西国街道(近畿)その10 池田市内
京都から中国地方を通って太宰府へと向かう西国街道の近畿部分を歩いたレポートの「その10」です。
石橋から大阪国際空港の北側までを横切った池田市の、その中心部分へ寄り道をすることにしました。後日に滝などを見に行った箕面市と同じパターンの寄り道です。
箕面線と分岐する阪急電車を北西へ。分岐点石橋駅の次が池田駅です。
まずは土地の神様にご挨拶。阪急の線路に沿って南東へ500mほど歩いたところに鎮座する猪名津彦神社に立ち寄りました。この神社は直径30mほどの古墳(円墳)の上に建っています。この古墳は阿知使主のお墓だと考えられていて神社もこの人物を祀っています。日本書紀によると阿知使主(あちのおみ)という人は、応神天皇の命で織姫を求めて呉の国に遣わされて、高麗王から道案内を付けてもらって呉へと赴き、呉服媛(くれはとりのひめ)穴織媛(あやはとりのひめ)兄媛(えひめ)弟媛(おとひめ)の4姉妹を連れて帰国することに成功。が、帰路に筑紫国の神(豪族)に兄媛を差し出して残る3人を連れて帰ったんだとか。先方から「この娘がいい!」っと指名されて献上したのか、こちらで「まぁこの娘だったらいいか」っと下げ渡したのか、兄媛が選ばれた事情は分かりませんが。
箕面市にも同じ読みの為那都比古神社があります。平安時代のリスト延喜式神名帳に記載されている式内社が、どっちのイナツヒコなのかはハッキリしていません。そういうのって割によくある事です。

猪名川の流域一帯は猪名野と呼ばれます。百人一首に載る大弐三位の歌「有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする」に詠まれている「猪名」です。その地名の語源がこの神社なのです。
昔は笹原が広がる土地だったのですね。宅地化されてしまうと昔の風景って想像しにくくなりますが、猪名野の場合は猪名川が流れている以外にも、大阪国際空港の敷地で見晴らしが利くことで却ってイメージできるような気もします。飛び立つジェット機を雁の群れに見立てると、より一層イメージすることが出来るのかも(笑)
猪名津彦神社から西へと歩くと、カップヌードルミュージアムこと安藤百福発明記念館があります。百福っという変わったお名前はモモフクと読みます。念のため。百福翁の銅像がミュージアム前に立っておられます。


カップヌードルは英語表記にするとCUPNOODLESって複数形になるんですね。まぁ1本しか入っていない訳はないので当たり前に複数なのですが。 複数形で思い出した余談ですが、フランス語とかイタリア語とかって男性名詞と女性名詞があります。イタリア語では大抵オの音で終わるのは男性名詞でアの音で終わるのは女性名詞です。エスプレッソは男性でパンナコッタは女性。複数形になると男性名詞の語尾はイになって女性名詞はエになります。パニーニは男性名詞の複数形です。2枚で挟んでいるので複数。 果物の柿はイタリア語でもカキっといいます。日本語の呼び方で伝わってそのままイタリア語になった訳です。ポルトガル語のカルタがそのまま日本語のカードゲームの呼び名になっているのと同じです。ですが語尾がイの音で終わるカキっという言葉に対してイタリア人は男性名詞の複数形だと思い込んだ訳で、カキは1個しかない場合は単数形で「カコ」になるのです。
1度だけイタリア語検定を受験して5級すら惨敗したオッサンの雑学はさておき、ミュージアムに入館します(笑)
館内には原寸大に再現した研究小屋があります。このような小屋の中で研究を重ねて(奥さんが天ぷらを揚げるのを見てフライ麺を思いついたとも)インスタントラーメンが誕生したっと言われます。まぁ出身地の台湾では昔から油で揚げて水分を飛ばした麺があった訳で、どこからが百福さんの「発明」なのかは議論の余地のあるところですが。


小屋の中のカレンダーは1958年3月。チキンラーメンが発明された日に掛かっていたカレンダーっという訳です。 そして1971年9月にはカップヌードルが発売されました。翌年2月の浅間山荘事件で機動隊員が食べている姿がテレビ中継されて人気に火が付いたっというのは有名なハナシです。 思えば私は今までどれだけのカップラーメンを食べてきたのでしょう。10歳の頃から月に2個食べてきたとして1000個以上は食べています。もちろん全てがカップヌードル、どん兵衛、UFOなどの日清食品の製品という訳ではありませんが。
カップヌードルの自販機も展示されています。これ、懐かしい!中高生の頃に魚釣りに行った時など、お世話になった記憶があります。小っさいフォークで食べました。館内にある自販機には「100円」っと書かれていますが、展示しているだけで実際に買って食べることは出来ません。

来館者には外国の方も多く見られます。半分近いかもしれません。 箕面の滝でも思ったのですが、大阪国際空港から出国される観光客で、中途半端に時間が余っている人が訪れることも多いのかもしれません。
退館した後、チキンラーメンに敬意を表して鶏スープのラーメンを食べようと思って検索し、見付けたラーメン店に向かいました。阪急の高架下にある「鶏soba座銀」。本店は大阪市西区江戸堀にあるんだとか。知らんかったぁ。池田に出店したのはチキンラーメン発祥と関係があるのでしょうか?そして私はマンマと術中にハマッたのでしょうか?
とっても清潔な店内です。「ご注文〇〇いただきました」「〇〇提供まいります」っという店員さんの言葉遣いも清々しい。 特製鶏soba白湯が到着しました。ラーメン鉢のみならずレンゲまで温められています。なんという細やかな配慮!ラーメン鉢が深いのも冷めにくくする為なのでしょう。スープも麺も具材も文句なしでした。今度は江戸堀の本店にも行ってみたいっと思いました。

鶏sobaの余韻に浸りながら西へと歩いて、呉服神社に参拝しました。社名の呉服はクレハと読みます。阿知使主が呉の国から招聘した織姫たちのうちの呉服媛(くれはとりのひめ)が亡くなった翌年(西暦390年)に、仁徳天皇によって祀られたと伝わります。呉服(ごふく)の語源は呉服媛で、忍者の服部半蔵や作曲家の服部良一さん、プロゴルファーの服部道子さん達の苗字のハットリも織姫たちによって伝えられた機織り(はたおり)が由来なのです。


阪急池田駅北側の市の中心部に入って行きました。
道沿いにはビリケンさんが座っていました。大阪の通天閣にいるのが有名なヒトですが、実は池田市出身の繊維会社創業者の方が商標登録をされているんだとか。その縁があって池田にも「鎮座」しています。手が短くて足に届かないので、足の裏を撫でてあげるとお礼に願いを叶えてくれるっと言われるビリケンさん。しっかりと撫でておきました。

ビリケンさんの近くに「落語みゅーじあむ」があります。ここでは落語会が月に1回行われていて、アマチュア落語講座などもされているんだそうです。 名誉館長は上方落語協会6代目会長の桂文枝さん。「いらっしゃーい!」でお馴染みの元桂三枝さんです。私の母校である関西大学の先輩でもあります。 入るのはそこそこ難しいのに入ってみればアホばっかりなのが関大です。卒業生には芸人さんが妙に多い大学。 吉本新喜劇の花紀京さん、フットボールアワーの岩尾望さん、ゆりやんレトリィバァさん、ジャルジャルの2人、みなみかわさん、R藤本さん、越前屋俵太さん、宮根誠司さん(芸人か?)など。 南海キャンディーズの山里亮太さんなどは千葉の人なのに芸人になる為に関大に入ったんだとか。

近くにある2軒の酒蔵に立ち寄りました。
かつて池田は酒造りで栄えた町でした。明暦3年(1657)には42軒もの酒蔵がありましたが(その6で訪れました)摂津富田と同じように酒造りの中心が灘に移っていった為に軒数も減って、今では2軒の酒蔵が残るのみとなっています。その「池田酒」の生き残りを訪ねました。
「緑一」醸造元の吉田酒造は元禄10年(1697)創業。建物は明治10年(1877)に再建されたもので登録有形文化財に指定されています。 「呉春」を醸造する酒蔵は元禄14年(1701)頃の創業です。「呉春」という銘柄を販売しだしたのは弘化4年(1847)頃なんだとか。呉服(くれは)の里の呉とお酒を意味する春で「呉春」と名付けたとも、絵師の呉春から名を取ったとも言われます。 ただどちらの酒蔵でも造りたてのお酒を購入することは出来ませんでした。


落語みゅーじあむから東に戻って来ると「星の宮」が鎮座しています。呉の国から機織(はたおり)を伝えた織姫たちが夜遅くまで作業を続けていると、天から多くの星が降りてきて織殿(作業場)を真昼のように照らしたんだそうな。その星たちを祀ったのがこの神社。ファンタジック!

呉春の絵を見ようと思って逸翁美術館を訪れました。逸翁というのは阪急電鉄創業者の小林一三のこと。彼のコレクションを展示しているのがこの美術館です。ここには呉春や呉春の師である与謝蕪村などの作品が多数所蔵されていて、中には重要文化財・重要美術品が30点以上もあるのです。


松村呉春は「四条派の祖」として知られています。元は月溪と名乗っていましたが、天明元年(1781)池田に移住し、呉服の里で春を迎えたことから名を呉春と改めたっと言われています。俳諧と俳画を学んだ与謝蕪村ゆずりの叙情性と後に影響を受けた円山応挙のような写実性を合わせ持つ特異な絵師です。
逸翁美術館の東200mほどのところに小林一三記念館があります。逸翁こと小林一三が昭和12年(1937)に建てた邸宅です。 小林はここを雅俗山荘と名付けました。美術館(雅)の役割と生活空間である自邸(俗)を兼ねているっという意味合い。今の逸翁美術館が新築されるまでは、ここがその美術館だったのです。 正面の門は豊能郡にあった庄屋宇津呂家の長屋門を移築したものなんだそうです。

色々と寄り道をした後、この日の訪問目的のメインである池田城跡を攻めました。逸翁美術館の脇に大手門跡があって、小林一三記念館近くには東の外堀跡が確認できます。



ここを居城とした池田氏は長らく摂津国で幅をきかせていた豪族でした。後醍醐天皇の「建武の新政」の頃に池田教依が築いて代々の居城となったっと言われています。戦国時代後半、織田信長が足利義昭を奉じて上洛すると池田勝正は伊丹親興・和田惟政と共に摂津三守護の1人となりました。が、(美濃の土岐家が斎藤道三に乗っ取られたのと同じパターンで)勝正の弟の知正を担いだ家臣の荒木村重によって勝正は追放され、池田城はその地位・領地とともに村重に乗っ取られてしまったのでした。

池田城を乗っ取った荒木村重でしたが、天正2年(1574)に伊丹城を攻めて伊丹親興を討ち、その居城を有岡城と改称して居城としたので、池田城は廃城となってしまったのでした。
かつて池田城跡は(たぶん)説明板すら無くて草が生い茂る状態で、地形の高低差で曲輪(城の区画)と空堀が判別できる程度でした。それはそれでマニア的には興味深いものでしたが「いつかは宅地になって城跡は消滅してしまうんやろなぁ」っという不安を抱いていたものでした。 が、しっかりと発掘調査を行った後、平成12年(2000)に城跡公園が開園。整備されているものと史実との乖離はさておき、ここに池田氏の城があったんだよっと地域住民の皆さんに周知してもらう意味合いは大きいと思います。



かつて草むらだった場所で発掘調査が行われ、発見されたものが城跡公園内に復元されています。排水溝も発見されました。このような設備の発見は貴重で、歴史の資料として価値があります。で、こんな地味なものも復元されているのです。全国の城跡でも排水溝の復元なんて、なかなか無いのではないでしょうか?



池田氏の居城であった頃には無かったのではないかっと思われる天守閣風の建物や茶室なども建てられていますが、城跡公園なので良しとしましょう。天守が無ければ城っぽくないですから。






城跡公園を北側に抜けました。そこには城の土塁(土の城壁)が残っていて、北側の外堀の役目の杉ヶ谷川が流れています。 え?マニアックですか? 自分でもそう思います(笑)


城跡公園の北には大広寺があります。このお寺は池田氏の菩提寺です。


池田氏菩提寺の大広寺ですが墓地に歴代のお墓がズラッと並んではいません。荒木村重に乗っ取られて居城が伊丹に移され池田城が廃城となった際、大広寺も伊丹に移転させられたのです。その後、慶長14年(1609)に知正の弟の池田光重が旧地に再興したのですが(その一族と称する池田輝政が巨大な姫路城の城主となったのとは対照的に)昔のような権力も財力も無い池田宗家では、最後の当主池田知正と(光重の子で知正の養子となった)三九郎の質素な五輪塔を建てるのが精一杯だったのかもしれません。


大広寺には摂津三守護となった池田勝正のお墓もありません。勝正のお墓としては三田市にソレと伝わる小さな五輪塔があるのみです。 ただ、代々この地を治めた池田氏の菩提寺ということで地域の人たちには一目おかれる存在だったのでしょう。墓地には多くのお墓があって、逸翁こと小林一三のお墓もあります。手は合わさせていただきましたが写真を撮るのは控えました。戦国時代や江戸時代の方々のお墓を撮るのはナンとも思わないのですが、現代の人やその一族のお墓の写真って撮りにくいように思うのです。ソレって私だけでしょうか?
大広寺から西へ300mほど歩いたところには伊居太神社が鎮座しています。こんな字を書いてイケダと読みます。池田いう地名はこの神社が語源だとも言われます。穴織媛が死去した翌年に仁徳天皇の命によって祀られ、延暦4年(785)に桓武天皇が社殿を建てたと伝わる式内社です。

伊居太神社のすぐ北には五月山動物園がありますが工事中でした。ここにはウォンバットがいて、池田市のマスコットにもなっているのですが、ウォンバットに会うには完全予約抽選制となっていました。

伊居太神社から南へ歩くと、住宅街の中に本養寺があります。かつて松村呉春が住んでいた場所です。が、なかなか分かりにくい所にあります。
池田駅近くの昭和3年(1928)創業の和菓子屋さん「香月」に寄り、「猪名の月」「おりひめ伝説」「ウォンバットまんじゅう」を購入しました。

池田駅の前に大きな看板がありました。ウォンバットがモチーフのキャラクターは「ふくまる」っというんだそうで、そのファミリーのイラストがありました。みんなオッサンみたいに見えますが(笑)

駅前に酒屋さんがあったので入ってみましたが、池田の地酒「緑一」は置いておられす「呉春」は1升瓶しか無なかったので(さすがに重たいので)購入は諦めました。っというか、そもそも4合瓶など生産していないんだそうです。
夕食には蕎麦屋さんに寄りました。「蕎麦見世 のあみ」ではお蕎麦だけではなく、居酒屋的なメニューも色々とありました。

「とびっこ」というのはトビウオの卵なんだとか。泉州出身の私ですが、水ナスのこんなアレンジは初めて頂きました。美味!

お蕎麦も天ぷらも水ナスも美味しく頂きましたが(日本酒はいくつかあるのに)地元の池田の地酒が無かったのが残念でした。池田酒生き残りの2軒の蔵のお酒を飲みたかったなぁ。
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