『誰だって無価値な自分と闘っている』 ドンマンはなぜ20年も売れなかったのか
普段、私は編み物をしながらドラマを観ている。
とはいえ、ブラインドタッチのように手元を見ずに編めるほどの腕はない。基本は編み目を追いながら、スクリーンをちらちら見るスタイルだ。だから、字幕が必要な韓国ドラマでは、どうしても細かな演出を見逃してしまうことがある。
だからこそ、もう一度『誰だって無価値な自分と闘っている』を観たいと思っている。今度は編み物なしで、100%集中して、隅々まで味わい尽くしたい。そう思わせてくれる作品だった。
誰がこんな素敵な作品を書いたのだろう。
脚本はパク・ヘヨン。代表作は『私の解放日誌』、『マイ・ディア・ミスター ~私のおじさん~』。
なるほど。好きだ。大好きだ。
主人公の二人ももちろん良かったが、脇を固める人物たちも本当に良かった。なかでも、コバクフィルム代表のコ・へジンは特に印象に残っている。1話ごとに少しずつ味わいが増していく人物だった。
ただ、物語の途中から、どうしても引っかかる設定があった。
主人公のファン・ドンマンは、紡ぎ出す言葉が陳腐ではなく、生き方にも一本筋が通っている。変人で、野心もあり、どこか放っておけない魅力もある。そんな彼が、なぜ20年ものあいだ泣かず飛ばずだったのか。
彼の脚本『天気をお作りします』に書かれた言葉は、琴線に触れた。制作会社も、彼の脚本を門前払いしているわけではない。ちゃんと読んでいる。それなのに、なぜ彼はここまで評価されないのか。どこがそんなに駄目なのか。
その疑問に、私は最後まで納得できないまま観ていた。
そして終盤、ついにドンマンは『天気をお作りします』を映画化する。
そこでようやく、私は納得した。
パク・ヘヨン氏の魔法にかかったヒューマンドラマを見続けていたせいで、私はすっかり、ドンマンもまた繊細なヒューマンドラマを撮っているのだろうと思い込んでいた。
ところが、まさかのSFアクションだった。
一気に梯子を外された気分になったのは、私だけだろうか。
最後に少しズッコケた。
編み物を置いて、噛み続けたい。そう思える作品だった。
