今世紀初、人生2度目のブエノスアイレス
旅行の話じゃないよ。映画の話。
年末からほぼ毎週のように通っている映画館シネマリスにて、ウォン・カーウァイの『ブエノスアイレス』が1週間限定上映。
(レスリー・チャン特集としてラインナップされた1作)
僕は高校生のときに1度観ている。田舎だったから、地元の映画館では上映されてはいなかったんじゃないかな。レンタルビデオショップの100円デーのときに、まるでエッチなビデオでも借りるように他のVHSに紛れ込ませてレジへ持っていき、家に誰もいないタイミングを見計らってこっそり観たのを覚えている。
ただ、高校生だった当時の僕にウォン・カーウァイの作品は良く分からなくて(『恋する惑星』でギリギリ)。でも何かすごいものを観てしまったという余韻だけはずっと残っていて。いつかもう一度観てみようと思いながら気が付けばもうすぐ30年。お気に入りの映画館の上映ラインナップに作品名を見つけて、今がそのタイミングなんだと思った。
月曜日の20時の回で鑑賞。本当は土日に観たかったんだけど、席を取ろうとしたときにはほぼ満席だったので断念(最前列くらいしか残ってなかった)。それで平日の夜にしたんだけど、それでも劇場の半分以上は埋まっていたんじゃないかな。さすがさすがです。
さてここからが感想。
映画の感想というよりは、約30年ぶりに観て思ったこと。
いろいろ忘れている
冒頭、かなり濃厚で大胆なシーンからはじまるけど、そんなことなんてすっかり忘れていた。下世話な話、当時高校生の僕にしてみればビデオテープを何度も巻き戻して瞼の裏に焼き付けたいくらいの衝撃だったと思うんだけど、まったく記憶になかった。
ラストシーンも記憶違いをしていた。レスリー・チャン演じるウィンとトニー・レオン演じるファイが離れ離れになるのは覚えていたけど、僕の記憶の中ではなぜか第三の男チャンとファイが一緒にイグアスの滝に行ったことになっていたし、それがラストシーンだと思っていた。実際はファイがアルゼンチンを離れ、香港ではなく台湾を訪れたシーンで終わる。びっくりするくらい話の展開を覚えていなかった。
なんでずっと怒っているのか、今でもよく分からない
じゃあ僕の記憶にある『ブエノスアイレス』はどんな映画なのかと言えば、シンプルにこの2つ。
「汚い」と「うるさい」。
大半のシーンがアパートなのだけど、このアパートが狭くて薄汚れていて、トイレとかもむき出しで。当時のブエノスアイレスが全体的にそうだったのか、香港から逃げるように南米にやってくるとそうなるのか。いずれにしろ、清潔感はゼロだったのを強烈に覚えている。
もうひとつの「うるさい」は、レスリー・チャンとトニーレオンがずーーっと広東語で言い合いをしていた印象だからだ。なぜ二人はいつも怒っているのか、どうしてケンカばかりなのか、昔の僕はさっぱり意味が分からなくて。だから、大人になった今ならその意味が分かるかなという淡い期待もあって観に行った。
……のだけど、結局のところ今回も良く分からなかった。相変わらず二人はうるさかった。なんであんなに喧嘩腰なのだろう、もう少し穏やかに話し合えば良いのにと首を捻ってしまった。ただ、少しだけ想像できるとすれば、前に進むことも昔に戻ることもできなくなり、拗れてしまった二人の関係性ゆえの行動なのかなとも思う。八方塞がりで訳の分からない突飛なことをしてしまうのは、いろんな経験をしてきた今なら身に覚えがある。
こんなにピアソラが流れていたなんて
2度目の鑑賞で気づいたのは、劇伴のセンスの良さ。物語の舞台がブエノスアイレスなのだからなんの不思議でもないのだけど、アストル・ピアソラの楽曲がいくつか流れる。一時期ピアソラにハマってずっと聞いていたことがあるので、聞きなれたフレーズが劇場のスピーカーから聞こえてきて何度も驚いてしまった。僕たち、随分前から出会っていたんだね。
また、冒頭のイグアスの滝のシーンで流れるCucurrucucú Paloma(ククルククパロマ)にも覚えがあって。確かにこの曲を好きでどこかで聞いていた記憶があるんだけど、すぐは思い出せなくて後で調べたら、どうも映画『ムーンライト』でも使われていたらしい。(でも、自分が繰り返し聞いていたのは『ムーンライト』ではない何か別のことがきっかけだと思う)
ちなみに『ムーンライト』は2010年代を代表するクィア映画だけど、監督は『ブエノスアイレス』をリスペクトしているらしく、オマージュとしてこの曲を使っているようだ。そういう作品を超えたストーリーに出会えたことも、今回観てすごく良かったことのひとつ。
香港の真裏にアルゼンチンがあるように
高校生当時は何の疑問にも思わず南米で繰り広げられる男同士の恋物語をぼんやり観ていたけれど、今になって考えるとなぜ香港映画の舞台がここなのだろうということが疑問に浮かぶ。
90年代当時のクィアに対する世間の風当たりを考えると、香港(母国)を舞台にすることはできなかったのかもしれない。逃避行としてのブエノスアイレスという見方もできる。そして香港ならではの特殊な事情もありそう。この映画が公開されたのは、イギリス領だった香港が中国に返還される直前だ。
劇中に、「アルゼンチンは香港の真裏にある」といったセリフが出てきて、なるほどと思った。日本の真裏にブラジルがあるように、香港の真裏がアルゼンチンだとしたら、二人がその首都ブエノスアイレスまでやってくるのには、確かに意味がある。
そういう細かな設定について思いを馳せながら作品を味わえたのは、世間を知らない高校生の自分にはできなかったこと。たしかに今観る意味はあったのだと思う。
なあんて書いてみたけれど、鑑賞中の大半は「若い頃のトニー・レオンってやっぱりくらくらするほどかっこ良いなあ(良い感じに枯れた今のトニー・レオンも好きだけど)」と思ってたけどね。
そしてもちろん、レスリー・チャンのことも。
2026年の僕たちは、この映画が撮影された数年後の彼に何が起きたのかを知っている。劇中、パスポートを取られたままブエノスアイレスに取り残されて前に進めなくなる彼は、皮肉なことにレスリー・チャン自身のその後を暗示しているようにも見えてしまった。トニー・レオンみたいに、良い歳を重ねたレスリー・チャン、観たかったなあ。
レスリー・チャンがどんな思いでその決断をしたのかを想像することは僕にはできないけれど、ただ無邪気にそう思った。
