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僕は、野良猫になることを選んだ──FIREの哲学「自由の代償」

この記事は、既に公開している下記の記事の原案となったものです。↓↓↓

はじめに

公園を歩いていると、いつもの野良猫たちがいる。 彼らは妙に人慣れしていて、近づいても逃げない。ベンチの横で丸くなり、まるで「ここは俺のリビングだが?」という顔でくつろいでいる。

そして、毎日のように餌をあげに来る人たちがいる。鳩にパンを投げる人、猫にキャットフードを配給する人。正直に言うと、あれを見ると少し不快になる。猫が好きなら、飼えばいい。 家に迎え入れて、最後まで責任を持てばいい。
かわいいところだけ切り取って、餌だけ与えて、 命の重さは引き受けない。 その“都合の良さ”が、どうにも気になってしまう。
そんなことを考えながら猫を眺めていると、ふと疑問が浮かぶ。

飼い猫と野良猫、どちらが幸せなのか。

飼い猫の幸せと、代わりに差し出すもの

飼い猫は安定している。 毎日決まった時間に餌が出て、雨風もしのげる。 病気になれば治療も受けられる。空腹に震えることも、寒さに耐える必要もない。
ただし、その代わりに行動範囲は限られる。 一生を、決められた空間の中で過ごす。「安全」と引き換えに、「自由」を差し出す生き方だ。

野良猫の幸せと、代わりに背負うもの

一方で、野良猫は違う。
餌は保証されない。 ケガも病気も、基本的には自己責任だ。 毎日が不確実で、今日のご飯すら決まっていない。
それでも彼らは自由だ。 どこへ行くのも、何をするのも、自分で決める。「自由」と引き換えに、「安定」を手放す生き方だ。

そして気づく。これは人間にも当てはまる。

会社員という生き方は、いわば“飼い猫”だ
給料は毎月支払われ、社会保険があり、 困ったときには組織がある程度守ってくれる。 総務もいれば、ルールもある。
ただし、時間や行動は制約される。 通勤があり、上司がいて、理不尽な指示もある。

一方で、FIREという選択は“野良猫”に近い。
組織には属さない。 収入は保証されない。 何かあっても、誰も助けてくれない。
すべてが自己責任だ。
だが、その代わりに—— 嫌な通勤もない。 パワハラもない。 理不尽な上司もいない。
時間の使い方も、生き方も、自分で決められる。

どちらが幸せかは、人によって違う

安定を重視する人にとっては、飼い猫の方が幸せだろう。 不確実でも自由を選びたい人にとっては、野良猫の方がしっくりくる。

大切なのは、「どちらが正しいか」ではなく、 自分がどちらを選ぶのか だ。

僕は、野良猫を選んだ

すべてが自己責任である代わりに、 すべてを自分で決められる。
その生き方が、今の自分には合っている。
公園で見かける野良猫たちを眺めながら思う。
彼らもまた、自分の意思で、あの場所にいるのだろうか。 それはわからない。
ただひとつ言えるのは——
少なくとも僕は、自分で選んで、ここにいる。

僕は、野良猫である。

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