西国街道(近畿)その15 芦屋市内
京都から中国地方を通って太宰府へと向かう西国街道の近畿部分を歩いたレポートの「その15」です。
今回は兵庫県芦屋市内を散策しました。 スタートが遅かったこともあって最初にランチへ。土山人さん。芦屋では有名なお蕎麦屋さんです。店舗名は北大路魯山人へのオマージュからなのでしょう。恐らく。 ここ芦屋の創業店以外にも大阪市内や有馬温泉などで10店舗ほどの店舗があって、西宮、大阪市中央区伏見町、東京の目黒区青葉台の店舗などは独立されたんだとか。店長さんに積極的に独立を促す企業さんなのでしょうか?ホームページに独立していったお店も載せているってことは、少なくとも円満独立のはず。(その14に書きました)廣田神社と西宮神社のような離脱の際のトラブルは無かったはずです(笑)

行列のできる人気店ですが、開店前に到着すれば割とすぐに着席することが出来ます。お客さん全員のオーダーをこなす為、着席してからの待ち時間はかかるのですが。だし巻き玉子や汲み上げ湯葉などの一品もあります。それで余計に時間がかかるのですが(笑) 以前ここで泉州産の水ナスを生で頂いたことがありました。泉州に生まれ育った私ですが、浅漬けではなく生で食べたのはその時が初めてで、その美味しさに驚いたのでした。が、この日のお品書きにはありませんでした。また夏に伺います。
お蕎麦は田舎そば・せいろを選択するスタイルです。「海老天せいろを田舎そばで」ってなんだかヤヤコシイ注文の仕方になりました。
お蕎麦の味は間違いのないところです。そして、美味しいお蕎麦屋さんは天ぷらも美味しい!当たり前の法則です。

美味しいお蕎麦に満足した後、芦屋川の上流へと北上しました。 阪急芦屋川駅前には、ちゃんとした登山スタイルの人たちが集まっています。朝の早い時間ならもっと大勢の方がおられます。この方々はここから六甲山に登られるのでしょう。どう見ても村上春樹さんの聖地巡りをされるイデタチではありません(笑) 私も山へ向かいます。でも、がっつり六甲山まで登るのではなく、その手前の城山だけが目的地です。
室町幕府の管領で摂津国守護でもあった細川高国に命じられて、この山に城を築いたのは瓦林正頼。「その13」で瓦林城や越水城のことを書きました、西宮・芦屋辺りを領有していたローカル武将です。山の上に戦時用の城を、麓には平時に政務を執り行うための館を築きました。山上の城は鷹尾城と、麓の館は芦屋城と呼ばれます。

京兆家(けいちょうけ、細川氏の宗家=幕府の管領の座)を細川高国と細川澄元が争って、高国は瓦林正頼に鷹尾城を築かせ、四国・淡路からの敵襲に備えさせました。 永正8年(1511)7月、細川澄元に呼応した淡路国守護の細川尚春が攻めてきました。管領に就いていた高国は柳本・能勢・波多野ら3千の兵を急行させて、瓦林とともに迎え撃って激戦の末になんとか撃退しました。が、8月になって細川澄元方であった播磨国守護の赤松義村が来援に動き、一旦は敗走していた細川尚春の兵と灘五郷衆を合わせて2万もの大軍で攻め寄せ、鷹尾城は落城して瓦林正頼は伊丹元扶の居城である伊丹城へと敗走することに。赤松義村は伊丹城にも攻め寄せましたが、総大将である細川澄元が京の船岡山で細川高国・大内義興の軍に敗れた為に義村は兵を退いて、高国陣営は(正頼は)鷹尾城を奪還したのでした。 永正13年(1516)に瓦林正頼は越水城を築いてそっちをメインの城として、鷹尾城は家臣の鈴木与次郎が守ることになりました。その後、越水城も鷹尾城も取ったり取られたりを繰り返しましたが、元亀4年(1573)頃に織田信長の命令で廃城となって鷹尾城は消滅したのでした。


城山の近くには高座の滝という名所があります。落差10m。そんなに豪快なものではありませんが、昔は修験道の行場にもなっていたんだとか。(その9で訪れました)箕面の滝では「無理やなぁ」っと諦めるところですが、この滝でなら私でも滝行が出来るかも?っと思えるサイズ感です。
この滝の脇から六甲山の最高峰へと登る登山道があります。阪急芦屋川の駅前にいた登山客さん達は、この滝を見てから六甲山のピークを目指して登って行くのでしょう。また。ここから荒地山にも登ることが出来ます。その名の通りに岩場の多い山で日本初のロッククライミングの名所です。登山客さんの半分はそちらに向かわれるのかもしれません。 私も3人の子供を連れて高座の滝から「芦屋ロックガーデン」に登ったことがありますが、なかなかにキツい所でした。小学生は高学年ぐらいでないと無理なのかも?っと思います。
ちなみにロック(ROCK)と六甲(ROKKO)は似た音ですが他人の空似です。当たり前ですが(笑)

山から下りてきました。 芦屋川を挟んで城山の東側にはヨドコウ迎賓館が建っています。現在の所有者は淀川製鋼所ですが、元は酒造家の山邑太左衛門の別邸として建てられたものです。(その13で書きました)宮水を発見して灘五郷発展の元を作ったアノ山邑太左衛門です。




大正7年(1918)に巨匠フランク・ロイド・ライトよって設計されたこの豪邸は、その6年後に日本人の弟子たちによって建設されました。大正期に建てられた鉄筋コンクリート造の住宅としては国の重要文化財指定の第1号となりました。 幾何学的な彫刻が施された大谷石、木組みや銅板の装飾も特徴的です。美しく、また可愛らしい感じもします。


ふんだんに使われている大谷石(おおやいし)は宇都宮の北西部で産出されたものです。北関東を歩いていると、蔵などに使われているのをよく見かける石ですが、ライトが帝国ホテルの建設に使用したことで有名になって、建築に使用されるのが増えた石材なのです。



ライト建築ではアメリカにある8棟が世界遺産になっていますが、このヨドコウ迎賓館も(ついでに?)いつか世界遺産に指定される日が来るのかもしれません。








がっつりとライト建築を満喫しました。何度も訪れたい場所です。
建築美の余韻に浸りながら芦屋川沿いに下りてくると、開森橋バス停の脇に2つの碑がありました。
猿丸翁の碑は、芦屋川の上流部に奥池を造成した猿丸安時を顕彰する碑です。村長であった安時は、水争いの解決の為に天保12年(1841)から20年もの歳月をかけて大工事を成し遂げたんだそうです。安時が造成した奥池は今でも芦屋市の飲み水の水源となっていて、芦屋市民は猿丸サマのお陰で日々の暮らしを送ることが出来ているのです。 猿丸といえば小倉百人一首に「奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき」の歌が撰ばれている猿丸大夫が有名ですが(っというかソレでしか聞いたことがない名前ですが)その子孫と称する芦屋の猿丸氏は村長や市長となって、戦後に市長になった猿丸吉左衛門吉雄は(芦屋と有馬温泉を結ぶ)芦有ドライブウェイを開通させたりしています。 ってそもそも猿丸大夫が実在の人物かどうかも定かではないのですが。。。

大きな猿丸サマの碑のそばには阪神大水害の小さな碑があります。谷崎潤一郎の「細雪」にも詳しく描写されている昭和13年(1938)に発生した大水害。 豪雨によって六甲山系の各所で山腹の崩壊が起こり、土石流を伴う大氾濫となって、死者・行方不明者が715人にも達する大災害となったのでした。 こんな上流域で堤が決壊したら甚大な被害、っというか芦屋市はほぼ壊滅でしょう。

もちろん今は穏やかに流れる芦屋川に沿って海の方へ(南へ)歩いていきます。山から近いこともあって、芦屋川にはキレイな水が流れています。
国道2号線の北と南に「芦屋川の主役は私たちです」っと書かれた看板が設置されていました。アユ、オヤニラミ、ウナギ、カワセミ、カワヨシノボリ、カワムツ。 たしかに芦屋川ではアユを見ることが出来ます。オヤニラミ?そんな珍しい魚も棲息しているんでしょうか?アユもウナギも海から川を遡上します。上流にサカノボルっと書いてソジョウっと読みます。


ですが、私は知っています。 芦屋川は雨の後でなければ海まで水が流れずに途中で干上がってしまう川なのです。阪神芦屋駅より南には普段は水が枯れてしまっています。水が途切れると、アユもウナギも遡上することが出来ません。しかも途中にはトンデモなく高い堰があります。サルでも登れないような高い壁です。遡上できないアユたちを、わざわざ上流に運んであげている奇特な方がおられるっという話を聞いたこともあります。 芦屋市は水が枯れてしまわないように川底の改修を、また堰を迂回するための魚道の整備を「芦屋川の主役」の為に行うべきなのでは?っと思います。
芦屋川に沿って海沿いまで下ってきました。昔の海岸線沿いにあった堤防が残されていて、それに沿って走っている臨港線と呼ばれる道路の内側には図書館と美術館が建っています。この図書館は、前回に立ち寄りました(村上春樹さんも通った)打出の図書館が手狭になったので新たに建てられた大きく立派な施設です。 図書館と美術館の間に谷崎潤一郎記念館が建っています。記念館の入口には15トンもあるという大きな石が置かれています。阪神大水害の頃、谷崎は神戸市東灘区岡本に住んでいて、巨石が土石流によって岡本の谷崎邸の庭に落ちてきたんだそうです。で、谷崎はこの巨石をそのまま庭石にしたんだとか。 記念館の開館にあたって、その谷崎旧邸の所有者の方のご好意でこの場所に移されたっという経緯なんだそうです。


記念館には谷崎自筆の原稿や写真などの展示があります。イビツな恋愛感情を描いた作品も多い文豪。個人的には「春琴抄」が強く印象に残っています。常軌を逸した恋慕の表現に、恐怖が後を引く作品です。
芦屋川にかかる橋の中で、一番海側にあるのが鵺塚橋です。夜へんに鳥と書いて「ぬえ」と読みます。
平安時代の終わり頃、この鵺が夜な夜な御所の屋根の上に現れました。頭はサル、胴体はタヌキ、手足はトラで、なんと尻尾がヘビになっているというハイブリッドな妖怪です。 この妖怪の不気味な鳴き声が響き渡って、それに悩まされた二条天皇は病に伏せるようになってしまいました。そこで源頼政が鵺の退治を命じられて、そのミッションを見事に完遂! 射落とされて(サルの)首を討たれた鵺の遺体は丸木船に乗せられて桂川に流され、大阪湾へと流れ出てこの芦屋の浜に漂着したんだそうな。そして村人たちは鵺の遺体をこの場所に手厚く葬ったんだとさ。 っという説明板のそばには鵺塚があります。


塚を掘り起こしてハイブリッドな姿を(その骨格を)見てみたい衝動に駆られるところですが、もちろんそんな行動には出ていません。すぐ隣りに交番もあるので職務質問をされたら説明に困ります。また村上春樹さんの「騎士団長殺し」みたく、墳墓を暴いたためにヤヤコシイ異形の物を召喚してしまっても困るので、シャベルの縁に足をかけるのは思い留まりました(笑)
ぬゑ塚の前でアホな妄想に浸っている間に日が暮れてきました。鵺塚橋から六甲山方面を見ると、なかなかに美しい景観でした。雨が降った翌日だったので、芦屋川の下流域にも水が流れていてラッキーでした。

日が落ちてから、やっぱりラーメン店に向かいました。ふうりんさん。
「ラーメン街道」とも呼ばれる国道2号線沿いに鎮座する1996年創業の有名店です。神戸市東灘区の住吉にも店舗があります。歩き疲れた体が優しいスープに癒されました。


一般的には高級住宅地のイメージしかないと思われる芦屋市でも、歩いてみると色んな物に出会います。 充実した歴史・景観・文化財・麺類めぐりの〆を、前回と同じbaR伊藤でまったりしてから家路についたのでした。
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