愛とミシンとアイデンティティ(最終話)
私が迷いなく右手を伸ばしたのは、真っ赤なフリルと黒いレザーの方だった。
学校用の無難なベージュの布地は、未練ごとゴミ箱へ放り投げた。 もう、自分を誤魔化すのはやめよう。誰かに笑われないための「普通」なんて、私には必要ない。
破れたフリルを縫い直し、レザーのパーツをさらに鋭角に切り出す。安全ピンの数を倍に増やし、私の抱えてきた痛みも、反骨心も、すべてこのドレスに縫い付けていく。
ガタガタ、ターン。ガタガタ、ターン。 ミシンの針が落ちるたび、私の指先から生地へと確かな熱が伝わっていく。手を動かして、愛を伝える。この手作業こそが、私という人間の証明だった。
「周りは関係ない。私が、私を信じるんだ」
徹夜明けの朝日が部屋に差し込んだ時、最高に過剰で、最高に歪な、私だけのドレスが完成した。
それから数日後。 私は学校のコンペを無断欠席し、当然のように最低評価を下された。教室での私の扱いは「普通からドロップアウトした痛いヤツ」として、さらに冷ややかなものになった。美咲は私と完全に目を合わせなくなった。
でも、不思議と息苦しさは消えていた。 私の心は、あの夜からずっと晴れやかだった。
そして、金曜日の夜20時。 約束通り、あのミュージシャンの新曲ミュージックビデオがYouTubeでプレミア公開された。
スマホの小さな画面の中で、激しいストロボの光が瞬く。 イントロの鋭いシンセサイザーの音が鳴り響き、四つ打ちのダンスビートが心臓を直接揺らしてくる。
画面の中央に現れた彼女は、私の作ったあのドレスを着ていた。 真っ赤なフリルがステップに合わせて暴力的に舞い、無数の安全ピンが照明を反射してギラギラと光を放つ。その姿は、痛々しいほどに美しく、圧倒的だった。
コメント欄がものすごい勢いで滝のように流れていく。 『衣装やば!』『なにこれ最高』『サイコパスドレス、ここで回収されるのか!』
画面の向こうの彼女が、私に向かって、いや、かつて「普通」に押し潰されそうになっていたすべての人間たちに向かって、真っ直ぐに指を差し、歌い始めた。
『君は変だと言われた 君は深く傷ついた』
胸の奥に刺さっていた古い棘が、その歌声と共にスッと溶けていくのを感じた。涙が溢れて、画面が滲む。
『周りは関係ない 自分が大切 周りは関係ない 自分を信じて』
そうだ。 誰かに変だと言われても、傷ついても。 私の中にあるこの「好き」という感情だけは、絶対に手放しちゃいけない。
『アイデンティティ アイデンティティ』
呪文のようなそのフレーズが、四つ打ちのビートに乗って何度も何度もリフレインする。 私は涙を拭い、部屋の隅にある古いミシンを見た。 さあ、次はどんな服を作ろうか。 BPM120の鼓動と共に、私の本当の人生が、今ここから始まる。
(終わり)
あとがき
この小説から生まれたテーマソング。
「あのミュージシャン」が歌っていた曲をイメージ。
今回は途中まで公開。
デモ音源の全編公開はPodcast「ポニーテールリボンズのコスパタイパ向上委員会」で予定しています。
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