【5話】灯りの家へおかえり。-ある日、魔女は少女を拾った-
街へおでかけ
「あなたは貴族の娘ですから、決して自分の立場を忘れてはいけません」
暗い色の髪を持った貴婦人は目の前に座る幼い少女に言った。
綺麗な服に身を包み、磨き抜かれたカトラリーを手に取る。貴婦人も貴族の娘として学んだことだ。
同じ髪色を持つ少女は真剣な面持ちでその人の話を聞いている。
「椅子に座るときは背筋を伸ばして」
そう言われて、少女は背筋を伸ばす。
「カトラリーは音を立てず、優雅に食事をすること」
「お、お母」
「上手く話せないなら口を開くのではありません」
ピシャリと言われ、少女は黙った。そして、見本を見せる母親の姿を見て真似をする。
母親の振る舞いをじっと見つめている様子を見て、母親は目を細めた。
娘は上手く言葉を紡げない。話すことが難しいのなら、口を開く必要はないと教えたのは母親だった。下手に口を開いて、恥を晒すよりずっといい。
だから、一人の女性としての立ち振る舞いを教える義務があると考えていた。娘がどこかへ嫁ぐことになった際、それが彼女の強い味方になると信じていた。
「テーブルマナーも立ち振る舞いも、いつかあなたのためになります」
娘は彼女の言葉にうなずく。それを見て、母親は柔らかく微笑んだ。
「努力家のあなたですから、きっと素敵なレディになれますよ」
「母さん。今日、アリス借りていい?」
ノックもせずに扉が開かれる。顔を出したのはレベッカとエリックだった。
「アリスは物じゃないよ。アタシじゃなくて本人に聞くんだね」
魔女の言葉にレベッカはアリスと向き合った。アリスは一通り家事を終えて、お茶を飲んで休憩しているところだった。
「アリス。私たちと街へ行かない?」
レベッカの誘いにアリスは首をかしげる。レベッカの後ろからエリックが言葉を足した。
「街へ買い物に行こうと思うんだ。きっと婆ちゃんのことだから、アリスの物を買っていないのだろう?」
「そうそう。アリスの着ている服だって、私が昔着ていた物のおさがりだし、カップも靴も全部使い古し!」
レベッカが呆れたように魔女を見る。魔女は気にした様子もなくお茶を啜る。
「使える物を使って、何が悪いんだい」
「どうせなら、自分専用の物が欲しいでしょう?」
レベッカはそう言うと、アリスを見た。
「アリス。私が服を買ってあげる。靴も新しいものを買おう。あと、美味しいものも一緒に食べたいし、それに……」
要望ばかりをあげる彼女にアリスは困ったようにエリックに目を向けた。視線を受けてエリックが笑う。
「母さんは娘に憧れているんだよ。アリスが嫌じゃなかったら、僕たちと一緒に出かけよう」
アリスは魔女の様子を窺うように目を向けた。
「アンタが決めることだ。家事も終わっているんだから、好きなようにすればいい」
魔女の言葉にアリスはレベッカたちの方を見た。そして、笑顔でうなずく。
それを見てレベッカは嬉しそうな声をあげた。
「それじゃあ、三人で出かけましょう!」
レベッカに手を引かれ、アリスは魔女の方を見た。
「アタシは行かないよ。街は好きじゃないからね。アンタが楽しんで来れば、それでかまわないよ」
さっさと行けと言わんばかりに、魔女は手を振る。アリスは魔女に手を振り返すと二人と一緒に家を出た。
「あの家じゃ良い靴を履く機会は少ないかもしれないけど、ひとつあるといいわよね」
レベッカはそう言って靴屋に連れてきた。アリスは珍しそうに店の中を見ている。
「あら、レベッカ。いつの間に娘ができたの?」
知り合いなのか、店の人が声をかけてくる。レベッカは嬉しそうに笑いながら答えた。
「違うわ。私の妹みたいなものよ。この子に合いそうな靴を持ってきてくれる?」
店の人はアリスの足の大きさを測ると、靴を見繕いに行った。
「ついでにエリックも靴を見てきなさい。成長期ですぐに合わなくなるんだから」
「僕の分は一緒に選んでくれないの?」
「自分に合うものを選ぶのも商人の勉強よ」
エリックは肩をすくめて、手の空いている店の人に声をかけに行く。入れ違いになるように、さきほどの店の人がアリスの靴を持って戻ってきた。
「三つ見繕ってきたわ。他にもいいものはたくさんあるわよ」
靴を並べていく。すべて踵の高い靴だった。
アリスはじっと靴を見つめると、ひとつのものを選んだ。
「それは今、一番人気があるのよ。いいものを選んだわね」
「でも、踵の高い靴履けるかしら?」
ハラハラとしているレベッカをよそに、アリスは靴を履いた。ゆっくりと立ち上がると、アリスの背筋はピンと伸びる。姿勢が優雅になり、ゆっくりと歩く姿も綺麗で、危なっかしさもない。レベッカが目を見張って見ているのに対し、お店の人は華やいだ声を上げる。
「まあ! 貴族のお嬢様みたいね!」
店の人は、アリスの足の形に靴を作り直してくれると言う。アリスは靴に履きかえると、いつもの姿勢に戻った。
「母さん、僕の靴はこれがいい」
戻ってきたエリックはレベッカの表情に首をかしげる。
「どうしたの?」
「……いいえ。何でもないわ」
そのあともアリスは人気の服を自ら選んでみせた。アリス自身にも似合っており、何となくで選んだものではないとわかる。
「アリスには商人の才能があるかもしれないわね」
食事処に入ったレベッカは唸るようにして呟いた。
「母さんに聞いたけれど、家事も文字もすぐに覚えたというし、勉強させたらきっといい商人になると思うわ」
アリスは背筋を伸ばし、カトラリーを器用に使ってお菓子を食べている。レベッカはアリスの方に身を乗り出した。
「ねえ、アリス。あなた、エリックの嫁に来ない?」
レベッカの言葉に、エリックは咳き込みはじめた。
「か、母さん、何言ってんだよ!」
「だって、こんなに出来た子は滅多に現れないもの。アリスだったら、母さんのことも大切にしてくれるから、今後も薬を仕入れてくれるだろうし……」
将来を想定してブツブツと呟く様子に、エリックは不満そうな顔をした。
「僕だって、婆ちゃんのことは大切に思っているよ」
「じゃあ、あなたはうちの店を継ぐ気があるの?」
「それは……」
エリックは店を継ぐことを躊躇っていることを口にしたことはなかった。だが、母親はわかっているようだった。
「私も将来を自由にさせてもらった身だから、あなたの選んだ道を尊重したいと思っているわ。けれど、その選択が私や店の人たちにも影響があることを忘れないでちょうだい」
エリックは何も言えず黙り込む。レベッカはそんな息子をちらりと見てから、またアリスと向き合った。
「アリス。ゆっくり悩んでね。私はあなたの選択も尊重したいのよ」
アリスはうなずくことも首を横に振ることもせずにレベッカの顔を見つめた。
店を出ると、三人で街の中を歩いた。
アリスは視線をきょろきょろとさせて歩いている。レベッカはそんなアリスの手を取った。アリスは彼女を見上げる。
「転ぶといけないから、繋いで歩きましょう。いいかしら?」
アリスはうなずくと、また視線を街へと向けた。
街の中だけでもいろんな景色が見えた。魔女の住む家とは違い、背の高い建物があれば、横に長い建物もある。レンガ造りの家や木造の家も並んでおり、その間を歩く人々の恰好も様々だった。薄手の一枚の服を着た者、何枚も重ね着をした者、髪飾りを着けた者もいれば、布をふんだんに使ったスカートを身に着けた者もいる。
「この街は商人や職人が住んでいるの。私たちの住む家もあるわ」
歩いている場所は店のような建物が立ち並んでいる。アリスたちと同じように客が店の中へと入っていった。
「今度は私たちの家に来てちょうだいね。あなたの興味のあるものがあるかもしれないわ」
「あと、街の外れは危ないから行ってはだめだよ」
エリックの言葉にアリスは首をかしげる。レベッカは頬に手を当てて、眉間に皺を寄せた。
「貧民層……働いて食べていけない人たちがたくさんいるの。そういう人たちは何をするにも躊躇いがないわ。だから、決して行ってはだめよ」
エリックは街の奥を指差す。そこには店よりも大きな建物が見えた。
「貴族様たちが住むのはもっと向こう側。たまにお忍びで街に来ることもあると聞いたけど、どうなんだろうね?」
アリスは周りを見渡すと、大きく目を見開いた。
「…………っ」
不意にアリスの手がすり抜ける。
「アリス!」
彼女は誰かに駆け寄って、その人の手を取った。
「アリス、どうしたのよ!」
レベッカがアリスに追いつく。アリスに手を掴まれた女性は、信じられないものを見る目でアリスを見ていた。
「……アドレイド?」
女性はアリスに向かって問いかける。アリスは嬉しそうにうなずいた。
「……そんな、どうして」
困惑した表情を見せる女性にレベッカは近づく。
「あの、もしかして……あなたはその子のお母さんですか?」
レベッカの問いかけに、女性はハッと顔を上げた。
「え、ええ。そうよ」
気持ちを整えるように女性は深呼吸をする。そしてぽろぽろと涙を零しはじめた。
「ごめんなさい。驚いてしまって……もう戻ってこないと思ったから」
女性はアリスの手を取ると、彼女に尋ねた。
「抱きしめてもいいかしら?」
アリスはうなずく。女性は嬉しそうに彼女を抱きしめた。
「……戻ってきてくれてありがとう」
アリスの母親はカトリーナ・フォワードと名乗った。
「フォワードって、この街に住むお貴族様……」
「今日もお忍びなのよ。内緒にしてちょうだいね」
カトリーナは少し恥ずかしそうに笑う。
「お忍びでアドレイドを連れてきたのがいけなかったの。彼女は私が目を離した隙に人さらいに連れていかれたわ」
悲痛な面持ちにアリスは心配そうに母親の顔を覗き込む。カトリーナはアリスの頭を軽く撫でるとレベッカと向き合った。
「今回は娘を助けていただいて、何と言ったら良いか……」
「いいえ。私たちは彼女を保護した人の家族です。お礼は本人に言ってほしいですが……気難しい人なので、お礼を受けてくれるかは私から確認しますね」
「ありがとう。……アドレイドを連れて帰りたいの。いいかしら?」
その言葉にレベッカとエリックは顔を見合わせた。レベッカがおずおずとした様子で言葉を返す。
「私たちが保護したわけではないので……本人に一度聞いてもよろしいですか?」
カトリーナは不思議そうな顔をした。
「どうして?」
「最後の別れもしたいでしょうし……」
エリックは親同士の会話を聞きながら、アリスの方に目を向けた。彼女は不思議そうに目を瞬かせている。そんな彼女にエリックは尋ねた。
「ねえ、アリス……いや、アドレイド。お母さんのもとに帰りたい?」
アリスはその問いに首を横に振った。
その様子を見ていたカトリーナは信じられないという表情をした。レベッカは慌てたようにアリスの横に立った。
「突然のことで、この子も戸惑っているんだと思います。だから、一日だけお時間をいただけないでしょうか?」
レベッカの言葉にカトリーナはうなずいた。
「……わかったわ。明日、連れてきてちょうだい」
待ち合わせ場所を決めると、レベッカたちはその場を後にした。
帰りの馬車の中、レベッカはアリスに尋ねる。
「どうしてお母さんのもとに戻りたくないの?」
アリスはレベッカをじっと見つめる。彼女からは答えは出て来なかった。
魔女の家に帰ると、レベッカは今日のことを話した。
「本当に偶然だけれど、アリスの母親が彼女を連れて帰りたいと言うのよ」
魔女は「ふうん」と話を聞くと、アリスの方を向いた。
「アンタ、アドレイドっていうのかい? 似合わないねえ」
「ちょっと母さん。聞いてるの?」
「聞いているさ。この家から出るって話だろう?」
魔女はアリスの淹れたお茶を飲むと息を吐く。
「灯りの家は、去る者を拒まない。好きにすればいいさ」
アリスは石板を魔女に見せる。
『ここに残りたい』
魔女はちらりとそれを見ると、「おすすめしないね」と言った。
「ここは居場所のない者たちが住むところだ。アンタには居場所がある。なら、そこに戻るべきだよ」
アリスは視線を下げる。彼女はそれ以上書き込まず、石板を置いた。
エリックは心配そうに彼女を見る。
「それでいいの?」
「…………」
アリスはうなずかない。けれど魔女はそれを無視した。
「服は好きなものを持っていけばいい。まあ、貴族様のところで着られるものなんてないだろうけどね」
「服は今日買ったものが上等だから、それでいいかしら。靴は……仕方ないけれど、まだできていないから持っていけないわね」
大人たちは決まったことのように話を進めていく。エリックは不満そうに眉をしかめた。
「アリスの気持ちを尊重するんじゃなかったの?」
レベッカは困った表情をして、エリックと向き合う。
「……本当は、私も嫌よ。アリスが嫌がっているんだから。でもね、お貴族様には簡単に逆らえないの」
そんな母親にエリックは納得できないという表情を向ける。
「……あなたの気持ちもわかるわ」
レベッカはそれ以上、エリックに取り合わなかった。
「アリス、持っていきたいものを選びましょう。私も一緒に詰めてあげるわ」
アリスとレベッカは荷物をまとめはじめた。エリックは魔女に視線を向ける。
「婆ちゃんはそれでいいの?」
「…………」
魔女は何も答えない。だが、その目はずっとアリスを見つめていた。
次の日、アリスは馬車に乗って街へと向かった。魔女はついていかないと言い張って、家に残った。
「……幸せになりな」
魔女がアリスに言ったのは、その言葉だけだった。
約束の場所へ向かえば、カトリーナが一人で待っていた。
「付き人はいらっしゃらないのですか?」
レベッカの言葉にカトリーナは困った表情をする。
「お忍びで来ていたことを知られてはいけないのよ」
レベッカは不思議に思いながらも、アリスを引き渡した。
アリスはじっとレベッカたちの方を見ている。けれども、カトリーナに連れられて、その場を去っていった。
レベッカたちと別れて、カトリーナは息を吐いた。
「ここから少し歩くの。大丈夫かしら?」
アリスがうなずくのを見て、カトリーナは彼女の手を取った。
カトリーナは街の外れへ向かって歩いていく。街並が変わっていき、歩いている人たちの服装も変わっていった。薄汚れた格好をした人たちに視線を向けられる。上等な服を着ている自分たちは妙に目立った。
カトリーナに連れられて着いたのは、昔住んでいたところではなかった。薄汚れた建物で、中に入るといくつもの部屋がある。集合住宅のようだった。
カトリーナは迷うことなく、一つの部屋に入った。そして、アリスと向き合った。
「……アドレイド。本当に帰ってきてくれてありがとう。うれしいわ」
母親にそう言われて、アリスは嬉しそうに笑う。カトリーナはアリスに視線を合わせる。
「こんなにも大きくなって。文字も家事も覚えたのでしょう? 本当にすごいわ」
物置のように狭い部屋でカトリーナは娘を抱きしめた。
「これでまた、あなたの価値が上がったのね」
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