【小説感想】完璧な人生の余白
花澤薫著『すべて失われる者たち』読了。
非常に濃密な世界だった。32編の短編のうち、22編は登場人物の名前から日本を舞台にしていると思われ、後半10編は素性を一切明かさない文学者、ブルック・キーツなる作者が書いた物語、として描かれる。老若男女様々な人物が主人公になり、すべての物語の背景にはいつも音楽が流れている。
ひとつひとつの短編は完璧で冷静な筆致で、細かく手にしているもののメーカーや品名、飲食や花の名前までつぶさに描かれる。物語の進行もなだらかなのに目が離せない。すると物語は数行の余白を残し、唐突に終わりを迎える。読者であるこちらは突然物語を失い、この先の彼らの答えをこちらにふっと手渡されてしまう。
登場する子供たちは複雑な家庭に育ったりして、シニカルな思考をしたり反対に自分の総てをかけて純朴でいようとする所謂大人びた子供たちが多い。文章にすると随分と複雑な育ち方に見えたので私が学生だった頃はもっと「のほほん」としていたな、と一瞬考え、いや、そうではなかった、と思い返す。何者かになりたかった自分、なれないと判ってしまった自分、忘れたくないのに忘れなくてはならず大人にならなければ生きていけないという現実に直面した自分……。この本の物語たちは静かに私の内側にあるしまわれていた傷をちくちくと刺激して来てむりやり外側に連れ出されたようだった。
思いがけなく妊娠してしまう女性、妊娠はしたけれど不倫という立場上黙って堕胎をして愛人に事後報告をする女性、一般的には未だどこかタブーである事柄を著者はあけすけに書く。けれど彼女たちの口調は冷めている。しかし感情に乗せず淡々と書かれる言葉は、却って秘められた悲しみや恨みなどドロドロと濁った感情を露わにする。そしてやはり途中で手放されるのだ。著者の文章は完璧だ。だからこそそれは不意に紙で手を切った時のように鋭利にこちらを覚醒させる。目立たないちいさな傷である筈なのにその痛みは不似合いなほど強い。そしていつまでも心に沁みて痛い。
登場人物の彼らが、どうか僅かでも生きる希望を失わないように。
遺された余白にどうしても想いを馳せてしまう。そう願いかけて、ふとタイトルを目にする。
「すべて失われる者たち」
緻密でほろ苦い、センシュアルな短編集でした。読ませていただきありがとうございました。(敬称略)
『すべて失われる者たち文芸賞』という著者である花澤薫先生が企画した文学賞に応募し、私は期待賞をいただきました。こちらの御本は花澤先生に献本していただいたものです。まだまだ十分読み切れていないかも知れず、感想を書くのを躊躇いましたが、書かないと消化不良になりそうなので、たった今読み終えた直後の感想として拙いながら書かせていただきました。読みにくかったり語弊がありましたら申し訳ございません。重厚で心を鷲掴みにされる作品でした。

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