見出し画像

父親になるということを、娘が教えてくれた日。


娘が産まれた日のこと
パパになった日って、不思議なくらい、いまでもはっきり覚えてる。

病院の廊下で聞こえた産声。
LINE越しに届いた、妻の一言。
チャイルドシートのベルト、うまく締められへんかった自分。

あの日から、ほんまに少しずつ、でも確実に何かが変わっていった。

3年前の3月1日。
娘が生まれて、「夫」やった自分が「パパ」になった日。
その一日を、そっと振り返ってみようと思う。

このnoteはこれからパパになるあなたへ。
そして、すでに誰かのパパとして歩き出しているあなたにも読んでほしい。

きっと今日もどこかで、誰かの家族の日々が、静かに始まってる。
そんな、はじまりの日の話です。


3年前の3月1日。

あの日のことは、今でもよう覚えてる。

娘が産まれた日。

私が「夫」から「パパ」になった日でもある。

今日は、その一日を、そっと振り返ってみようと思う。



予定日をすぎた2月24日。
妻と一緒に病院で検診を受けた。

そこで先生から、「明日から入院しましょう」と言われた。
そのとき、誘発剤を使ってお産を進めるかもしれませんという説明も受けた。
私はその場にいて、妻と一緒に話を聞いていた。

いよいよやな。
もうすぐ娘に会えるんやなって、少しずつ実感が湧いてきた。

でもこの頃、世間はコロナ禍の真っ只中。

病院には送っていけても、中には入れない。
お見舞いも禁止。
連絡手段は、ビデオ通話かLINEだけ。

そばにいたい気持ちはあっても、それができなかった。


2月25日、妻は入院した。
そこから長い長い前駆陣痛との戦いが始まった。

翌26日、「おしるしがあった」とLINEで連絡が来た。
いよいよかと思ったが、その夜は前駆陣痛で終わった。

27日も、不規則ながら前駆陣痛が続いた。
でもまだ本陣痛にはつながらないみたいだった。

28日の夜中、2時ごろ、「今度こそ陣痛っぽいかも」と連絡がきた。
けれど調べてみると、それも前駆陣痛だった。

この頃、妻はずっとお尻の痛みと戦っていた。
人によって痛む場所が違うらしく、妻の場合はお腹よりもお尻がとにかく痛かったようだ。

便もゆるくなっていて、助産師さんから「それも陣痛の前触れやで」と言われたらしい。

知らん場所で、ひとりきりで何日も耐えてくれていた。
離れている自分の無力さを感じた。

その夜
お尻の痛みがひどすぎて、あまり眠れてなかったらしい。


翌3月1日、妻からの連絡で、
痛みで気絶しててん」と聞いた。

言葉を失った。

そのあと、出血で目が覚めたらしく、看護師さんに診てもらって赤ちゃんは無事だったとのこと。
ほんまに、よかった。

午前10時5分。
子宮口が5センチほど開いたと連絡が来た。

助産師さんから
「そろそろ病院に来てもらうタイミングを考えましょう」と言われたと
いよいよか。

そう思いながら、妻から頼まれていたゼリーや、少し口にできそうなものを買いに出た。
そのついでに、自分の昼ご飯も買っておこうとセブンイレブンに寄った。

レジを済ませて、車に戻ったその時。
ちょうど12時30分。
スマホに着信
病院に来てくださいとの連絡だった。


病院に到着すると、まず抗原検査を受けた。

この時、自分がコロナでないことを心から願った。
もし陽性やったら、娘の誕生に立ち会うことも、妻のそばにいることもできない。
熱もないし、体調も普通でピンピンしてたけど、それでも不安だった。

結果は陰性
無事に病室に行けることになった。

病室に入ると、お尻の痛みと戦っている妻がいた。

数日ぶりの再会だった。

モニターをつけて、助産師たちに囲まれて、尻の痛みに耐えていた。

あとになって「お腹よりもお尻の痛みの方が辛かった」と言っていた。


助産師さんたちが、テニスボールやゴルフボールで妻の腰を押して痛みを和らげてくれていた。
あとで知ったけど、これは「いきみ逃し」というらしい。

「パパもやってみましょか」と言われて、私もボールを持って妻の腰を押した

ただただ、必死やった。
妻の痛みを少しでもやわらげたい。
その一心で、ぐっと力を込めた。

「上手にできてますよ」と助産師さんに言ってもらって、少し安心したのを覚えてる。

でも、上手とか下手とかよりも、
今できることを全力でやるしかなかった。

15時30分ごろ、妻は分娩室へ移動した。


私達は立ち会いを希望していたけど、コロナ禍のためそれは叶わなかった。

どうしようもないけど、この時ばかりはほんまにショックやった。

私は病室を出て、廊下で待機するように言われた。

「別室にご案内しますので、それまでこちらで」と助産師さんに言われて、
静かな廊下でじっと座っていた。

どこかの分娩室から、誰かのうめき声が聞こえる。
そして、少しして
赤ちゃんの産声が、どこからともなく響いた。

「元気に生まれたんやな。おめでとうございます」

他のご家族の赤ちゃんやと思って、自然とそう思った。

でも、あとで知った。
その声は、自分の娘の産声やったってことを。

まさか、あの瞬間にパパになっていたなんて思ってなくて。
あの場に立ち会えなかったことが、あとから地味にショックで。
あの声が、娘のはじまりだったんやなって思うと、立ち会いたかったなと。



16時20分。
両方の親にそろそろかもしれないと連絡していた。

そして16時30分。
妻から「生まれたよ」とLINEが届いた。



助産師さんに案内されて、私は分娩室の入り口まで行った。

もちろん中には入れない。
でも、その入り口から、妻が横たわるベッドが見えた。

その胸の上に、小さな存在が抱かれていた。

私は声をかけた。

「よく頑張ったね」
「お疲れ様」

2人を見れたのはほんの数分。
そろそろお願いしますと言われて、病院をあとにした。5分も見ていられなかったけど、コロナ禍もあり仕方ないと自分に言い聞かせてた

その日の夜、妻から電話をもらった。

最後は吸引分娩やってん。
一回で吸引して、スポンッて出てきたわ


疲れてるはずなのに、
その声を聞いただけで、少し泣きそうになった。

翌日も、妻から電話があった。

「めやにがすごくて、目薬さしたんよ」
「それで娘が大泣きしててん」って。

小さな体でがんばってる娘を想像して、
思わず胸がきゅっとなった。

さらに、黄疸の数値が少し高いとも言われた。

明日か明後日に再検査があるらしいと妻が話していた。

そして、生まれてから3日後。
黄疸の数値がやっぱり高くて、
「1日保育器の中で治療する」と連絡があった。

深刻ではないとの説明はあったけど、
やっぱり少しだけ不安になった。

苦しくないやろか、ちゃんと治るやろか
そう思いながら、私はただ妻からの連絡を待った。

翌日の経過によっては、退院の日が延びるかもしれないとのことだった。

でも次の日

「明日、2人そろって退院できるって」
「黄疸の数値も下がって、きれいになってきたみたい」
と、うれしい連絡をもらった。


退院の日。

私は病院の中には入れなかった。
だから、車の中で待機して2人を待った

妻が娘を抱いて歩いてくる姿を見て、
ああ、やっと会えたんやな
胸がいっぱいになった。



車まで案内して、チャイルドシートに乗せようとしたけど、
ベルトが上手くできなかった

焦る私たちを見て、先生が笑いながらも、
ピシッとした口調で言った。

「しっかりしてください、ママ。パパ。」

そのひと言が、忘れられない。

怒られたというより、あたたかい叱咤激励やった。



先生たちにお礼を言って、我が家へ。

はじめての我が家で、お布団に寝かせた娘は、少し震えていた。

震えてるよ
妻が言った。

私は急いでエアコンの温度を上げた。

妻はすぐに毛布をかけた。

その姿は、もうしっかりママやった。

私はまだ、不安だらけやったけど、
その隣にはちゃんと母になった妻がいた。

こうして、私たちの家族の日々が、はじまった。



娘は今、3歳になった。

はじめての熱、入院、保育園、療育。
いろんなことがあった。

でも、その話はまた、別の機会に書こうと思う。


あの日から3年。
少しずつ父としての日々が始まった。
娘は今も、私たちにたくさんのはじめてをくれる。

ひとつの命が生まれる瞬間に触れた、あの日。

痛みに耐え、命を迎え入れてくれた妻の姿は、
今でも目に焼きついている。

ほんとうに、頭が上がらない。
これからも、ずっと。

子育てって、終わりのないはじまりの連続やなと思う。

そしてたぶん、今日もどこかで、
誰かの家族の日々が、そっと始まっている。


これからパパになるあなた
そして、今も誰かのパパとして奮闘してるあなたへ。


子どもが生まれるって、
人生がまるごと変わるような経験かもしれん。
戸惑う日も、不安な夜もあると思う。
でも、まずは肩の力は抜いていい。
焦らず、比べず、自分のペースで歩いていこう。
少しずつ、一緒に育っていけばいいんやから

いいなと思ったら応援しよう!