FIRE(ほぼ無職)のリアル【筋肉は、無職の肩書きだ!】〜目指さない日々に、筋肉痛だけが残る〜
はじめに
「毎日歩いてるけど、何を目指してるの?」
近所のジャージ姿のオバサンに、そう言われた。 悪気はないのだろう。
でも、その一言は、FIRE(ほぼ無職)にとっては“存在の根拠”を問う刃物のように突き刺さる。
この記事は、既に公開している下記の記事の原案となったものです。↓↓↓
肩書きがないなら、肩を鍛えろ
会社を辞めて、名刺を捨てた。 もう「〇〇株式会社 課長」なんてラベルはない。 でも、社会はラベルで人を見る。
だったら、肩を鍛えるしかない。筋トレは、ぼくにとっての“日付印”だ。
今日は何曜日かはわからないけど、 胸筋の張り具合で「昨日はベンチプレスをやった」とわかる。
筋肉痛だけが、「今日も無職だった」と教えてくれる。
サウナで脱ぐのは、社会的地位ではない
サウナに入ると、みんな裸になる。 スーツも、役職も、年収も、全部ロッカーに置いてくる。 そこで残るのは、肉体だけ。
だからこそ、筋肉がモノを言う。
「この人、できる…」 そんな目で見られるのは、もう会議室じゃない。 サウナのベンチだ。
宮古島の海でもそうだ。
上半身裸で歩くとき、風が吹くたびに思う。 「この広背筋は、自由の証だ」と。 筋肉は、ぼくの“今ここ”を証明するログインボタン。
ジャージの足音が、ぼくの平穏を乱す
ウォーキングは、気分転換のはずだった。 なのに、後ろから足音を立てて迫ってくるジャージのオバサン。
抜いてどうするの? こっちは競ってない。
FIRE民は、“誰とも競わない”ことを選んだ人種だ。
でも、抜かれるとちょっとムカつく。 人間だもの。
この前なんて、3km歩く間に3人のオバサンに抜かれた。 しかも、抜いたあとすぐ止まるとか、距離感ゼロの追尾とか。
「なぜ抜く?」と、問いかけたくなる。
目指さない日々に、筋肉だけが残る
筋トレも、サウナも、ウォーキングも、 全部“目指す”ためじゃない。 目指さないことを、続けるための習慣だ。
筋肉は、時間と金の余白からしか生まれない。
つまり、筋肉はFIRE民の象徴だ。 社会的には無職。
でも、ぼくには筋肉がある。 それで、いいじゃないか。
少なくとも、サウナでは勝ってる。
平日昼のジムは、無職の聖域だ
平日の昼間、ゴールドジムはほぼ無職の楽園だ。
ヨガレッスンの女シニア軍団がゆっくり呼吸している横で、ぼくは黙々と鉄を持ち上げている。
誰もぼくを見ていないし、ぼくも誰も見ていない。
ここには競争も、評価も、肩書きもない。
ただ、筋肉だけが静かに増えていく。
社会的には無職でも、筋肉は裏切らない。 むしろ、無職だからこそ育つ。 時間と余白が、筋肉の最大のサプリメントだ。
夕方になると、どこからか“風呂目当ての男シニア軍団”が大量発生する。
昼には絶対いない顔ぶれが、なぜか一斉に湧いてくる。
彼らは筋トレをしに来たのか、風呂に来たのか、もはや判別不能だ。
フロアは一瞬で「知らな男シニア軍団博覧会」になる。
その混沌の中で、ぼくは今日も静かに鉄を握る。
目指すものは何もない。
ただ、筋肉だけが、ぼくの“今日”を証明してくれる。
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