「文春廃刊論」は間違いでしたとは言わないのか?
「『中居正広氏に性暴力認定』ってニュースを見られた方多いと思うんですけどこの『性暴力』っていうことにWHOのすごい定義を引いてきているんですよね。」
「上司が部下を飲みに誘うことも性暴力になりうる。当然、レイプも性暴力になりうる。幅がメチャクチャ広いんですね。」
これはどう考えてもセカンドレイプの典型例だが、既にお気付きのように、フジテレビ問題での古市憲寿発言だ。その第三者委員会による調査報告書において中居正広の性暴力が認定された以上、自らぶち上げた「文春廃刊論」とどう整合性が取れるのか、一つ逃げ口上を聞いてみようと思ったが、案の定古市らしい通常運転でもある。第三者委員会に事実を突きつけられても“女性側にも非がある”という岩盤支持層(中居ファン)とは違いさすがにもう少しご立派な弁解を用意してくるのかと思いきや「僕が独自に知っている話」とやらを「中居さんご自身の言葉で」はさすがにそれは見苦し過ぎる。仕事の付き合いがあったことは分かるが中居は既に白旗をあげているのだから、むしろ「僕が独自に知っている話」をしたらいいではないか。
これまで「守秘義務」で守られてしまった性犯罪がどんなに明るみになったとしても、岩盤支持層が今さら手のひらを返すわけでもないし、蒸し返すのも恐縮だが、「廃刊論」については個人的にはまだ終わってはいない。確かにあの時はちょっと驚いた。古市は『新潮45』を思い出してあえて「廃刊」と口に出したのかもしれないが、そもそも『新潮45』すら「廃刊」ではなく「休刊」だ。「廃刊」ということは雑誌コードを返上しなければならない。「休刊」ならまれに復刊があるが、多くはその雑誌コードで別雑誌が創刊される場合がほとんどである。古市はどっちの意味で「廃刊論」を展開したのか正直意味不明だ。それにSNSでは「#文春廃刊論」が案の定炎上しているのに、当事者でもある雑誌業界では比較的沈黙が保たれていた。文春は当然無視するしかないし、古市の連載を抱えている『週刊新潮』も何も言えないのだろう。『週刊ポスト』も『週刊現代』も雑誌で同じ媒体なので、ネット側になって文春批判をすることも擁護することも得策ではないと思っていたのだろう。唯一「文春廃刊論」に反旗を翻したのは、月刊『ZAITEN』4月号(財界展望新社)だが、比較的自由度の高い『ZAITEN』すら古市をディスるも「X」呼びである。もちろん文春の訂正が会見後にしたのは大いに問題はあるが、だからと言って「中居さんは悪くない」「フジは正しかった」ということにはならないし、スポンサーもそんなことで手のひらは返してはくれない(最初の記者会見以降からも)。まああの雪崩を打っての横並び体質には白けてしまうがことがことだ。横並び体質も仕方がない。ただ古市を擁護するわけではないが、最初は「フジにクビになってもいい」発言をしたことでバランスを取ろうとつい「廃刊論」を口にしたのかもしれない。まあ『文藝春秋』、『新潮』、『サンケイ』とせいぜい上手に泳げばと言うしかないが、結局は赤字を出した雑誌が「休刊」で、黒字でも問題を起こした雑誌は「廃刊」という認識なのだろう。その程度の認識だと泳ぎきれないのではと思うが余計なお世話か?
2年前に新潮社で刊行された古市の連載本『正義の味方は苦手です』も古市の中立芸が「廃刊論」にもつながっているようにも思える。フジテレビも文春も「オールドメディア」で、今もSNSでフジテレビを擁護する人たちも同じ「オールドメディア」である文春を唾棄している、その一方「文春廃刊論」を否定しながら『新潮45』の廃刊は肯定する者もいる。
筆者は自民党衆議院議員の杉田水脈が「LGBT」支援の度が過ぎる」を寄稿した特集を1ミリも擁護する気はないが、廃刊が正しいとは今でも思っていない。むしろ追求を続けるべきだった。もし古市が『新潮45』廃刊にわだかまりを持ち続けていることで「文春廃刊論」を展開したのであれば、賛同はできないものの「廃刊論」も言論の自由の一つと認めてもいい。だがそうでなければやはり「文春廃刊論」には一理もないだろう。前述した自著『正義の味方は苦手です』について、筆者も「芸風の失速」というタイトルでAmazonにレビューを書いたので参考にしてもらえるとありがたい。
