想像力の話
昔住んでいた部屋から、新幹線が見えた。
もちろん、高い塀に阻まれて、車体の上半分しか見えないのだけど、わずかな揺れもなく、すーっと動いていくのが面白かった。
部屋は比較的駅に近く、新幹線は低速だ。
そのため、窓の一つ一つまでよく見える。
あの窓の向こうにたくさんの人が乗っていて、高速で移動している。
目的地はバラバラだけど、みんな遠いところに行こうとしている。
行った先で、何をするんだろう。
それを考えるのが、わりとけっこう、楽しかった。
休みの日、ベランダに洗濯物を干していると、新幹線が当たり前にホームを出ていく。
午前中のこの時間、あの新幹線はきっと満員だ。
乗っている人たちはどこに行くのだろう。
遊びに行く?
それとも仕事?
実家に帰省?
冠婚葬祭?
あれこれ勝手に想像を膨らませる。
スーツ姿のサラリーマンもいるだろうし、小さい子供をあやすお母さんだっているだろう。
行楽地に遊びに行く人もいるだろうし、友達の結婚式や、身内の不幸で出かける人だっているはずだ。
違う目的を持った人たちが、ちょっとわくわくしたりそわそわしたりして、同じ新幹線に乗っている。
まさに一期一会、それが日に何度も、毎日繰り返される。
なんか面白いなと、私は謎に感動していた。
平日の勉強に疲れた夜、そっとベランダに出てみると、もう遅い時間なのに、新幹線がホームに入っていく。
窓の一つ一つから光が漏れて、あの中に確実に人がいるんだと実感する。
23時、こんな時間でも新幹線は動いている。
きっと乗客もまばらなはずだ。
何が何でもこの時間に乗らなければならなかった人たちは、きっと急いでいて、もしかしたら一日中忙しなくてぐったりしていて、たぶんわりとけっこう、疲れているんじゃないかと思う。
移動時間を休憩時間にして、ビールの一杯、アイスの一個ぐらいは食べていてくれたらいい。
無事に目的地に辿り着けますようにと祈って、私は中に入って勉強を続けた。
朝起きてカーテンを開けると、新幹線がホームから出ていくところだった。
今は7時台だけど、この時間の新幹線に乗るためには、お客さんは何時に起きたんだろう。
そもそも、駅まで来るのだってどうやって移動してきたのか。
この街は広いから、市内バスの本数が必ずしも充実しているとは限らない。
メインの移動手段が自家用車の人は、どこに停めたんだろう。
誰かに乗せてきてもらったとか。
もしくはタクシーとか。
まさか徒歩で??
新幹線に乗るまでに、おそらくきっと最高にバタバタしていたであろう人たちが、新幹線のなかで一息つけたらいいなあと思った。
でも、のんびりしすぎて乗り過ごすなんてことにはなりませんようにと、ほんのちょっと、祈っておいた。
その部屋に住んでいた間、私はずっとそうやって想像力を働かせていたのだけど、あるとき、駅と家の間に、大きなマンションが建ってしまった。
新幹線は見えることは見えるけれど、景色は大きく遮られてしまった。
誰も悪くない。
街が栄えるのはいいことだ。
でも、だけど、なんだかすごくとっても、残念だった。
そのとき、私は新幹線を見るのが好きだったのだと気が付いた。
いや、新幹線そのものが好きというよりは、それに乗っているお客さんについて想像するのが好きだったのだ。
私は人の人生を垣間見たり、ドキュメンタリー的な物語が好きだ。
たとえば街の中を歩いていても、県外ナンバーの車があると、この人は何をするためにこんな遠くまで来たんだろうと考えてしまう。
夜に住宅地を歩いていると、窓から漏れる光の数だけ人が住んでいて、そこにはどんな人が、どんな暮らしをしているのだろうと想像してしまう。
当事者からしたら「キモ!!!!!!!!」のひと言だろうけど、人には必ずドラマがあるんだ。
それをちょっと聞いてみたいだけなんです。
私の部屋の光も、誰かの想像力をかきたてていたのだろうか。
その部屋には、あなたと同じ、想像力豊かなこんな人間が住んでいましたよ。
