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FIREして気づいた。僕を壊していたのは「通勤」ではなく「人間」だった

はじめに

──FIRE民になって初めて気づいた、あの地獄の正体
会社員時代、何が一番嫌だったか。
仕事でもない。人間関係でもない。 通勤である。
あの短い時間に、あらゆるストレスが凝縮されていた。 満員電車、時間制約、天候。そして何より——人間
FIREした今、あのストレスが跡形もなく消えたことで、ようやく理解した。 通勤とは「移動」ではなく、人間密度の高い空間に強制参加させられる儀式だったのだ。

ハイヒールの音が追いかけてくる朝

会社員時代の朝、駅に向かって歩いていると、後ろからカツ、カツ、カツ……と、ハイヒールの音が迫ってくる。
一度つかれたら最後、駅まで逃げ場はない。 目的地は全員同じだからだ。
あの音を延々と聞かされ続ける。 もちろん、本人に悪気はない。 ただ、「周囲にどう聞こえているか」という視点が完全に抜け落ちている。
キャスター付きのカバンも同じだ。 ガラガラと響く、あの逃げ場のない不快音。
歩きながら、ふと思う。
なぜ人は、自分が発する“音”にここまで鈍感なのか。

人は「自分の音」には鈍感になる

心理学的には、人は自分が発する刺激に対して鈍感になる。
・自分の足音
・自分の物音
・自分の存在
脳が「自己由来の刺激」として優先度を下げるからだ。
逆に、他人の音はノイズとして強く認識される

つまり—— 本人は静かなつもりでも、周囲には騒音になっている。
これは悪意ではなく、構造的なズレだ。 だからこそ、避けようがない。

なぜか競歩になる朝

──人は「抜かれるのが嫌い」
私はせっかちで、駅まで常に全力で歩く。
すると、同じ速度帯の人と遭遇すると、自然と競歩状態になる。
別に競争しているつもりはない。 だが、相手がペースを上げてくる。
理由は単純だ。

人は本能的に「抜かれるのが嫌」だから。
行動経済学でいう「損失回避」に近い。 それは、前にいた位置を失う=損失と感じるもの。
会社員時代、同期や後輩に評価や昇進で「抜かれる」のが嫌だった感覚と、本質的に同じだ。
人は順位や位置に、過剰に反応する生き物である。

なぜ人は進路をふさぐのか

追い抜こうとすると、なぜかこちらの進路に入ってくる人がいる。
後ろに目があるわけでもないのに、なぜだろう。
これは「進路予測のクセ」だ。
人は歩行中、無意識に周囲の動きを予測して進路を決める。 ただし、その精度はかなり雑。
・なんとなく空いていそうな方向へ動く
・視界に入った動きに反応する
・中央に戻ろうとする

この結果、互いの予測がズレると「進路のかぶり」が発生する。
つまりこれは、マナーの問題というより、認知の限界に近い。

正面から来る人とぶつかりそうになる理由

前から来る人も、なぜかクロスする進路を取ってくる。
これも同じ構造だ。
すれ違う瞬間、
・相手がどちらに避けるか
・自分がどちらに避けるか
を瞬時に判断するが、この判断は不安定だ。

お互いが同じ方向に避けると、進路が重なる。 いわゆる「右?左?」問題である。文化差(日本は左側通行傾向)もあるが、 最終的には瞬間的な判断ミスが原因になる。

通勤が嫌いだった本当の理由

結局、通勤が嫌だった理由はシンプルだ。
人間との「微細な衝突」が、延々と続くから。
・音のストレス
・速度の競争
・進路の干渉
・無意識の駆け引き

これらが短時間に何十回も起きる。 しかも、すべてコントロール不能。
そりゃあ、消耗する

FIRE後に消えたストレス

会社を離れて、このストレスは完全に消えた。
満員電車もない。 競歩もない。 音に追いかけられることもない。
人とぶつからないだけで、こんなに楽なのか。

通勤とは、単なる移動ではなかった。 「人間密度の高い環境に身を置くこと」そのものがストレスだったのだ。

終わりに──通勤ストレスの正体

通勤ストレスの正体は、距離でも時間でもない。 人間である。そしてその多くは、悪意ではなく、 本能と認知の構造的ズレから生まれている。
だからこそ厄介で、避けようがない。
もし今、あなたが、通勤がしんどいと感じているなら、 それは気のせいではない。
あなたは毎日、 人間の構造的な問題にさらされ続けているだけだ。

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