提示。
- キリスト教中心政治の実態と宗教的迫害の増加を論じる。
16:11–21:00:【聖餐式と洗足式は終末への準備、真剣な参加の呼びかけ】
- イエスが最後の晩餐で受難前に行った聖餐式の意味を解説。
- これが単なる儀式ではなく、霊的変化と覚醒のための「準備」であると訴える。
21:01–29:30:【イエスの最後の晩餐の傍らにある洗足式の重要性と心の変革】
- 洗足式は謙遜と罪の洗い清めを象徴し、霊的な「ミニ洗礼」としての意味を持つ。
- イエスが裏切り者ユダに時間をかけた愛の行為とその精神を解説。
29:31–41:00:【洗足式と聖餐式を通じた自浄作用と教会内の対立・自己変革の必要性】
- プライドや嫉妬、争いといった人間の心の汚れを洗い落とし、和解と愛の回復を促す。
- 身体的な行為を超えた心の変革が必要であると説く。
41:01–54:00:【旧約の幕屋儀式と結びつけた聖餐式と洗足式の意味の深化】
- 出エジプト記の幕屋の「洗盤(足洗い場)」の構造と儀式の霊的意味を分析。
- この洗いが聖所に入るための必須の準備であることを示す。
54:01–1:05:50:【聖餐(パンとぶどう汁)はイエスの命の糧、これを食べ飲むことの必須性】
- 「イエスは命のパン」であり、これを食べ飲まなければ命はないと強調。
- 同様に洗足式も霊的な必須行為と位置づける。
1:05:51–1:09:47:【終末の最終試練としての聖餐式参加の呼びかけと祈り】
- ユダの裏切りと弟子たちの態度を例に、信者一人一人の心の在り方が減少無く問われていると説く。
- これが最後の試み=最後の機会であるとし、真摯な参加への願いと祈りで締めくくる。

📌 キーインサイト
⚠️ 終末に備えるための心の準備として、聖餐式(主の晩餐)と洗足式は必須である
🕊️ 「おとり商法」の偽りの自由に騙されず、霊的に目覚める必要がある
🇺🇸 アメリカの「キリスト教国家化」運動は、実際には宗教的迫害と自由の剥奪を招く終末の兆候
💧 洗足式は、単なる儀式未満の「ミニ洗礼」、心の謙遜と浄化の象徴である
🍞 イエスは「命のパン」と語り、聖餐式は肉体的な食事と同様に不可欠な霊的命綱である
🤝 イエスは裏切り者のユダにも時間をかけて愛の奉仕をした。信者も互いに愛と赦しで結ばれるべき
🔥 今年(2026年?)には「刻印の獣の刻印」、迫害が始まる可能性があり、今が霊的仕上げの時期

  • 「ぬるま湯状態」(灰色な霊性)は神に嫌われる(ヨハネの黙示録3:16-19)の核心メッセージ。

  • 古典的「おとり商法」の欺瞞は終末に再出現し、政治宗教の欺瞞の本質を示す。

  • 「アメリカをキリスト教国家に」する動きは迫害や自由剥奪の前兆であり、外見はキリスト教だが内実は暴政。

  • 足洗いは心の内面を洗い清めて愛と謙遜に刷新する霊的リセットであり、洗わなければ救いはない。

  • 幕屋の洗盤の場は信者の霊的掃除の象徴、拒否すれば死(永遠の破滅)に至る。

  • 聖餐のパンとぶどう汁はイエスの肉と血の象徴であり、欠かせない命の糧である。

  • 裏切りのユダにもイエスは愛を注いだ。信者同士にも赦しと和解が最重要。

よくある質問(FAQ)
1. 質問:なぜ聖餐式と洗足式が重要なのですか?
 回答:霊的な浄化と神との真の交わりを深めるために必要不可欠な儀式であり、終末の試練に備える霊的準備です。
2. 質問:「おとり商法」とは何ですか?
 回答:自由や救いを約束しながら、実際には束縛や滅びをもたらす欺瞞の手法で、終末の大きな欺きの一つです。
3. 質問:「アメリカをキリスト教国家にする」運動の問題点は?
 回答:外見は宗教的に見えても、宗教の自由や良心の自由を奪い、迫害的な暴政に変貌するリスクが高いと聖書は警告しています。
4. 質問:洗足式は単なる伝統的な儀式ですか?
 回答:いいえ。聖書では謙遜と自己浄化の象徴であり、霊的に「洗礼」に類似した重要な意味があります。
5. 質問:来年(2026年)に何が起こる可能性があるのですか?
 回答:「獣の刻印(マーク)」が強制され、迫害の時代が訪れる可能性があり、それまでに霊的に備えることが強く求められています。

 結論
 本動画は、終末が迫る時代におけるキリスト教信仰の核心的な試練と準備について、説教者の情熱をもって語られた内容です。特に「聖餐式」と「洗足式」の霊的意義に注目し、それらが一過性の儀式でなく、心の変革と真の謙遜をもたらす重要な体験であることを繰り返し伝えます。また、現代の政治的・宗教的動向をヨハネの黙示録の視点から読み解き、欺瞞と迫害の危機を鋭く警告しています。説教者は強制はしないものの、参加することの緊急性と重要性を「説得」し、視聴者自身に自覚的な精神状態の自己吟味と信仰の実践を促します。
 今後の行動としては、以下が推奨されます:
 ✴️ 自己の霊的状態を真剣に省みること(自己吟味)
 ✴️ 可能な限り早く聖餐式と洗足式の儀式に心から参加すること
 ✴️ 終末預言に基づく現代の宗教的政治的動きに注目し、欺瞞への警戒心を持つこと
 ✴️ 日々の生活と信仰を通じて心の変革(謙遜、許し、愛)を実践し続けること
 この動画は、終わりの日を迎えるにあたり信仰者として如何に備えるべきかを深く理解し、実践的に行動を起こすための貴重な指針を提供しています。

・・・イエスは、ユダの貪欲を鋭いことばで譴責されないで、開かれた本を
読むようにユダの心を読んでおられる証拠を示された時でも、天来の忍耐心をもって、このあやまちを犯している男を忍ばれた。イエスは、彼の前に正しい行為の最高の動機をお示しになった。ユダが天の神の光をしりぞけるなら、彼はもはや弁解の余地がないのである。
 ユダは、光の中を歩まないで、自分の欠点を持ちつづけることをえらんだ。悪い欲望、復讐の熱情、暗い不きげんな思いが宿り、ついにはサタンがこの男を全面的に支配した。ユダはキリストの敵の代表者となった。
 ユダがイエスと交わるようになった時、彼のうちには、教会にとって祝福となることができたかもしれないとうとい品性の特徴がいくつかあった。もし彼が喜んでキリストのくびきを負っていたら、使徒たちの中の主だった者となったかも知れなかった。だが彼は、自分の欠点が指摘されると、心をかたくなにし、高慢心と反抗心のままに、自分自身の利己的な野望を選び、神が彼にさせようと望まれた働きにふさわしくない者となった。
 イエスが弟子たちをご自分の奉仕に召されたとき、彼らは全部ひどい欠点を持っていた。柔和で心のへりくだったお方と最も親密に交わったヨハネでさえ、生れつき柔和で従順な人間ではなかった。彼とその兄弟は、 「雷の子」と呼ばれた。彼らがイエスと一緒にいた時に、イエスに対してだれかが軽蔑でも示そうものなら、彼らは憤慨してけんか腰になるのだった。短気、復讐心、批判の精神といったものがすべてこの愛された弟子のうちにあった。彼は高慢で、神の国では第1位の者になりたいという野心をもっていた。しかし1日1日、自分自身の激しい気性と対照的に、彼は、イエスの柔和と寛容とを見、謙遜と忍耐についてイエスの教訓を聞いた。彼は天来の感化に向かって心を開き、救い主のみことばをきく者となるばかりでなく、これを行う者となった。自我はキリストのうちにかくれた。彼はキリストのくびきを負い、キリストの重荷を負うことを学んだ。
 イエスは弟子たちをしかり、彼らに警告し、また注意された。しかしヨハネとその兄弟たちは、イエスから離れなかった。彼らは、しかられたにもかかわらず、イエスをえらんだ。救い主は、彼らに欠点とまちがいがあるからといって、彼らから離れるようなことをなさらなかった。彼らは、終りまでイエスと試練を共にし、イエスの生活から教訓を学んだ。キリストを見ることによって、彼らの品性が一変した。
 使徒たちは習慣も気質もまったくちがっていた。取税人のレビ・マタイと、ローマの権威を徹底的に憎んでいた激しい熱心党のシモンがいたし、気前がよくて直情的なペテロと、卑劣な精神の持ち主ユダがいたし、まごころはあるが内気で心配性のトマスと、心の動きがにぶくて疑い深いピリポ、また野心的で率直なゼベダイの子たちがその兄弟たちとともにいた。
 この人たちは、いろいろな欠点と、みな先天的後天的な悪への傾向を持ったまま集められた。しかしキリストのうちにあって、またキリストを通して、彼らは、神の家族のうちに住み、信仰において、教理において、精神において1つとなることを学ぶのであった。彼らは、試練も、苦情も、意見の相違もあったが、しかしキリストが彼らの心に住んでおられるかぎり、不和があるはずはなかった。キリストの愛がお互いの愛となり、主の教訓がすべての不和を一致へみちびき、弟子たちは一体となって、ついには1つの心、1つの意見となるのであった。キリストが大中心であり、彼らはその中心に近づくにしたがって、お互いに接近するのであった。・・・

各時代の希望 | 第30章 | 12弟子の任命

🎬 参考動画と資料

スティーブ・バノン | TPUSA主催「アメリカ・フェス」で講演(自動日本語字幕)

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J・D・ヴァンス副大統領 | TPUSA主催のアメリカ・フェス スピーチ(自動日本語字幕)


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🦉「Catholic Teaching(カトリックの教え)」という意味は、・・『共通善』👇 「You'll own nothing and be happy (何も所有せず、幸せになれる)」
下着までサブスクしたいですか・・?

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👇 次から起立して礼拝をしない者は退席される、いや出禁・・?

ダン・パトリック | テキサス州議会議事堂で強制的な宗教的服従を要求
(自動日本語字幕)

エリカ・カーク | TPUSA主催アメリカフェス 初日におけるスピーチ(自動日本語字幕)

Make America Christian Again in 2026 開始‼️
今はアメリカのみに見えますが、どう各国に飛び火するか要注意です 🔥☄️

👆 PDF12ページ目の左4番目のパラグラフのハイライト 参照

参考資料:
🗒️ 84. 宗教的礼拝の妨害者および安息日違反者を処罰するための法案、1779年6月18日
🗒️ 何も所有せずに幸せになれる

 弟子たちはお互いに仕えるために動こうとしなかった。イエスは彼らがどうするかを見るためにしばらく待っておられた。それから、天来の教師であられるイエスが、食卓から立ちあがられた。主は動作のじゃまになる上着をぬぎ、タオルをとって腰にまかれた。弟子たちは、驚きと興味の念をもって、何事が起こるのかだまって見ていた。主は「それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた」(ヨハネ 13:5)。この行為が弟子たちの目を開いた。彼らの心は激しい恥ずかしさと不面目な思いに満たされた。彼らは無言の譴責を理解し、自分たちの姿をまったく新しい光のうちに見た。
 このようにキリストは、弟子たちに対する愛をあらわされた。彼らの利己的な精神をごらんになって、主の心は悲しみに満たされたが、主は彼らの問題について議論されなかった。その代わりに、主は、彼らが決して忘れることのできない模範をお与えになった。弟子たちに対する主の愛は、簡単にさまたげられたり、消えたりしなかった。主は、 「父がすべてのものを自分の手にお与えになったこと、また、自分は神から出てきて、神にかえろうとしていることを」わかっておられた (ヨハネ 13:3)。主はご自分の神性を十分に意識しておられた。しかし主は、王冠と王衣をぬいで、しもべの姿をとられたのであった。地上における主の最後の行為の1つは、しもべのしたくをしてしもべの役割を果たされることであった。
 過越の前に、ユダは祭司たち、律法学者たちともう1度出会って、イエスを彼らの手に引き渡す契約を取りきめていた。それなのに彼は、そのあとで、何の悪いこともしなかったかのように弟子たちの中にまじって過越の食事を用意する働きに関心を示していた。弟子たちはユダの意図について何も知らなかった。彼の秘密を見ぬくことがおできになったのはイエスだけだった。しかし主はユダを暴露されなかった。
 イエスは彼の魂を求めておられた。主は、滅ぶべき都エルサレムについて泣かれた時この都に対して感じられたような重荷を、ユダに対して感じておられた。主は、どうしておまえをあきらめることができようと、心の中で泣いておられた。この迫る愛の力をユダは感じた。救い主がご自分の手で彼のよごれた足を洗い、手ぬぐいでふかれた時、ユダの心はいまこの場で自分の罪を告白してしまおうという衝動に何度もかられた。しかし彼はへりくだろうとしなかった。彼は悔い改めに対して心をかたくなにし、一瞬間おしのけられていたもとの衝動がふたたび彼を支配した。ユダは、今度は、弟子たちの足を洗っておられるキリストの行為につまずいた。イエスがこんなに自らを低くされるのだったら、とてもイスラエルの王になられることはできないと彼は思った。現世の王国における世俗的栄誉に対するいっさいの希望が失われた。キリストに従うことからはやはり何の利益も得られないのだとユダは納得した。ユダは、主がご自分を低くされたと思ったので、それを見てから、主を否認し、自分はだまされていたのだと告白しようという考えをいっそう固めた。彼は悪魔に占領されていたので、主を裏切ることによって、自分が同意した働きをやりとげようと決心した。
 ユダは、食卓にすわる場所をえらぶ時に、1番先にすわろうとしたが、キリストはしもべとして一番先に彼に奉仕された。ユダはヨハネに対して非常ににがにがしい感情をいだいていたが、そのヨハネは一番あとまわしになった。しかしヨハネは、そうされたからといって譴責されたとも、あるいは軽んじられたとも思わなかった。キリストの行為を見た時、弟子たちは非常に心を動かされた。ペテロの番になると、彼は驚いて、「主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか」と叫んだ (ヨハネ 13:6)。キリストのへりくだりが、彼の心をうち砕いた。彼はこの奉仕をする者が弟子たちの中に1人もいなかったことを思って、恥ずかしい思いに満たされた。キリストは、 「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう」と言われた (ヨハネ 13:7)。ペテロは、神のみ子と信じている主が、しもべの役割を果たしておられるのを見るにしのびなかった。彼は全心全霊でこの屈辱感と戦った。キリストがこのためにこられたのであることに彼は気がつかなかった。彼は非常な力をこめて、 「わたしの足を決して洗わないで下さい」と叫んだ (ヨハネ 13:8)。

各時代の希望 | 第71章 | しもべの中のしもべ

 キリストは、2つの制度とその二大儀式の転換期に立っておられた。神の傷なき小羊であられるキリストは、罪祭としてご自分をささげようとしておられた。こうしてキリストは、4000年の間キリストの死をさし示してきた型と儀式の制度に終止符をうたれるのであった。弟子たちと過越の食事をされた時、主は、過越節の代りに、主の大いなる犠牲の記念となる式をお定めになった。ユダヤ人の国民的祭典は永久に過ぎ去るのであった。そしてキリストがお定めになった式が、どの国どの時代においても弟子たちによって守られるのであった。

各時代の希望 | 第72章 | 「わたしを記念するため」

 エルサレムの住宅の二階座敷で、キリストは弟子たちと食卓についておられた。彼らは過越節を守るために集まったのであった。救い主は、12人の弟子たちとだけで、この過越の食事を守りたいと望まれた。主はご自分の時がきていることを知っておられた。イエスご自身が真の過越の小羊であって、過越の食事の日にいけにえとしてささげられるのであった。主は怒りのさかずきを飲もうとしておられた。まもなく主は最後の苦難のバプテスマをお受けにならねばならなかった。しかし主にとってまだ静かな数時間が残っていたので、愛する弟子たちのためにその時間をすごされるのであった。

各時代の希望 | 第71章 | しもべの中のしもべ

🦉 アメリカだけではなく、私たちも今年の聖餐式が最後かもしれない・・・そうだとすると「怒りのさかずき」がやって来るのか?
👆ステップをみると、「最後の苦難のバプテスマ」を受ける。

 この重大な事件には、いずれも、その記念が設けられている。主の晩餐の時に、裂かれたパンとぶどうの実をいただくことにより、われわれは、彼が来られる時まで、主の死を告げ知らせるのである。こうして、主の苦難と死の光景が、われわれの心に新たに思い起こされる。キリストの復活は、われわれがバプテスマを受けて、彼と共に葬られ、彼の復活の様に従って水の墓から起き上がり、新しい生涯に入ることによって記念されている。

EW217.1

 天の聖なる監視者であられる聖霊は、この式の間、臨在されて、これを魂をさぐる時、罪を自覚する時、罪がゆるされたというありがたい確証の時としてくださる。恵みに満ちておられるキリストはそこにおられて、利己的な水路を流れていた心の思いの流れを変えてくださる。聖霊は、主の模範に従う者たちの感受性を鋭くしてくださる。われわれのための救い主の屈辱を思い出す時、思いは思いとつながり、記憶の鎖、すなわち神の大いなる恵みと地上の友の好意とやさしさの記憶が呼び起こされる。祝福を忘れ、恵みを悪用し、親切を軽んじたことが心に思い出される。愛というとうとい植物を追い出していた冷酷という根があらわれる。品性の欠点、義務の怠慢、神への忘恩、兄弟たちに対する冷淡さが思い出される。罪は、神がそれをごらんになる光をとおして見られる。われわれの思いは自己満足の思いではなくて、きびしく自己を責める思いと謙遜な思いである。不和を生じさせたあらゆる障害を打破する力が心に与えられる。悪意と悪口は捨て去られる。罪は告白され、ゆるされる。心をやわらげるキリストの恩恵が魂に入り、キリストの愛が人びとの心を引きよせて、祝福された一致を生じさせる。
 準備の式についての教訓をこのように学ぶ時、もっと高い霊的な生活を望む思いが燃やされる。この望みに天の証人イエスが答えてくださるのである。魂が高められる。われわれは、罪がゆるされたことを意識して聖さんにあずかることができる。キリストの義という日光が心の部屋と魂の宮を満たす。われわれは、 「世の罪を取り除く神の小羊」を見るのである (ヨハネ 1:29)。

各時代の希望 | 第71章 | しもべの中のしもべ

🦉 各時代の希望 | 第71章 | しもべの中のしもべ
第72章「わたしを記念するため
最初から通して読むほうが良いと思います ✨


🎥 罪に打ち勝つ秘訣と神との交わりの成功 | イエスの生涯生き方!

(自動日本語字幕)

動画の概要
 この動画は「イエス・キリストの伝記」を中心に、「真の教育」と「キリスト教信仰における霊的成長の秘訣」について説いています。特に、イエスが地上に来た目的は「どのように生き、愛するかを教えること」であり、その生涯の中で示された『神との交わり(霊的な交わり・祈り)』こそが、力ある生活の秘訣である**と強調しています。さらに、信仰生活においては心の状態(良き土壌)が重要で、外面的な改革だけでなく、内面的な真の交わりが試練や誘惑に勝つ力を与えると説きます。時間管理や日々の祈りの習慣、自然の中での静かな交わりの重要性も説かれ、現代のクリスチャンにとって必須の学びとされます。
 本動画は次のような方におすすめ:
 ✴️ キリストの生涯から霊的成長の本質を学びたい方
 ✴️ 祈りや神との交わりの具体的な実践方法を知りたい方
 ✴️ 試練に打ち勝つ信仰の秘訣を探している方
 ✴️ 教育・伝道活動の場でイエスの生涯を活用したい方

タイムライン要約
00:00~00:49【開会の祈りと導入】
 ▶︎ 開会の祈りの後、今回のテーマ「イエスの伝記」は無尽蔵な深さを持ち、永遠に学び尽くせないほどだと紹介される。
00:50~03:18【真の教育と聖書の伝記の価値】
 ▶︎ 真の教育の中心は聖書であり、その中でも特に伝記が教育的価値が高いと紹介。イエスの生涯を描いた三つの書物(『各時代の希望』『キリストの実物教訓』『祝福の山』)を挙げる。
03:19~06:44【イエスの生涯は最大の仕事と愛の教師】
 ▶︎ 『癒しの力』より、イエスは人類史上最大の業を成し遂げ、愛を教えるために来たことを強調。イエスこそ「愛し方」を教える模範である。
06:45~11:07【信仰の成長における問題点:心の土壌】
 ▶︎ なぜ信仰が成長しないのか?メッセージ自体は変わらないが、種を受け入れる心の土壌がさまざまであり、悪い土壌では実を結ばない。現代のクリスチャンに欠けているのは「常に神を前に置く心」だと指摘。
11:08~16:23【誘惑に勝つ秘訣と試練の時の心構え】
 ▶︎ 誘惑は快楽を通じて誘う。だが、神との交わりが断たれると防御が失われ、敗北する。神との交わり(祈りと黙想)を絶やさず、誘惑に打ち勝つことが必要と説く。時代の終わりが近いことを踏まえ、今が救いの決断の時である。
16:24~22:00【全身全霊で神に従うことの重要性】
 ▶︎ 甘い考えや口先だけの信仰ではなく、心からの献身と祈りによる実践が不可欠。計画的・持続的な祈りの大切さを強調し、日常のあらゆる場面で神との交わりを持つことを推奨。
22:01~28:40【イエスの教えと使命:愛と最後の歩み】
 ▶︎ イエスは教師として来て、人々に「どう生きるか」を教えた。彼の使命は「神の愛の注ぎ」であり、その中心に愛と奉仕があることが説明される。
28:41~35:40【イエスの生涯を学ぶ意味と祈りの実践】
 ▶︎ イエスは自然の中で祈り、孤独な時間を大切にした。朝夕(夜明けと黄昏)の黙想を習慣付け、続けることがパワーの源泉。早起きして自然の声(鳥のさえずり)を聞きながら祈ることの意義を語る。
35:41~43:45【イエスの秘密:密室な神との継続的な交わり(祈りと聖書黙想)】
 ▶︎ イエスのパワーの秘密は、神との生きた交わりにある。祈りは単なる言葉の羅列ではなく、神の声(聖書を通した啓示)を聞く双方向のコミュニケーション。孤独な静かな時間を大切にし、神との関係を深めるべきと説く。
43:46~51:18【イエスの祈りの時間と健康とのバランス】
 ▶︎ イエスは3回にわたり長い祈りの時間を持ち、時には徹夜で祈ったが、疲れや健康に問題はなかった。むしろ神との交わりが彼を力づけ、健康を保った。正しい睡眠習慣との調和が大切と説く。
51:19~58:20【祈りの習慣化と日常生活における交わり】
 ▶︎ 夜明け前の祈りの習慣を持つことが推奨される。祈りは時間だけでなく場所も大切で、イエスには祈りの特別な(密室な)場所があった。だが、日中も日常生活の中で断続的に神との交わりを続けることが重要。
58:21~1:03:38【イエスの生涯の総まとめと終わりの勧告】
 ▶︎ イエスの生涯は真の教育の最高峰。彼は自然の中で神と繋がり、苦難の中でも常に交わりを絶やさなかった。最後にこれからの危機に備えて、神との交わりを持つことが何よりも必要と説き、祈りで締めくくる。

📌 キーインサイト
❤️ 
イエスは「愛」を教える最高の教師であり、その生涯は神との交わり(祈り)によって支えられていた
✝️ 信仰の成長は「心の土壌」に依存し、神を常に心に置き続けることが試練を乗り越える鍵
😈 誘惑を制するには神との継続的な交わり(祈りと聖書黙想)が不可欠。単なる外面的改革では無効
🕰️ イエスの祈りの時間帯は「夜明け(Dawn)」と「黄昏(Twilight)」であり、そこに霊的力が宿る
🙏 祈りは神との双方向のコミュニケーションで、神の声(聖書)を聞き、導きを得ることが重要
🏞 イエスは自然の中の静寂な場所で祈りを行い、その習慣を若者も見習うべきと指摘
🩸 現代人は時間の浪費に注意し、血で買われた命の時間を聖く用いる必要がある
👣 イエスのモデルに倣い、日常生活のあらゆる瞬間に「祈りの心」を持つことが推奨される

  • 「神との交わりの途絶が防御の喪失を招き、誘惑に屈する」→ 単に祈るだけでなく、「交わり」が途切れないことの重要性を示す。

  • 「イエスは生涯を通して完全な健康を保ち、祈りが心身の力となった」→ 霊的な生活は肉体的な健康も支えるという相関性。

  • 「外見の改革は成果なし、内面の神との親しい交わりを本質とする」→ 真の変革は心の奥底からでなければ意味がないという指摘。

  • 「イエスの祈りの時間帯(夜明けと黄昏)に科学的根拠もあり、精神的・身体的に効率的」→ 聖書的実践と科学的事実の一致が示されている。

  • 「祈りは継続と持続が必要、時には徹夜も行ったイエスの例」→ 信仰における忍耐と献身のレベルを教示。

FAQ(よくある質問)
1. 質問:イエスの祈りの時間帯はいつが理想ですか?
 回答:夜明け(Dawn)や黄昏(Twilight)の静かな時間帯が推奨されます。
2. 質問:祈りと交わりはどう違うのですか?
 回答:祈りは自分から神への話しかけ、交わりは神からの声(聖書や啓示)を聞き取る双方向の関係を意味します。
3. 質問:忙しい生活の中でどのように神との交わりを持てますか?
 回答:日常生活の中で「断続的に短い言葉の祈り」をする習慣(例:散歩中など)を持つことが大切です。
4. 質問:外面的な行いの改革だけで信仰成長は可能ですか?
 回答:不可能です。真の改革は心の交わりから始まります。表面的な変化は根本的な勝利には繋がりません。
5. 質問:祈りが長時間できません。どうしたらよいですか?
 回答:イエスも「常に」祈り続けていたわけではなく、天候や状況で祈りの時間は変動します。大切なのは「継続的に心が神に向かうこと」です。

結論
 本動画は、イエス・キリストの伝記を通して学ぶ「真の教育」と「霊的成長の核心」である「神との交わり」の秘訣を明確に示しました。イエスの生涯は、ただの教えではなく、生きた関係性に基づいたモデルであり、その交わりは毎朝の静かな祈りの時間に象徴されます。物理的な学校や施設などの制度もイエスの使命を助けるために存在しますが、霊的力を支える本質は「質の高い祈りと聖書への黙想」にあります。
 特に現代の信徒は誘惑や偽りに満ちた世の中で「心の根本的な土壌」(神を常に前に置くこと)を整え、日々継続的に祈りを重ねることが求められています。口先だけの敬虔さではなく、「心からの実践的な祈りと交わりが、唯一誘惑に打ち勝ちキリストに似た者へと変えられる鍵」です。
 アクション提案
 ✴️ 毎日、夜明けや黄昏の静かな時間帯を決めて祈りの時間を持つことを習慣化しよう。
 ✴️ 単なる一方通行の祈りに留まらず、聖書を通して神の声を聞く黙想の時間を増やそう。
 ✴️ 日常生活の隙間時間にも心の中で短い祈りを捧げ、神との交わりを保つ努力をしよう。
 ✴️ 自己改革に取り組む前に、まず神を心の中心に置くことで内面を整える。
 ✴️ 教育・伝道の現場や日常会話の中でイエスの生涯をモデルとして参考にし、愛の実践に繋げよう。
 この動画の教えは、霊的成長に悩むすべてのクリスチャンにとって実践的で力強い指針となるでしょう。神との真の交わりを深めて、試練に打ち勝つ信仰生活を築いていきましょう ❤️

参考資料:

 多くの人が誘惑の中に放置されているのは、エホバを常に自分の前に置かないからである。わたしたちが神との交わりを断つ時に、わたしたちの防御もなくなる。どんなに良い決心も意志も、悪に抵抗する力とはならない。わたしたちは祈りの人でなければならないし、それが弱い祈りや時々しか行わないようなきまぐれな祈りではなく、熱心で忍耐強い不断の祈りでなければならない。祈るのには、必ずしもひざまずかなくてもよいのである。1人で居る時も道を歩く時も、毎日の仕事に忙しい時も、救い主と語る習慣をつけなさい。助け、光、力、知識を求めて、絶えず心を沈黙のうちに天に向けなさい。そして1つ1つの呼吸が、すべて祈りとなるべきである。

MH 510.1

 神は教師イエスを天から送ることによって、天の最上にして最大の賜物をおあたえになった。至高者である神との評議の座につらなり、永遠の神の至聖所に住んでおられるキリストが、人となって神の知識を人類にあらわすおかたとしてえらばれたのである。
 堕落した世界を照らす天来の光は、どれもみなキリストを通して与えられたものであった。各時代にわたって、神のみ言葉を人類に宣告した人々を通して語られたのはキリストであった。この世で最も偉大な、また最も高貴な魂を持った人々にみられるあらゆる美徳は、キリストの反映である。ヨセフの純潔と慈善、モーセの信仰と柔和と寛容、エリシャの堅い信仰、ダニエルの気高い誠実心と堅固な志、パウロの熱心と自己犠牲、これらの人々をはじめとして、その他この地上に生存したすべての人々の中に表わされている知的また霊的な能力―それはすべてキリストの栄光の輝きから出るかすかなひらめきにすぎなかった。完全な理想は、キリストの中に見いだされる。


Ed 73.2 & 3
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 高価な家屋、念の入った家具、装飾、奢侈 、安逸は、幸福で有益な生活の重要条件をみたすものではない。イエスは、今まで人類の間でなされた働きの中で、一番大きい働きをするために、この世界にこられた。イエスは神の大使として、人生の最大の結果を得る生活法をお教えになるために、おいでになった。神である父が、そのみ子のために選ばれた環境とは、どんなものであったろうか。ガリラヤの丘の上の人里離れたところにある家、正直で尊い労働によって支えられた家庭、単純な生活、困難と苦労をともなった日々の戦い、克己、経済、忍耐、喜びにあふれた奉仕、母のそばでの聖書研究の時間、緑の谷間の静かな暁やたそがれ、清い自然界の感化、創造と摂理の研究、神との心の交わりーこれらがイエスの若い時代の環境であり、機会であった。

MH 365.3 

 イエスがこの地上のご一生において知恵と力をお受けになったのは、ただひとり神に祈られた時であった。われわれもイエスの模範にならって夜明けやたそがれに天父と交わる静かな1ときを持つべきである。そうして1日中、心を神に向けていなければならない。われわれの道の1歩ごとに、神は「あなたの神、主なるわたしはあなたの右の手をとって・・・・『恐れてはならない、わたしはあなたを助ける』」と仰せになっている。子供たちが人生の朝にこうした教訓を学ぶことができたなら、彼らの人生には何という新鮮さと力、何という喜びと楽しさがもたらされることであろう。

Ed 259.1

 貧しい生活を送られたイエスの小児期は、堕落した時代の不自然な習慣によって汚されなかった。大工の仕事台で働き、家庭生活の重荷を負い、服従と労働の教訓を学びながら、キリストは自然界の中で楽しみを見出し、自然の神秘を理解しようと求めては知識を増して行かれた。彼は神のみ言葉を研究されたが、一番幸福な時は、働き場から離れて野に行き、静かな谷間で瞑想 め い そ う したり、山腹や森の木々の間で神と交わることのできる時だった。早朝どこか人の居ない所で、瞑想したり聖書を調べたり、あるいは祈りをしておられることがよくあった。また歌いながら、朝の光を迎え、感謝の歌で働く時間を愉快にし、働きに疲れた人や、失望した人に天来の喜びをお与えになった。

MH 52.1

🎥 安息日学校動画 | 獣の刻印はここに?終末における

(自動日本語字幕)

PDFマテリアルの概要
 この記事では、聖書の預言における獣の刻印についての理解を深め、AIが終末論的状況で果たす役割を探ります。著者は、特にローマ・カトリック教会がこのマーク(刻印)とどのように結びつくかを詳細に分析します。特に、歴史的な視点からカトリック教会の権力と、日曜礼拝の重要性に焦点を当てています。

📌 キーインサイト
🤖 AIの役割:終末の預言を現実化する可能性がある
💒 ローマ・カトリック教会の影響:教会の権力が獣の刻印にどのように関与しているか
🛌 日曜日の安息日:教会の権威による安息日の変更が重要な議論の前提
💢 歴史的な迫害:カトリックによる迫害が信者の背景に影を落としている

  • 信仰の復興:終末論的な危機の中で、信者は自らの信仰をしっかりと保つ必要がある。

  • AIの倫理的課題:規制の欠如が個人の自由を制限する可能性があることであり、信者はこれを考慮すべきである。

  • 歴史の教訓:カトリック教会の歴史的迫害を学ぶことで、現代の信仰に対する挑戦に立ち向かえる。

問題点
 1. 獣の刻印とは具体的に何を指すのか?
 - 銀行取引や社会的地位に強い影響を与える、宗教的・政治的な刻印。
 2. AIの急速な進展は、どのように終末論に関与するのか?
 - AIは情報のアクセスを容易にしつつ、プライバシーの脅威を増加させる。
 3. 日曜礼拝の変更は、どのようにカトリック教会の権威を象徴しているのか?
 - 教会の権威は、信者に対する教義の変更を強いる力を持っている。
 4. 聖書の中でサタンはどのような役割を果たすのか?
 - 神の特性を模倣し、信者を試す存在。

💒 2024年の報告書によると、バチカン銀行は世界で
最も強力な金融機関の一つ


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