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その「正道」は、自分を隠すための化粧か

言葉巧みに、自分の懐だけを密かに肥やしながら、平然と「人の道」を説く。
その光景に私たちが覚えるのは、怒りを超えた「空虚さ」でしょうか。

なぜ、彼らは、これほどまでに矛盾した行動が取れるのか。すごく堂々と…
彼らにとっての言葉は、自分を律するための「指針」ではなく、自分を美しく見せるための「化粧」だからでしょうか。

他人の善意や信頼を、共に育むべき財産ではなく、使い捨ての「燃料」として消費し、得た利益で自らを飾り立てる。
その華やかな姿の足元には、踏みつけにされた人々の声なき痛みが積み重なっています。

彼らが最も恐れているのは、自らの中にある「空虚さ」や「汚れ」を直視される事態のようです。
だからこそ、より大きな声で、より立派な理屈を巧みに並べ立て、延々と塗りつぶそうとする。
しかし、どれほど金箔を厚く塗り重ねても、ノイズに魂が宿ることはありません。

言葉が美しければ美しいほど、その裏にある「冷徹な手元」との乖離は深まり、やがて誰からも信じられないという、本質的な孤独へと繋がっていくのかもしれません。

真の気高さは、語られる言葉の中ではなく、誰も見ていない場所での「選択」に現れるものです。
私たちは、饒舌な正論に惑わされることなく、その人の「歩んできた足跡」を見つめる眼差しを忘れてはなりません。
奪うことで得た豊かさは、決して、心の渇きを癒やすものではない、どこかに空っ風の吹く穴が付いて回ります。

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