【7話】灯りの家へおかえり。-ある日、魔女は少女を拾った-
「ただいま」と「おかえり」
少女は石板に文字を書く。まだ綺麗に書けない文字を使って魔女と筆談をするのだ。
「最近困っていることはあるかい?」
魔女の問いに少女は考えるように天井を見ると、石板に短い文を書いた。
『言葉を話すことは大切?』
魔女はそれを見て鼻を鳴らした。
「話すことができても、言葉が通じないやつなんてたくさんいるさ。言いたいことが伝わるなら、その方法は何だっていい。アンタの好きなようにすればいいさ」
『ずっと話せなくてもいいの?』
「話せるようになりたいなら、そうすればいい。家を出て何かをしたいのなら、言葉を話すことも大切になる。……けど、ここにいるうちは誰も話せないことを咎めない」
魔女は少女の暗い色の髪を撫でる。
「ここは『灯りの家』さ。どんなやつでもこの家は受け入れてくれる。ここはそういうところさ」
少女は石板をじっと見つめると、文字を連ねる。
『話したくなったら、話してもいいの?』
その文字を見て魔女は小さく笑う。
「当たり前だ。アンタが話したいと思うなら、好きなように話せばいい。どんな話でも、アタシはアンタの話を聞くよ」
魔女の言葉に少女は顔を綻ばせる。そして甘えるように魔女の肩に頬を摺り寄せた。
魔女は仕方なさそうに少女を見る。
「まったく仕方がない子だね」
そんな言葉でも少女は嬉しそうに笑っていた。
アリスは物置のような狭い部屋で、カトリーナと一緒に寝た。母親と一緒に寝るのは、はじめてのことだった。
「たまにはこういうのもいいわね」
カトリーナはアリスと離れてから、ひっそりとこの家に越してきたという。
「あの家広かったけど、気持ち的に窮屈だったでしょう?」
父親が死んだあと、あの家は父親の弟のものになった。弟と仲が良くなかったカトリーナは居心地の悪い思いをしていたという。
お金をもらって家を出てから実家を頼ろうとしたが、誰も助けてくれなかった。
「薄情な人たちよね。でも、私には子どもがいたから……」
アリスの一番上の兄は家に残った。カトリーナは次男とアリスだけを連れて家を出たという。
「本当はお兄ちゃんも一緒に連れて行きたかったの。でも、あの子は博識だったでしょう? 勉強もできて、しっかり者だったから当主に気に入られた。あの子の未来を潰したくなかったから、一緒にはいられなかったけれど……きっと、また私たちが帰れるようにしてくれるはずだわ」
カトリーナはぼんやりとした目で、けれどはっきりとした口調で言った。
「あなたたち二人だけを連れて、家を出たけど、仕送りは次第になくなっていって……だから、私も今は働いているのよ」
カトリーナは照れくさそうに笑った。
「自分でお金を稼ぐのはすごく大変だわ。でも、いつかあの家に戻るまで頑張りたいの」
そう言うと、カトリーナはアリスの方に身体を向けた。
「……私のこと恨んでいるかしら?」
アリスはカトリーナをじっと見た。
一緒に住んでいたころは、母親がとても大きい存在に見えていた。だが、目の前にいる彼女は普通の女性だった。
アリスは首を横に振る。カトリーナは安心したように笑った。
「そう言ってもらえて、よかったわ」
アリスは起き上がると、持ってきていた石板を手に取る。
『もう一人のお兄様はどこにいるの?』
次男の姿が見えない。カトリーナはその文字を見て、不思議そうに首をかしげる。
「……さあ。どこにいるんだろう?」
心配している様子のない母親にアリスは疑問に思った。
カトリーナはそのまま眠ってしまった。アリスは眠っている彼女を見つめ、頬に触れた。
最後に母親に触れたのはいつだろうか。淑女としての教育を受けているうちに、触れ合う機会はなくなってしまった。
アリスはふわりと欠伸をすると、母親の温もりを感じながら眠った。
カトリーナに起こされたのは、まだ誰も起きていないような時間だった。日も昇っていないのに、早く起きるように急かした。
「人に会う約束をしているのよ」
アリスに昨日着ていた服を着せると、カトリーナは外に出た。
外で夜を明かした人たちが道端で眠っている。アリスはカトリーナに手を引かれながら、彼らを見ていた。
街外れの、もっと人通りの少ないところへと歩いていく。
町外れには行ってはいけないとレベッカたちに言われていた。アリスは立ち止まるようにカトリーナの手を引っ張る。
「大丈夫だから」
カトリーナはそれだけ言って、アリスの方に目を向けなかった。
カトリーナが足を止めたのは、街の外だった。そこで誰かが立っている。彼らはアリスたちを見つけるとニヤリと笑った。
「よう、お嬢ちゃん。久しぶりだな」
声をかけられ、アリスは固まる。そこにいたのは、アリスを攫った男たちだった。
動けなくなってしまったアリスに対して、カトリーナは堂々としていた。
「逃がしちゃったんだってね?」
「お前が逃がしたんじゃないのか?」
「あんたたちがザルだったんでしょう?」
カトリーナは男たちの前にアリスを押し出す。何が起こっているかわからないまま、アリスは彼女に目を向ける。彼女は嬉しそうに笑っていた。
「この子はあなたたちから逃げてから、文字も家事も覚えたそうよ。……もちろん、前より高く買ってくれるわよね?」
母親の言葉にアリスは目を大きく開く。カトリーナの服の裾を引いても、彼女はこちらを見もしない。
「そんなことを仕込む暇なんてあったのかよ?」
「親切な方が仕込んでくれたのよ」
カトリーナの手を叩くと、やっとアリスの方を向いてくれた。
母親は微笑みながら娘に言う。
「ありがとう、アドレイド。私、あなたに感謝しているの。……あなたが戻ってきてくれたから、またお金が入るわ」
何を言っているのかわからなかった。口が開いたままになっている娘に、カトリーナは「ふふっ」と笑う。
「あなたを売ったとき、はじめて知ったの。人間ってお金になるのね。それに、貴族の生まれだからって、それだけで高くなるらしいの。驚いちゃった。だから、次男も売ったわ。でも、あの子はまだ勉強を教えていなかったから大した額にならなかったけれど……」
そこにいるのは知らない人だった。アリスが今まで接してきた母親ではない。カトリーナは微笑みながらアリスの顔を覗き込む。
「……ねえ、アドレイド。今のあなたはいくらになるかしら」
彼女は自分の娘を人間として見ていなかった。
「…………っ」
アリスは彼女の手から逃げ出そうとした。けれども、彼女の手はアリスを掴んで放さない。
カトリーナはアリスを男たちに引き渡そうとする。アリスは必死に首を横に振って抵抗しようとした。
「あ、あっ……」
出し方を忘れた声では助けを呼ぶこともできなかった。
男に腕を掴まれる。その力はカトリーナよりも強く、逃げ出すことができない。
アリスは必死に空へ手を伸ばした。そして強く願った。
あの魔女の姿を思い描きながら。
「――アンタたち、アタシの子に手を出す気かい?」
声とともに、地響きがした。グラグラと地面が揺れ、立っていられなくなる。男はアリスから手を離し、アリスは地面に尻もちをついた。
揺れが落ち着くと、男は声をあげた。
「何だ!?」
空から笑い声が響く。楽しそうに笑う声に男たちは空を見上げる。そこには箒に乗った魔女がいた。
大人たちは驚いて彼女を見ている。
「ま、魔女……?」
男の問いに魔女は微笑みながら答える。
「ああ、そうさ。アタシは魔女だよ」
魔女はゆっくり降り立つ。後ろからはレベッカとエリックも現れた。彼女らは男たちへ近づいてくる。
「ど、どうしてここに……」
「く、来るな!」
男たちは怒鳴るようにして魔女たちに言う。だが、彼女たちは動じる様子もない。
「それで、アタシの子をどうするつもりだい?」
魔女の言葉に男は理解できないというように顔をしかめた。
「は、ま、魔女の子だって?」
「ああ、そうさ。その子はアタシが育てた。正真正銘アタシの子さ」
男はアリスから離れるように、後ずさりをする。だが、カトリーナだけはアリスから離れなかった。アリスの腕を掴み、自分に引き寄せる。
「何言っているの! この子は私の子よ!」
「そっちこそ、何言ってんだい? アンタはその子を手放したのだろう? なら、もうアンタの子じゃないさ」
魔女はカトリーナをひと睨みする。彼女はグッと唇を噛む。
「それでもこの子は私の物よ」
「この子は物じゃない。一人の子どもさ。そして、自分の子を最後まで面倒を見るのが親の仕事だよ。……アンタは親に見えないね」
そう言いながら、魔女は杖を男たちに向ける。
「魔法を知っているだろう? 使い方によっては人を殺すこともできるものさ」
男たちは恐怖に顔を歪めながら、必死に声を出した。
「人を殺したら、確実に魔女裁判で処刑されるだろう!」
「何言ってんだい。バレなきゃいいのさ。アンタたちはここで消えるんだからね」
男たちは顔を真っ青にした。魔女は口元を歪める。楽しそうに笑む魔女の様子を見て、男たちは一歩、また一歩と後ろに下がる。
アリスは咄嗟に魔女たちの方へ走り出した。カトリーナが彼女を追おうと足を踏み出す。その足元に炎が走った。
「動くな」
エリックが彼らに手のひらを向ける。
「次は燃やす」
そう言うと、カトリーナは腰が抜けたように座り込んだ。
駆け寄るアリスを魔女は抱き寄せる。
「怖かっただろう? 待たせてすまなかったね」
魔女は微笑むと、アリスの肩を抱きかかえて男たちと向き合った。
「さあ、この子も戻ってきたことだ。アンタたちをどうしようかねぇ」
魔女は杖を彼らに向けながら、ニヤリと笑う。その様子を見て、男たちは震える声を絞り出した。
「話が違う。俺たちは人間の娘を買いに来たんだ」
「魔女の子なんていらねえよ!」
男たちは背を向けて走り出す。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
カトリーナはその男たちに助けを求めるように手を伸ばすが、彼らは見向きもせず走り去っていった。
魔女は彼らを追うこともせず、見えなくなるまで見ていた。そして、カトリーナの方に目を向ける。
「子どもを育てるのは大変だ。時間もお金もかかる。元貴族だとしても、それくらいわかるだろう?」
カトリーナは地面に目を向けたまま、顔を上げない。
「アンタにこの子を育てる覚悟はあるのかい?」
彼女は「ふふふ……」と力なく笑うとアリスを見た。
「……アドレイドは変な子だったわ。言葉は上手く話せないし、やることも普通の子とは違う……。私は一生懸命育てたわ。それなのに、こんな子が生まれたのは私のせいだって責められる私の気持ちがわかる?」
カトリーナは突き放すような目でアリスを見る。その頬には涙が零れていた。
「あなたは私の娘じゃないわ」
アリスは表情を変えずにその言葉を聞いた。一歩前に出ると、スカートを広げて腰を折る。
「…………」
優雅にお辞儀をする少女の姿に、カトリーナは視線を下げて唇を噛んだ。
カトリーナは立ち上がると、ふらふらとした足取りで街の中へ歩いていった。アリスはその背中を追うこともせず、ずっと見つめていた。
「大丈夫? 怖かったでしょう」
レベッカの言葉にアリスはうなずく。その反応を見て、レベッカは小さく笑う。
「家に帰りましょう? 今日は私が食事を作るわよ」
その言葉に魔女は嫌な顔をした。
「アンタ、料理は大の苦手だろう。おとなしくアリスに作らせな」
「あのねぇ……この子は怖い思いをしたばかりなんだから」
「僕も母さんの料理はやめた方がいいと思うな……」
「エリックもそんなこと言って!」
レベッカは子どものように頬を膨らませる。三人の様子を見て、アリスはくすりと笑う。そして、何かを決意をしたように魔女の服を引っ張った。
「何だい?」
アリスは一度視線を下げる。そして、もう一度顔を上げると口を開いた。
「ティ……ティアンナ……さん」
アリスの言葉に魔女は目を大きく見開く。
「……アンタ、話せるのかい?」
魔女の言葉にアリスはうなずく。けれど、けほけほと咳き込みはじめた。
「だ、大丈夫かい?」
心配をする魔女にアリスはうなずくと、真剣な顔をして必死に言葉を紡ぐ。
「わ、私は上手く話せないけど……えっと、あの……みんなに、お礼を、言いたいの」
アリスはスカートをぎゅっと握りしめると、三人に向かって言った。
「助けて、くれて、ありがとう」
アリスの言葉にレベッカは口元をおさえる。
「アリス……」
「母さん、この子の名前はアリスじゃないよ」
エリックの言葉にアリスは首を横に振る。
「私は、アリス、だよ。な、名前を付けてもらってから、み、みんなの前では、ずっと、アリスだよ」
アリスはそう言うと、魔女の方を見た。
「あ、あの……」
「……何だい」
「私は、あ、あなたの娘には、なれないけど、家族になりたいの」
「娘になれないっていうのはどうして?」
レベッカの問いにアリスは眉を下げて笑う。
「えっと、娘だったら……あ、あの家を出なくちゃ、いけない、から……」
魔女は思い出す。アリスの前で『娘は家を出るものだ』とは話したことを。
「私は……ティアンナさんと、ずっと一緒に、いたいから」
その言葉にレベッカが口元をおさえ、ぶわりと涙を浮かべた。
「アリス、あなたは本当にいい子ね……」
「どうして母さんが泣くのさ」
「泣くわよ、こんなの~」
レベッカはしゃがんでアリスと目線を合わせた。
「ありがとう。そんなにも母さんを大切にしてくれて。これからも母さんのことをよろしくね」
アリスの肩に手を置いてお願いする姿に、魔女は嫌そうな顔をした。
「何でアタシが子どもに面倒を見られなきゃいけないんだい」
「あら、でもまんざらでもないんでしょう?」
「……ふん」
魔女は鼻を鳴らすとアリスを横目に見た。
「アリス」
魔女の呼びかけに反応して、アリスは魔女を見上げた。
「……帰るよ」
アリスは花のように顔を綻ばせる。そして駆けるように魔女の隣に来ると、彼女の手を取った。
村から少し離れた森の中にある小さな家へ四人は帰っていく。
消し忘れたのか、灯りが家の中で灯っていた。
扉を開けると黒猫が出迎えてくれた。住人の帰宅に黒猫は嬉しそうに「にゃおん」と鳴く。「ただいま」と言いながら、レベッカとエリックは家の中に入っていく。
「アリス」
魔女は家に入ると、思い出したようにアリスの方を振り返った。
アリスが首をかしげると、魔女は微笑みながら言う。
「……おかえり」
魔女の言葉にアリスはふわりと笑った。
「ただいま」
アリスは灯りの家に入る。久しぶりの家は不思議と温かくて心地が良かった。
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