他人を気にしていないはずなのに、構えが抜けなかったケース

ある時期、
他人のことを気にしなくなった人がいた。

周囲の反応を追わない。
どう見られているかも考えない。
誰かの評価に合わせて振る舞うことも、
ほとんどなくなっていた。

本人の認識としても、
「もう他人は気にしていない」
という感覚ははっきりしていた。

それでも、
体の構えだけが抜けなかった。


緊張している自覚はない。
不安が強いわけでもない。
誰かに備えている意識もない。

ただ、
静かな時間に入っても、
体が完全には緩まなかった。

肩や首が固まるほどではない。
呼吸が乱れるほどでもない。

しかし、
どこかで
「いつでも動ける状態」が
維持されていた。


この時期に残っていたのは、
他人への意識ではなく、
他人を想定していた頃の体の配置だった。

かつては、
人の目や反応を前提にして、
姿勢や行動を微調整していた。

評価される可能性。
誤解される余地。
余計な波風を立てないための準備。

それらに対応するため、
体は常に
少し前に出た状態を保っていた。


他人を気にしなくなったあとも、
その配置自体は
自動では解除されなかった。

意識は外を見ていない。
判断も他人基準ではない。

それでも、
「何かが起きても対応できるように」
という体の待機が
そのまま残っていた。

構えは、
誰かを意識して生まれていたが、
誰かがいなくなったからといって
即座に消えるものではなかった。


このケースでは、
構えの原因は
現在の対人関係ではなかった。

実際に気を使っている相手もいない。
評価される場面もない。

ただ、
「人がいる前提」で作られていた体の状態が、
そのまま日常に持ち越されていた。

他人を想定しなくなっても、
想定していた頃の姿勢や張りは、
更新されていなかった。


そのため、
一人で過ごしていても、
完全なオフには入れなかった。

何かを始めるわけでもないのに、
終わった感じもしない。

体は、
すでに役目を終えたはずの準備を、
解除しないまま保っていた。


この記録では、
他人を気にしなくなった判断を
否定していない。

また、
構えが残っていることを
問題としてもいない。

ただ、
他人を意識しなくなったあとでも、
その前提で作られていた体の状態は、
自動では切り替わらなかった、
という経過を残している。

気にしていなかったのは、
確かだった。

それでも、
構えだけが
しばらく残っていた。

それが、
このケースで観察されていた状態だった。

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