忘れ物をなくす工夫と、忘れたあとに戻る力
出かける直前、子どものバッグをもう一度開ける。
ハンカチはある。
たぶん、あとは大丈夫。
本人は「ちゃんと準備した」と言っている。
それでも、本人の言葉だけで家を出るのは少し怖い。
忘れたら困るのは本人だから。
出先で予定が止まるかもしれないから。
結局、どうにかするのは自分になるから。
気づけば、持ち物を覚えるのも、確認するのも、忘れたあとの対応も、ほとんど親が引き受けていることがあります。
それは、子どもを困らせたくなくて続けてきた支えです。
確認すること自体が悪い、という話ではありません。
ただ、忘れないための仕組みとは別に、もう一つ知っておいてもよいことがあります。
忘れたあとにも、道はあるということです。
忘れ物を減らす工夫をやめる、という話ではありません。
準備を続けながら、起きてしまった日の戻り方も持っておく、という話です。
仕組みを使っても、忘れる日はある
前の日に準備する。
持ち物表を見る。
玄関の決まった場所に置く。
忘れないための仕組みは、生活を助けてくれます。
親がそばにいない場面でも、本人が使える仕組みや助けの求め方があると、生活は少し続けやすくなります。
でも、仕組みがあれば忘れ物がゼロになるかというと、そうではありません。
私自身も、
「今日はきちんと準備できた」
と思って出かけて、着いた先で必要な物がないことに気づくことがあります。
その瞬間、頭の中が「ない」でいっぱいになります。
どうして確認しなかったのか。
また忘れた。
次からは気をつけないと。
そう考えても、いま手元にない事実は変わりません。
次から忘れない方法を考えることと、いま起きている忘れ物に対応することは、別の問題です。
その場でまず必要なのは、今日の予定をどう続けるかです。
「忘れた。どうしよう」で止まってしまう
忘れ物をしたとき、困るのは物がないことだけではありません。
怒られるかもしれない。
間に合わないかもしれない。
自分だけ持っていない。
誰に何と言えばよいのか分からない。
いくつものことが一度に浮かんで、次の一手が出てこなくなることがあります。
大人から見れば
「代わりの物でいい」
「なくてもできる方法がある」
と思える場面でも、本人にはその選択肢が見えていないことがあります。
「どうするの?」
と聞かれても、答えられない。
考える気がないのではありません。
焦りの中で、知っているはずの方法を取り出せなくなっているのかもしれません。
そんなときは、大人の方から、
「代わりに使える物はあるかな」
「今日は、なくても続けられそうかな」
と伝えるだけで十分なこともあります。
その日、自分一人で解決できなくてもかまいません。
忘れたあとにも次の行動があると知ることの方が先です。
まずは、失敗が大きくなりにくい場面から
忘れたあとの対応を、いきなり学校で本人に任せる必要はありません。
学校には授業の時間があります。
周りの子が準備を終えている中で、先生に状況を伝え、その場で方法を選ぶ必要があります。
時間、周囲の視線、説明が同時に重なると、忘れ物そのものより焦りや恥ずかしさが大きくなり、立て直すまでに時間がかかることがあります。
最初に試す場としては、負荷が高い場面です。
学校では、友達の持ち物や善意を前提にするのではなく、まず先生へ状況を伝え、学校のルールや予備の扱いを確認する必要があります。
だから最初は、家族と出かけたときくらいでよいのだと思います。
たとえば、出先でハンカチを忘れたことに気づいたとき。
すぐに親が全部決める前に、
「困ったね。今日はどうしようか」
と、一度だけ立ち止まってみる。
本人から方法が出てこなければ、
「代わりに使える物はあるかな」
「今日は、なくても続けられそうかな」
と、使えそうな方法を一つか二つ置いてみる。
本人だけで解決できなくてもかまいません。
大人と一緒に、「忘れた」から「では、どうするか」まで進んだ経験が残ります。
わざと忘れさせる必要はありません。
薬や鍵など、安全に関わる物で試す話でもありません。
日常の中で自然に起きた、影響の小さい忘れ物のときに、その先を一緒に見てみる。
それだけです。

親が決める日にも、経験は残せる
出発時間が迫っている日があります。
きょうだいが待っている日があります。
予約や大切な予定で、立ち止まる余裕がない日もあります。
そういう日は、親がすぐに決めてよいと思います。
忘れ物が起きるたびに、全部を学びの時間に変えなくてかまいません。
本人が混乱しているときに、無理に答えを出させなくてもよい。
届ける。
代わりを用意する。
その日の方法を決める。
それ自体が、自立を妨げるわけではありません。
ただ、親の中だけで対応が終わると、本人には、何が起きて、どう戻れたのかが見えないままになることがあります。
助けたあとで
「今日は、これで続けられたね」
「なくても別のやり方でいけたね」
と短く返す。
それだけでも、その経験は本人にも残りやすくなります。
親が全部やるか、本人に全部任せるか。
その二つだけではありません。
忘れた日にも、生活は続く
忘れないための工夫は必要です。
本人が使える仕組みや、助けの求め方を増やしていくことも大切です。
それでも、忘れる日はあります。
困ったと伝える。
予備が使えるか確認する。
代わりの方法を探す。
なくても続けられるか考える。
このうちどれか一つを知っているだけで
「忘れた。どうしよう」
で止まる時間が、少し短くなることがあります。
忘れ物をした日は、準備がうまくいかなかった日かもしれません。
それでも、
困ったと言えた日。
助けを借りられた日。
別の方法で予定に戻れた日。
でもあります。
忘れないための仕組みに、忘れたあとに戻る道を一つ足す。
それも、本人がこの先の生活を続けていくための準備なのだと思います。
