Vol.06:「整える」ことで、表現は自分のものになる〜AIを道具で終わらせないために〜
AIが出してくるものって、よく整ってるんですよね。
言葉の流れも自然だし、構図も破綻していない。
でも、それだけじゃ「自分の表現」としてはどこか物足りない。
今回は「整える」ということについて。
出てきたままをそのまま使うのではなく、そこにどう“自分”を加えていくか。
最近あらためて感じていることを整理してみます。
見た目はいい。でも、ちょっと整いすぎてる
AIが出してくるコピーや画像って、だいたい見た目が悪くないんです。
流れもまとまってるし、変な言い回しも少ない。
でも、「あ、これでいこう」とはならない。
なんでだろう?って考えたときに思うのは、“自分がどうしたいか”が入っていないから、なんですよね。
整えるって、意味をつけ直すこと
整えるというと、言葉を直すとか、構図をちょっと調整するようなイメージかもしれません。
でも実際には、自分なりの意味をそこに加えていくことのほうが近いですね。
文章の順番を入れ替えるとか、強すぎる言葉をやわらかくするとか、逆に、ちょっと曖昧な表現をピリッとさせるとか。
そんな細かい修正を積み重ねていくと、「あ、これはもう自分の言葉だな」って思えてくる。
それが“整える”という行為の実感に近い気がしています。
整える前に、AIとの対話が大事になる
最近とくに感じるのは、整える力も大事だけど、
その前にどんな出力を引き出せるかが意外と大きい。
そしてその質は、やっぱりAIとの対話の深さで決まる。
どう伝えるか、どう問いかけるか。
そこに手をかけるほど、返ってくる言葉も変わってくる気がしています。
多くの人は「キーワードとターゲットを入れれば、いい感じの文章が出てくる」と思いがちですが、実際はそんな単純じゃありません。
その人の考え方や言いたいことって、もっと複雑で、もっと個人的なはずです。
なぜそれを書くのか。
どこで引っかかっているのか。
どういう順番で伝えれば届くのか。
そういったことをAIとやりとりしながら少しずつ引き出していくことで、ようやく“使える素材”が出てくる。
それがあるから、整える意味が生まれる。
整えるには、知識とセンスもいる
AIとのやりとりのあとに整えていくとして、そこでもうひとつ大事なのが、以前お話した知識とセンスです。
「なんか違う気がする」っていう感覚、実はそれ、ちゃんとした背景があってこそ働くんですよね。
この順番じゃ伝わらないとか、この表現じゃトーンが合わないとか、そういう違和感に気づけるのは、これまでの積み重ねがあるからこそ。
整えるという行為は、“知っているから見えてくるズレ”に向き合う作業だと思っています。
自分の声が宿る整え方
僕の場合、こういう整え方をしています。
順番を入れ替える
言い回しのトーンを調整する
情報の重心を変える
伝える相手にあわせて、言葉の“抜き差し”をする
見出しと本文のテンションが合ってるか、パッと読んで意味が入ってくるか、そういう部分も見直す対象になります。
やってることは地味ですけど、それを通して“自分の声”が乗ってくるんですよね。
整えるというより、組み直すこともある
ときどき、出てきた構成そのものをガラッと変えることもあります。
冒頭を削ったり、軸を再定義したり。
そうなるともう「整える」ではなくて、「再構成」に近い。
でも、それをやることでようやく「これ、自分が言いたかったことだな」という感覚になるんです。
喋ってる感覚が戻ってくる
最初は「AIが書いたものを見てる」って感じなんですけど、整えていくうちに、「これは自分が話してる文章だな」って思える瞬間が出てくる。
その感覚が戻ってくると、ようやく主導権を取り戻せたな、って思います。
整えることは、共著すること
整えるって、ただ直すんじゃなくて、共著している実感を持つことでもあります。
AIが書いたものを、「こうじゃない」「こうすれば伝わる」って選び直す。
順番を変えたり、言い回しを手直ししたり。
それをしてはじめて、“自分が編集した文章”になる。
もしAIが共著者だとすれば、こちらは編集者であり、語り手でもある。
そういう関係になれたとき、ようやく表現は「自分のもの」になる気がします。
おわりに
整えるという作業には、地味だけど確かな意味がある。
それをやることで、「これは自分の言葉だ」と思えるし、AIが単なるツールじゃなく、補佐としてちゃんと機能してくれるようになる。
次回は、そうやって整えた表現が、実際の仕事ややりとりの中でどう受け取られているか。
クライアントとの関係や、AIを使っていることをどう伝えるかについて書いてみます。
