letter 基本と適性能力

読書は時間をかけて読むことが基本姿勢だと思う。じっくり読まないと吸収が悪い。自ら没頭することができなくなると読書はできない。活字離れ問題は文字数の問題ではなく、ひとりで静かにすごすことができなくなっているという生物的問題なのだ。ひとり静かにしていたら退屈でおかしくなるような人に、そもそも読書などできるはずがない。偶然にハマることはあっても偶然すぎるし、自発でやろうなどと思うはずがない。インフォメーションによって退屈にさせられている。音声や動画など、刺激を与えられなければいられなくなってしまっている。それが読書離れの原因だ。今回はそのようなメディア論的な話はやめて、本の話をする。


「エリート過剰生産が国家を滅ぼす」ピーター・ターチン(著) 早川書房 24/9/19初版 を再読した。そして一周目にあまり内容をつかんでいなかったのに驚いた。流し読みしていたからだ。

内容をつかんでいなかった自分に驚いただけでなく、内容がまた驚きだった。この本は出版界に刺激を与えて、近い内容のものがいくつか出されたようだ。

熟読してしばらくは、どうしようもない気分になってしまった。これまで考えていたことを切り替えるしかなくなった。

クリオダイナミクスという学問領域になる。人間の社会を数理的に眺める手法だ。複雑系科学の発展により、(ぼくにはなにかはわからないが)いろいろと計算ができるようになった。それによって、人類史には繰り返し起きる重要なパターンがあり一万年以上前から絶え間なく続いている事実が見えてきたそうだ。

遠い過去から人間の社会に共通するパターンが、エリート過剰生産によって国家的枠組みが崩壊するサイクルだ。現状の世界は、多くの国で内戦的な分断にさらされている。おそらくインフォメーションテクノロジーによって、どの地域でもそうなってしまったのだろう。

「(アメリカ)実質賃金の停滞や低下、貧富の差の拡大、高度な学位を持つ若者の過剰生産、社会への信頼の低下、公的債務の爆発的増加」「それらの社会指標は、互いに動的に関連している」「(以前に)この流れが重なり合う2020年前後に政治の不安定性が一気に増すという結果が出た」「すべての複雑な社会は、内部の戦争や不和の勃発によって内部の平和と調和が周期的に中断されると言うサイクルを経験する」「(クリオダイナミクスは)社会的な力が、その社会を崩壊の瀬戸際へと追いやるプロセスを説明する試み」

分断。

生まれたタイミングで生きる世界が決まってしまう。これは現在に生きるぼくらが、絶望的な気分になってしまうところだ。自分の人生を自分で掴んでいけるとか、頑張れば報われる(その確率が高い)とか、民主主義なので国民の投票で社会が変わるとか、思っていたような現実ではなかった。もうこうなると、自分の頭の中にある社会や生き方を変えるしかなくなる。

「エリート過剰生産は、エリート志望者に対する権力の椅子の需要が供給を大幅に上回った時に発生する」

これは以前から思っていた疑問だった。エリートだけではなく、市民の仕事の席がないことだったが。これが外国人嫌いの元にある。権力側の、低賃金労働者ほしいほしい病が治らずに外国人を雇いだし、怒りを生んだのは日本人の席が足りない(あぶれている、低収入に甘んじている)にも関わらずにそうしたからだ。行きすぎた高効率化は多くの人間を不要にする。

たとえば今の日本での失業率。国際的なスコアは相当優秀らしい。しかし国民からしたらあまり関係のないスコアかもしれない。

例えばある国で、社会保障が厚く、国民自身が自分の能力を理解していて、よほどでなければ尊厳的に自分にあう仕事を選ぶとしたら。それで失業率が高いのは、自分の能力の買い手が、その市場の停滞により見つからないのかもしれない。確かに社会の振れがあると、いっとき職にあぶれることはあるだろう。また社会側の都合でいえば、回復した時にスタンバイされている人員がいることが望ましい。

失業率は、求職していなければカウントされていない。勘になってしまうが、日本人は自分の能力を無視またはわからずに、能力ではなく頭数として、エリート側に働かされている状態かもしれない。合わない仕事でも精神的に病みながら勤務をすると。これなら失業率は低くなって優秀。え? 相当に強く上手くコントロールされているのかもしれないし、そう勘繰ってしまう。

それは日常の挙動を見ていたらわかる。「他人任せ」だ。その空間に参与していない。現実を侮りすぎている。歩きスマホ、隙間時間があったらすぐさまスマホを眺めること。日常生活では、大人から学生まで幅広く、かなりの割合でそうなっている。

スマホ運転が問題になっているが、学生がここまでスマホ中毒化しているのを街中で見ていると、彼らが運転をし始めたときにどんな社会になってしまうのか、恐ろしくなってしまう。コロナ禍時に、スマホ運転と思われる自動車事故をよく見かけるようになった。確かにコロナによって当時は、情報がにぎやかだったかもしれない。

誰かが何もしなくても、パンデミックによって何かが決壊して急に様相が変わってしまうことはあるだろう。また、インフォメーション側での仕掛け方が変わったのかもしれない。しかしはっきりした理由はわからない。だとしてもこの結果だ。ここまで他人をコントロールして(そのような道具のその使い方を規制せずにいて)問題はないのだろうか。

いやこれは問題ではなくもうすでに、国民にしてきたことの結果なわけだ。原因は特定できないが、現在の人々は静かに佇むことやただ前を見て歩くことが自力でできなくなっている。活字離れの問題ではないし、なんなら離れられるようにならないといけない。


「国家として組織された複雑な人間社会はすべて、政治不安の波を繰り返し経験する」「一般的なパターンは、安定的な段階(統合期)と不安定な段階(崩壊期)がだいたい100年ごとに交互に入れ替わる」「差はあれど、困難な時代はかならず訪れる」

あー、、、、

不安定性をもたらす構造的要因が複数あるそうだ。とりわけ崩壊社会に共通するのがエリート内の競争と対立だという。

大卒以上でもエリート職にあぶれる。理屈っぽくて、恨んでいる。高学歴になりたいという希望者が多いのは現在に生きるぼくにはわかるのだが、そこは増やすのではなく、適性にしたがった職能に価値を見出す社会システムになった方が身のためだ。考えのひとつとして、ホワイトカラーでなくても、人間の手の作業に価値を認める社会になるべきだろう。

「(崩壊期の暴力は)ある世代が全面戦争を繰り広げると、その暴力に傷ついた息子世代は不安定な平和を保とうとする」「暴力に直接さらされることなく育ったつぎの孫世代は、祖父の過ちを繰り返す」「このダイナミクスはおよそ50年(二世代分)周期の暴力の反復サイクルを生み出す」「そして構造的問題がなんらかの方法で解決するまで暴力のサイクルは続き、やがて新たな統合期へとつながる」

要は今は崩壊の最盛期で、新自由主義時代が本格的開幕だった。だからそれ以前にまとめられた、戦後から70年代あたりの学問などは本質的に重要だ。そして10年代に勃興した学問群の全部ではないが多くはまだ評価が確定できない。新世界秩序に変わり、他のタームでも通用するのか将来性が未確定だ。経産省あたりと親和しやすい学問などは時代転換で消えるものは多いはず。

というのはインフォメーションを過信して、マテリアル・フィジカル・地理的空間の世界を侮りすぎている考えになっていたからだ。埼玉八潮市陥没事故、大阪御堂筋鉄管隆起事故、そしてホルムズ海峡。なにをどう考えようとも、威張って、侮って、口先で説き伏せやらせようとしても、物理的な問題を超えることができなくなれば、インフォメーションなど意味を失ってしまうのを、ぼくたちはオンタイムで知っているからだ。

80年代以降の主流の言説はビジネス的だが社会的ではない。まあ、90年代に完成した企画扇動社会だ。それで、加速崩壊が今起きている。

21世紀の中後半に、落ち着きを取り戻す可能性がある。現在世代の(勝ち組以外の)現役世代は、ハズレのタイミングに生まれたことになる。イヤになる。いま生まれた人たちが大人になった時にまともな状態になっているか、セカンドチャンスの可能性の高い30前、そのあたりでやっと回復する予想だ。すでに大人のぼくらには関係のない話だ。残念だ。


格差は燃料になる。火種はカウンターエリートだ。社会学入門書を読んでいてでてきたが、インドにあったカースト制度は現在では差別で問題になるが、文明維持にとっては一つの回答のようだ。ホワイトカラーやエリートに希望者が殺到したら内戦がはじまり破滅する。それを防いでいる。まあエリート側の図々しさを規制するのが筋だとは思うがそのような自浄作用は危機の時代を過ぎれば忘れてしまうというのが人間社会の常ということだ。

90年代には本格化した「規制緩和」。これは市民の自由のためではなかった。国民の自由のために守られなければならない規制を撤廃していく。より上位のものが自由になるもの。権力層、富裕層のテコ。図々しい人間がやりたいようにやるための緩和だった。国民へのバインドだった。

グローバル期、大卒が増えて彼らの収入が高くなった。(それ以外の)人々は豊かになったのだろうか?いや、低学歴層は厳しくなった。

世界で飢餓貧困ががかなり減ったと言われる。いいことだ。しかしそれは大国である中国貧困層の多くが抜け出したからだった。つまり人類の飢餓が縮小したという評価は過大で、巨大な人口をもつ中国の飢餓が縮小したという方がマトに近い。リベラル的な勝利ではなく、世界経済上での中国経済の回復によるものだった。

日本の社会は、共働きしなければ収入が足りなくなってきた。人生に必要な家や自家用車、学費、健康維持などは、稼ぎに対して相当に高くなっているらしい。デフレで生活費が安いといっても人生費用はとんでもなく高い。

「(アメリカ)低学歴の労働者階級の親は子供を大学に通わせるために(親世代よりも)4倍長く働かなければいけない」「低学歴の階級から高学歴の階級へと移行できる確率が、わずか数十年のあいだに『劇的に低下』した」

「世は[強欲は善]時代へと突入した」「ベビーブーム世代の就労、女性の社会進出、移民の急増によって労働力の供給は膨れ上がった(安く買い叩ける)」「一方で企業は生産拠点を海外に移し、さらに生産の自動化やロボット化が進んだため、(経済先進国内の)労働力の需要は減少した」「実質賃金は低下し、とくに低学歴の労働者はその影響を強く受けた」「移民、自動化、オフショアリングとの闘いは大卒労働者より熾烈なものとなった」

現代社会問題の多くをこれで説明してしまっている。そしてこれが世界の反リベラルの要因のようだ。国境を侮りすぎていた。

「あなたもやればできる」というのは政治家がいっていい言葉ではなく、政治家がいわなければならなかったのは社会が国民を保証するという非自助の発言だった。いまになってみれば、ごく当たり前のことだった。なぜこんな簡単なことに気づけなかったのだろう。

情報ビジネスを学んだ経験からの感覚は間違っていなかった。上手くいく人は10%程度。1%の人間が成功し、その界隈で職を得た9%がいるだけで、90%の参加者は吸われているだけだった。こちらはカウンターエリートの世界だ。

ではエリート側はどうか。高学歴を増やそうとしている。学校経営で富裕層は儲かる。市民はエリートとして生きられると誘われているが、席の拡大はなく競争が厳しくなり、エリートが選びたいように選べる。(追:その舵取りは急激に変わったようだ)

すでに社会の席が足りなくて無敵の人を産んでいる。個人の適性に従って、技能を身につける方面などを充実させて、そういう金や数値以外の価値で生きていけないものだろうか。高等教育無償化自体には反対しないのだが、ただ結局は中身が酷すぎるといった予感はこれも当てはまってしまった。勉強したくないといっている学生がこれだけ多いのに、社会が金を出して大学に行かせる意義はないというだけではなかった。

今ある情報全部がどっちもどっち、エリート各派のどれに隷属するかだ。そのどちらでもないスタンスが、自分で現実的に考えることができていることだ。だからといってそれが正解だとかいうこともない。正解を掴んでいるのではなく、たいがいにしないといかんよと思っているだけだ。


ところでアメリカは金権国家。金持ちが権威になり、制御権をつかむ。上位1%に主導権がある。だから〇〇スタイン問題は恐ろしいのだ。世界人類の上位0.1%にハニトラなり弱みをつかんだら、地球の覇者になれる。

金権国家の他には軍閥国家、官僚制、宗教やイデオロギー側が力を持つ場合などがある。「制御権をつかむ」まあ身近にも、内輪で「主導権」をつかんでくる者は少なくない。ぼくらは案外それを許してしまっている。そのような個別間の歪みが全体に至るとどうなるのか?ここが絶望ポイントなのだが、民主主義は全く機能していないのだそうだ。

それ自体は意外でもなんでもなかったが、この本でしっかりと説明されてしまうと嫌になってしまう。民主主義政治では国民投票で代表者が選ばれて、間接的に国民の意見が採用されるなどと公民の時間に習っているが、ゼロ。全くの嘘。特に低所得者層の意見が採用されたことは民主主義史上見当たらないレベルだそうで、中間層の意見が富裕層の都合と合致した場合にのみ庶民の意見が採用されるだけなのだそうだ。ドナルド・トランプは皮肉にも、例外的に公約を実現しようと動いた。本来は正しいはずだ。しかし現実の権力は普通、公約など守らない。(トランプ!公約など守るな!)

国民が選んだ策など普通行われない。しかし本当に国民の選択を実行されたらどうしようもない世界になってしまう。いったいなんなんだ民主主義は。「政治だ政治だ」という声があるけれどもあれはもうほとんど「わっしょいわっしょい」といっているのと同じことで、ノるためだけの発音だった。再びいうが、嫌になった。

例外はあるが、ほぼ社会は変えられない。ただし社会は変わっていく。インフラなどの変化で、言いくるめられなくなっていったりなどして。革命があったじゃないかといわれそうだが、あれはイデオロギー支配への転換で、エリート層が牛耳る構造に変わりはない。

そうではなく、インターネットを開発しましたとか、情報媒体を液晶画面にしましたとか、そういった社会道具を変えることで、人間社会は変わっていく。そのように[社会]は変わっていくけれど、[世間]はそもそも変えるものではない。人間は世間に変えられるというか世間に育てられる。フォーマットのようなものだ。

絶望の次には、「なんだ、そんなもんか」と呆気に取られた。社会が拡大期でなければ、調子に乗ることは社会毒。停滞縮小の現在は、おそらく基本をしっかりとつかんでいくしかない。

社会生活の基本とはなんだろうか。現代では例えば、ゴミはゴミ箱に捨てるだとか、扉や蓋は開けたら閉めるとか、物は元の位置に戻すとか片付けるとか、そういったことだ。工程や行程を端折らずに、面倒だとかそう思うことなく、ただやるべき工程をやるだけ。損得で考えるようでは間違っていく。

焼肉のタレはよく振ってから使うが、蓋を閉めない人がいると食卓が大変なことになる。誰かがほんの一工程の蓋締めをしなかったために、後始末はどれだけの工程をしなければならないか。振る前に蓋が閉まっているか確認を怠ったのは基本を忘れているのだが、それをうっかり忘れることはある。そもそも蓋を閉めない人が前提を壊している。えてして、蓋を閉めない者ほど後始末を他人に押し付ける。そもそも蓋もやっておらず何もしていない。さらには文句を言い、偉そうに蓋の確認をしなかったのかと罵る。そのようにして社会も、他者に負担を任せ、面倒は他人にやらせ、後先なしに我先に金儲けしている。そうでなければ現在的な金銭の獲得(レバレッジ)は不可能だ。現実はそれでリーマンショックなど起きる。

とかくぼくらはショートカットしたがる。これは基本を忘れている。単語をつかみながら、じっくり本を読むべきなのだ。基本だし、こうしなければ学びにならない。「あー知ってるそれ読んだ」といっても、ほとんど内容を思い出せないのではどうしようもない。もう一回やり直し。ぼくのことだ。

現在の多くの国家は口喧嘩による内戦が勃発している。口を動かさずに手足を動かすべきだった。これからは特にそれが効いてくる。理想がとか、こうあるべきなどという前に、草取りやどぶさらい、片付けや洗濯物を収納するしかないし、ひとまず無給でそうやる。無給というより、行きがあったら帰りが必ずあるもの。それが生きる基本が身についていることだ。

シリコンバレーやインフォメーションビジネス。彼らはかつて社会を変える夢を追っていた。(顔ぶれは別になったのだろうけど) しかし今では金融上の発明、金を追うばかりだ。これでは確かに社会や文明は狂ってしまう。それは基本を守って落ち着いて考えたらそうなる。

社会は手の仕事に賃金を支払うようにしたらいいわけだ。地方の雇用がないという問題ではなく、東京のやり方、インフォメーションの拡大が生態系的限界にきて現実がマテリアルがフィジカルが窒息しているのだ。地方活性化ではなく、東京的発信的権威性をどうにかしなければならない問題だ。どうしようもない。


情報の影響も分析されていた。

「三種類の個人を追跡する」「ひとつめは無邪気なタイプで、疫学的枠組みにおける感受性保持者に相当する」「成人になった時点で各個人はまずここに分類される」「無邪気な個人は、急進的なタイプ(疫学モデルにおける感染者に相当の個人)に曝露することによって急進化する」「人口の中に急進派が多いほど、無邪気な個人が急進主義ウィルスに感染する確率は高くなる」「テロリストや革命家の集団が成長し、膨大な数の人々が彼らを支援するようになる」「内戦勃発の可能性が高まる」

「火花によって引き起こされた最初の火事が燃え広がるかどうかは、可燃物が近くにあるか、別の区画へと火が移るか否かによって決まる」

だから格差、社会への恨みは恐ろしい。燃料備蓄となってあとからくる。問題なのではなく結果だ。

「無邪気、急進派に加えて、三つ目のタイプの個人となるのが穏健派だ(免疫保持者)」「この集団を構成するのはもと急進派で、彼らは急進主義や暴力に対して幻滅し、社会のメンバーは団結して意見の相違を克服する必要があるという結論に辿り着いた」

どっちもどっちだと思っているぼくも、この括りに入るのかもしれない。一応社会的な活動はしてきたし。

「穏健派は無邪気な個人と異なり、何より平和と秩序を重んじ、その実現のために積極的に活動する」「穏健派の数が増え、不安定性を抑制する穏健な影響力を発揮するほど、急進主義による感染は減る」

しかしイキった空気に包まれている限り焼け石に水だ。実際どうしたらいいのか。

「相対賃金を平衡水準まで引き上げ、その水準を維持しなくてはならない」

「市場資本主義と進歩主義的な社会的価値観の結婚は、アメリカ経済市場最も破壊的な組み合わせかもしれない。多様化の流れに乗ることは、賃金を下げるよりもずっと安上がりだ」

民主主義は金権エリートに弱すぎる。こういうことだった。

「民主主義制度は社会を統治するいちばんマシな方法であるにも関わらず、富豪集団による破壊行為に対して非常に脆弱である」「富豪たちは富を使ってマスメディアを買収し、シンクタンクに資金を提供し、自分に都合のいいメッセージを広めてくれる社会的インフルエンサーに気前よく報酬を与える」「「選挙の誘導や政治家へのロビー活動といった露骨な形態の権力もまた、富裕層の政治的思惑を推進する上で大きな効果を発揮する」

ロビー活動で政治を動かすことは、広告で大衆を動かすこととどう違うだろうか。ビジネス批判がタブーならロビー活動だって同じことだ。国民の票はなんなのだろうか。

「大切なのは、全員の利益のために行動するよう彼らを抑制することだ」

基本を忘れずに、一個一個やって、それでたまたま理解されたらいいくらいに思って生きることだろう。本との関わり合いもそうだし、絵画もオーケストラもコーヒーを味わうときもそうだ。


なぜぼくらは、思っていることをいう事にしているのだろう。そんなことをしたらバチバチするに決まっている。世間的な浅い接続と、それによる時間がかかる確実な繋がりはどうして忘れられているのだろう。

まあ、疑問で終わるのではなく、ぼくなりの、現状での結論がある。これは、特に状況で変わっていくだろうけども。

昭和的な、中間層的な生活と生活感覚に寄せるように心がけること。昭和的な神器家電が揃った程度での暮らしくらいが現在世代にとってのスタンダード、いきすぎていない生き方なのだろう。家政の負担がマシになったくらいの段階で、過度に端折ろうとしていない心だ。また極端に純化した考えを持たずに、[社会]と[世間]が事故を起こしていると考えて、出過ぎを抑えるくらいのものの見方でいい。

そうでないと、自分がすべきことと現実があまりに離れすぎていて絶望してしまう。

あまり他人の話はしない方がいい。そういった投稿に慣れて感染し、ぼくらもここにはないことばかり言うようになっている。自分の心を語る力を失ってはどうしようもない。他人のことをいうのはひとまずどうでもいいことだ。

名詞の暗記ばかりになって識別が高度になっても、目の前の空間で様子を読み取る形容詞や動詞的な扱いを弱らせて消費社会専門になってはどうしようもない。フィジカルに表現を取り戻すことだ。自分でわかることを強くするんだ。放っておかれたら伸びる部分が大事だ。


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