0496 信長から紀州を守り続けた八咫烏(ヤタガラス)「矢宮神社」(和歌山県)
矢宮神社のご利益
仕事運、開運・運気上昇、勝負運、交通安全
矢宮神社の360度ビュー
矢宮神社について
御祭神は賀茂建津之身命で、これは神武天皇東征の時に道を示した八咫烏命のことです。今では日本サッカー協会のシンボルマークとして有名です。
仕事運、開運・運気上昇、勝負運、交通安全のパワースポットです。
織田信長が苦戦をしたり、不覚を取った戦いの相手は限られていますが、八咫烏のご利益で、石山合戦では鈴木重秀(雑賀孫市)は鉄砲5000丁の威力も相まって、信長を長きにわたり大いに苦しめました。
ただし、天正5年(1577)の信長の雑賀攻めで社殿を焼失しています。
のちに寛永14年(1637)に紀州藩主徳川頼宣によって再興されました。
神社には鈴木重秀が戦の際に使用した、ほら貝が保管されています。
天正8年(1580)に石山本願寺が落城し、顕如、教如の父子は紀州の雑賀党に身を寄せました。教如上人は信長勢の寄手に追撃され、食糧も尽き危うい所、長刀を水車の様に振り回す端麗な女人が顕れ敵を近づけませんでした。
天正10年(1582)になると本能寺の変が起こり、信長はこの世を去り、寄手は引き揚げたため事なきを得ました。先の端麗な女人は「矢宮大明神人の化現」とされ、神社の御祭神の霊験は大いに称えられました。
その後は紀州藩主の崇敬特に厚く、紀州はもちろん、阿波、讃岐、淡路、和泉の崇敬者も多く、明治維新頃も大いに参詣者でにぎわいました。
見どころとしては、一の鳥居・二の鳥居、徳川頼宣寄進の石燈籠、夫婦岩、境内社6社などが整然と配置され、境内は気持ちよく整備されています。
スピリチュアルな話としては、地域や氏子に異変があると、神馬舎の中にいる神馬が飛び出し、御祭神の八咫烏が神馬に乗って助けてくれます。
