「まさか自分が」精神デイケアで感じたこと

数日前、初めて精神のデイケアに行きました。
正直、自分には縁のない場所だと思っていたし、まさか自分が通うことになるなんて、夢にも思っていませんでした。

私が通っているところは、音楽療法やボードゲームなどの「リラックス系」のプログラムだけで、いわゆる「勉強系」のものはありません。
私は「勉強系だけでいい」と思っているけれど、たぶんそれは、これまでずっと頑張ってきたからこそ、頑張り癖が残っているのかもしれません。

自分は精神病なのか、それとも発達障害なのか、正直よくわかりません。
昔は、「私はNT(定型発達)だ」と信じて疑わなかったから、精神の病や発達障害のある人たちを、どこか自分とは違う存在として見ていました。

でも今、自分がASDかもしれない、少なくともグレーゾーンなんだと分かってくると、だんだんこう思えてきました。
「もう、頑張らなくていい。もし“低位”でも、それでいいから、楽になりたい」って。

デイケアで出会った人たちからは、どこか「自分と同じ匂い」がしました。
雰囲気が似ている。
そしてふと気づいたんです。
きっと、NTの人たちには、私は最初からこの人たちと同じように見えていたんだろうな、と。

私は必死に普通のふりをして、頑張っていたけれど、それでもなぜか目をつけられて、仮面をかぶった口のうまい人たちのサンドバッグになってしまう。
ずっと「なぜ?」と思っていたけど、今ならなんとなくわかる気がします。

もしかしたら、NTたちはこんなふうに感じていたのかもしれません。

「おいおい、違うって。あなたと私は違う。同じじゃないよ。まぁ、みんなの前では仲良くしてあげるけど、裏ではちゃんと線引きするからね。調子に乗らないでよ。」

みんなの前では“仲良く”して、でもいなくなったとたんに態度が変わる。
そういうことが、ずっとあった。
そして、ようやく私は理解しました。「ああ、そういうことだったのか」って。

だったらもう、無理して頑張らなくていい。
「自分を受け入れてくれる場所」にいればそれでいい。
もしデイケアがそんな場所になれるなら、それでいい。

「ピアサポート」と呼ばれる場にも行ったことがありますが、そこはちょっとカオスでした。
支援者は元・当事者だからこそ気持ちは分かってくれるのかもしれないけど、当事者同士の間で、まるで“獲物”のように誰かをターゲットにする人もいて……。
そういう姿を、何度か見てきました。

だからこそ、今、私は祈っています。
デイケアが「安全な場所」であってほしい、と。
そのためには、あまり関わらず、しゃべらず、ただ“そこにいる”だけでいいのかもしれない。
そう思っています。

いいなと思ったら応援しよう!