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「やるべきコト」と「やりたいコト」が溶けるとき──FIRE後に気づいた、“ライク”の正体

はじめに

僕は、昨年、FIRE「Financial Independence, Retire Early(経済的自立と早期リタイア)」を達成し、今は、投資家として生活をしている。
毎朝、満員電車に乗ることも、会社のチャット通知に追われることもなくなった。
そんな今、ふと立ち止まって考えることがある。会社員として働いていたあの頃、僕にとっての「ライク(やりたいコト)」とは一体何だったのだろうか、と。

会社員時代、僕の生活は「ワーク」と「ライフ」にきれいに分けられていた。 ワーク=会社の時間、ライフ=自分の時間という、“会社が作った時間割”の中で生きていた。

僕は、FIREを目指していた時期、ライフ(自分の時間)のほとんどを資産運用に費やしていた。朝起きて米国市場をチェックし、通勤電車や昼休みもスマホで情報を追う。夜は家族との団らんの裏で、米国市場の開場を待つ。
休日だけはジムで筋トレし、公園をウォーキングした。それが、当時の僕にとって数少ない“ライフ(自分の時間)”だった。

しかし、FIREを達成した今、振り返ると、「ワーク」と「ライフ」の境界線は驚くほど曖昧だったことに気づく。
そもそも資産運用や筋トレ、ウォーキングそのものが、僕にとって“将来の生活の自由度を高めるための基盤づくり”──将来への投資──という「ワーク」の性質を持っていたからだ。


1. ドーパミンが「ワーク」を「ライク」に変える

会社員時代の「ワーク」は、勤務時間に割り当てられた会社の仕事を指していた。
しかし、僕にとっての報告書作成や会議録、文書作成の「ワーク」は、決して「やりたくない苦行」ではなかった。
理由は、脳の仕組みを考えるとわかりやすい。
「質の高い資料を作る」→「褒められる」→「またやろうと思う」。
人間の脳は、自分の行動に手応えが返ってくると、その行動を好むようにできている。
脳科学では、このときドーパミンという報酬に関わる物質が働いていると言われている。
・ 自己効力感(自分はできるという実感)
・ 成長実感(以前より成長している感覚)
・ 貢献実感(誰かや社会の役に立った感覚)
こうした小さな成功体験が積み重なると、本来は「やるべきコト」だった「ワーク」(仕事)が、少しずつ「やりたいコト」(ライク)に変わっていく。
また、新しい仕事は、それだけで少し楽しい。人間は「未知」そのものに刺激を感じるからだ。
さらに、毎日続けて習慣になると、最初は「ワーク」=「やりたくない苦行」だったものも、やがて“普通の行動”へ変わっていく。

会社員時代、僕が昼休みにゲームに興じる同僚を少し距離を置いて見ていたのは、僕にとってゲームより「報告書作成」の方が、自己効力感や貢献実感を得やすく、手応えを感じられる行為だったためである。

2. 「やりたいコト」は、実は「やるべきコト」だった

では、ライフ(自分の時間)に行っていた資産運用や筋トレ、ウォーキングはどうだろう。
「将来の生活の自由度を高める」 ── そう自分に言い聞かせて取り組んでいたが、本音を言えば「できれば寝ていたい」と思う日も多かった。

投資家として冷静に分析すれば、これらは「やりたいコト」というより、将来の自分という資産価値を維持するための「将来への投資」だったと言える。
つまり、資産運用や筋トレ、ウォーキングも、「やりたいコト」ではなく 「やるべきコト」 だった。こうして見ると、将来の自分の生活を維持するための行為──いわば“人生のインフラづくり”──将来への投資──が、ライフ(自分の時間)の大半を占めていたのだ。

将来への投資は、本来「やるべきコト」だ。しかし、そこに手応えや意味、誰かとのつながりを感じられるようになると、人はそれを少しずつ「やりたいコト」へ変えていく。
・ 資産運用で資産が積み上がる。
・ 筋トレで扱える重量が増える。
・ ウォーキングで体調が整う。
そんな小さな変化が積み重なることで、「将来のために仕方なくやるコト」=「やるべきコト」は、いつしか今日も「やりたいコト」へ姿を変えていくのである。

3. 幸せをもたらす「ライク」──情緒的な報酬

では、「やるべきコト」を「やりたいコト」に変える整え方とは別に、人間が本能的に「やりたいコト」と感じるものは何なのか。
僕の思考をたどっていくと、一つの仮説に突き当たる。
それは、「自分ないしは身近な他者に幸せをもたらすコト」だ。
・ 家庭菜園で育てたルッコラに、家族が気づいてくれる
・ 部下を褒めて、その成長を喜ぶ
・ 家族にプレゼントを贈り、その笑顔を見る

これらは、勤務時間でも余暇でもない。
ワーク/ライフという時間割の外側にあるものだ。
ここで得られるのも、“人からの反応によって得られるうれしさ”という意味では社会的報酬の一種なのだろう。
ただし、それは仕事で評価されたときの喜びとは少し違う。
そこにあるのは、達成感よりも、喜びや安心感、人とのつながりだ。
誰かが幸せそうにしているのを見て、自分もうれしくなる。
誰かの成長を見て、自分のことのように誇らしくなる。そんな感覚である。

4. 「やるべきコト」と「やりたいコト」は固定できない

会社員時代の「ワーク/ライフバランス」とは、勤務時間と余暇を分けるための概念だった。しかしFIRE後、その境界は急速に曖昧になる。
資産運用は趣味であり仕事でもある。ブログ執筆は遊びでもあり収益源にもなる。
すると今度は、「仕事か、遊びか」だけではなく、「やるべきコト」と「やりたいコト」の境界まで溶け始める。
なぜなら、人間は行動そのものに固定された価値(「やるべきコト」か「やりたいコト」の区別)を感じているわけではないからだ。

会社員時代、面倒な事務処理が山積みになると、報告書作成が“楽しい作業”に変わることがあった。本来は嫌だった仕事でも、もっと嫌な仕事が現れると「逃避先」として快適に感じ始める。

つまり人間は、「やるべきコト」と「やりたいコト」を明確に分けて生きているわけではない。
その時々で、
・ 達成感がある
・ 気がラクになる
・ 刺激がある
・ 現実逃避できる
といった“報酬”を、より強く受け取れる行動の方へ向いていく。
FIRE後は特に、「仕事か、遊びか」という時間割ではなく、「その行動が、自分にどんな報酬を返してくれるか」が、行動基準になっている。

まとめ

ワーク〈ライク〉バランスとは、 “やるべきコト”をそのまま義務として抱えるのではなく、自分にとっての“やりたいコト”へと変えていくための整え方である。その整え方を支えるのが、

・ 成長や達成の手応えがあること
・ 将来への投資だと納得できること
・ 誰かの反応や感謝が返ってくること
・ 新しい発見や刺激があること
・ 続けるうちに習慣になること

この整え方が機能し始めると、仕事も、家事も、健康管理も、ただの「やるべきコト」ではなく、自分の人生を前に進める「やりたいコト」へと変えていく。

FIREをしてわかったのは、自由とは「何もしなくていいコト」ではなかった。むしろ、自分の中で「やるべきコト」と「やりたいコト」が、少しずつ同じ方向へ整えられていく感覚だった。

資産運用も、健康管理も、ブログ執筆も、家族との時間も、本来はきれいに「やるべきコト」と「やりたいコト」に分けられるものではない。最初は義務=「やるべきコト」だったものでも、自分なりの意味や楽しさを見つけると、人はそれを「やりたいコト」へ変えていける。逆に、どれだけ好きだったコトでも、義務感に支配されれば苦しくなる。

つまり人間は、「やるべきコト」と「やりたいコト」を分けて動いているのではなく、「その行動にどんな意味や手応えを感じられるか」で動いている。
僕にとってのワーク〈ライク〉バランスとは、「やるべきコト」を単なる義務=「ワーク」としてこなすのではなく、その中に自分なりの意味や手応えを見つけながら、少しずつ「ライク」へ変えていく整え方のことなのだ。

今日も朝、家庭菜園のルッコラを見に行く。 誰に頼まれたわけでもないのに、自然と足が向く。 こういう小さな「ライク」が、FIRE後の僕の一日を形づくっている。

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