【第14回】質問と回答
東京大学大学院情報学環を拠点とする「プラットフォーム研究会」は、国内外のさまざまなプラットフォーマーの経営、歴史、思想、創業者群像、政治との関係、生成AI戦略などについて、2025年6月まで25回の会合で議論を重ねてきました。
本noteでは、西村陽一・東京大学大学院客員教授(朝日新聞のワシントン・モスクワ特派員、政治部長、編集局長、常務取締役編集担当。元ザ・ハフィントン・ポスト代表取締役)による「情報社会論」講義(情報学環教育部)の一部を再録するとともに、研究会での議論内容を特集記事として順次紹介します。
第1回~第7回は、「情報社会論」講義の初回「イントロダクション ~プラットフォーマーとメディアを取り巻く潮流について」(2024年4月)の再録を、第8回~第13回は、2回目の講義「プラットフォームビジネスのメカニズム~その急成長とパワーの源泉」(2024年4月)の再録を、それぞれお届けしました。
この第14回配信は、2回目の講義に寄せられた多数の質問の一部と西村教授の回答を掲載します。
次回の第15回からは、「情報社会論」講義の3回目「戦争と情報~ロシア・ウクライナ戦争と巨大プラットフォーマー」(2024年4月)の一部再録をお届けします。
「偶然の出会い」すら演出する?
社会人学生A(製造・小売業)の質問:プラットフォーマーは私の「閉塞感」をも乗り越えていくのか?
「私たちが生きる社会は、巨大プラットフォーマーがつくり上げた膨大なデータの蓄積や『つながり』のうえに成り立っています。モノを買うにしても、音楽を聴くにしても、ニュースを見るにしても、私たちの行動はデータとしてたまっていき、さらなる個別レコメンデーションに反映されます。それはそれでとても便利なのですが、新しい視座にたどりつけない閉塞感も感じます。この閉塞感はプラットフォーマーにとってボトルネックとなりますか?それとも、彼らはこれすらも打開していくのでしょうか?出会いさえパーソナライズされているネットの世界で、『縁もゆかりもない真新しい何か』との出会いは可能なのでしょうか?もし、プラットフォームがこれすらも実現したら、もはや敵なしになると思います」
セレンディピティとは
西村陽一・客員教授
セレンディピティ(serendipity)という言葉を聞いたことがある人は?
学生B
「思いもかけない発見、偶然の出会いのことですよね」
西村教授
そうですね。もともとは、ペルシャのおとぎ話から取られた言葉で、Bさんが言ったように、何かを探しているとき、探し物とは別の、価値のあるものを偶然見つけること、偶然の出会い、発見を意味しています。
さらに、単に受け身で偶然を待つのではなくて、普段なら見過ごしてしまうようなことを見逃さない能動的な力、偶然の出会いがもたらしてくれる面白いチャンスを逃さない力とも言えます。
初回講義(「イントロダクション」)で、「デジタル革命」「ソーシャル・モバイル革命」「データ革命」の三つの大波の同時進行についてお話しました。
この大波のなかで成長したソーシャルプラットフォームの世界では、皆さんがすでにいろいろなところで学んだように、アルゴリズムのレコメンド機能によって、大量の一面的な情報、自分が好きな情報ばかりに囲まれる「フィルターバブル」、あるいは、同じような考え、同質の思想ばかりが集まり、閉鎖的な空間のなかで主張がだんだん増幅、先鋭化する「エコーチェンバー」といった現象が現れます。
そんな時代には、「セレンディピティ」なんて当の昔に失われている、という指摘はよく聞きます。
街の書店の本棚、リアル店舗の売り場の棚、紙の新聞のレイアウトのなかには、アルゴリズムの世界では期待できない、思いもかけない偶然の発見がある―。リアルの世界からそんな指摘が出てくるときもこの言葉は使われてきました。

セレンディピティ込みのアルゴリズム
しかし、一見「セレンディピティ」を組み込んだかのようなアルゴリズムでさえ、プラットフォーマーは提供できるでしょう。
私は、海外の政治ドラマ、メディアを素材にしたドラマ、ポリティカルサスペンスをよく見ます。これらの視聴歴を踏まえた普通の「おすすめ」に加えて、私の好みから外れた新しい、しかし興味をそそるようなジャンル、一見すると「予測不能」とも思えるコンテンツ群の提供だって、プラットフォーマーには可能でしょうね。「セレンディピティを組み込んだレコメンドシステム」というわけです。
プラットフォーマーとしては、ユーザーがいつも似たジャンルやトピックのコンテンツばかり見ていると、いずれ飽きがきて、自分たちのプラットフォームからほかに乗り換えられるリスクが出てきます。
ですから、それを防ごうというビジネス上の計算から、「一見すると思いもかけない発見」を提供してくれるアルゴリズムを開発するということです。
しかし、プラットフォーマーの主導で、思いもかけない発見までAIによって提供されるということになると、それは、しょせん、彼らの手のひらの上で踊っているということになりますよね。
「偶然性」を抱え込んだAIをつくって、それを統計と確率に基づくAIに対峙させようとしたとして、では、プラットフォーマーが用意した「偶然性」を持つAIとは本当に個人を尊重しているのか。そんな疑問も出てきます。
ならば、世界のメディアが協力して、視聴歴だけには基づかない「思いもかけない発見」「機械的なおすすめの枠から外れた出会い」「私的な関心だけにとどまらない公共性をもったテーマ」を提供できるような、そんなアルゴリズムの開発はできないのだろうか。私は前からそんなことも考えているのですが、正直なところ、欧米のメディアコングロマリット以外では体力的に難しいでしょう。
リアルな世界での共感を大切に
プラットフォームビジネスやソーシャルプラットフォームの便利さに安心する自分がいるというのはその通りなのですが、では、アルゴリズムがますますとぎすまれていくこの時代に求められるものは、何なのでしょうか。
Aさんは利便性とともに閉塞感という言葉を使いました。
これはしごく当たり前のように聞こえるとは思うのですが、スマホのなかのレコメンドだけに安住せずに、リアルの世界での偶然の出会いや発見、驚き、共感を大切にする感性を失わないこと、リアルの世界のなかに手触りを感じることのできる自分なりのコミュニティを複数持つこと、そのコミュニティの「ガーデニング」(手入れ)を怠らないこと、情報の収集においては、一方向の情報だけに流されず、自分なりの情報源に関する「情報ポートフォリオ」をつくり、それを随時更新していくこと。こうした努力を意識して一つひとつ実践していくしかないと思います。
「内なるゲートキーパー」を持つ
社会人学生C(フリージャーナリスト)の質問:ゲートキーパー不在の時代のリテラシーとは?
「YouTubeやXの動画視聴者数、フォロワー、コメント、評価、シェアなどは、プラットフォーム時代の無形価値、『人気』や『名声』というべき無形資産です。こうした無形資産を梃に、訓練を積んだプロのジャーナリストや専門家でなくても、たった一人で世界に発信することができるようになりました。一方で、『ゲートキーパー』のお話がありましたが、ゲートキーパーが駆逐され、ゲートキーパー不在のまま、偏った発信、一方的な発信を簡単にできる時代でもあります。こんな時代に情報の受け手としてはどのような意識が必要でしょうか?」
学生Dの質問:ゲートキーパーのこんにち的役割とは?
「パイプライン型のビジネスモデルが、プラットフォームビジネスによって弱体化してきたという話を聞きました。しかし、自分は、パイプライン型モデルを支えてきたゲートキーパーのような役割はいまでも有効だと思っています。ゲートキーパーを追放したプラットフォーム全盛のこの時代、その点はどう考えればいいでしょうか?」
アテンション・エコノミーとフェイクニュース
西村教授
これまで、プラットフォーマーの「つなぐ」という行為について説明してきました。SNSは、人と人とを効率よくつなぐようにできています。人と人の間の情報のやりとりが盛んになるように設計され、情報は個々人に合ったものになるように調整されています。構造的にますます熱心にSNSを使うようになっています。
この構造では、情報の改変がとても簡単です。
リアルのつながりは希薄なのに、ネット上の結びつきが過剰になった時代には、情報操作で大勢の意見を政治的に操作することも、社会の雰囲気を短期間で意図的に変えることもできます。
Cさんが無形資産として例示したのは、プラットフォーマー特有の「通貨」です。それが「アテンション」、つまり、注意や関心です。
YouTubeなら動画視聴者数、X(旧ツイッター)ならフォロワー数。「アテンション」、つまり注意や関心を向けることが、生産者に報いることになります。プラットフォームは、その「アテンション」を利益に変換します。それが「アテンション・エコノミー」です。
ウーバーやアマゾンでは、利用者がサービスや商品に点数をつけたり、レビューを書いたりします。YouTubeにもコメントや評価があります。これらは、人気、評判、名声、影響力です。プラットフォーム経済では、こういった無形の価値が、通貨の役割を果たします。これにはプラットフォームの乗り換えを防ぐ効果も期待されています。

私たちが使える時間は限られています。それに比べて、世の中は情報とサービスにあふれ、その数はどんどん増えています。ですから、私たちが支払える通貨としての「アテンション」は希少な存在となり、経済的な価値を持ちます。
「アテンション・マーチャント(関心の商人)」としての巨大プラットフォーマーの行動については、回を改めて説明しますが、このような市場では、操作された情報やフェイクニュースは猛スピードで拡散します。関心が広告料収入の形のもうけになるという「経済的合理性」の逆説があるからです。
事実がフェイクの6倍の時間
この拡散のスピードですが、私の手元に面白い研究があります。うそのニュースの拡散についての10年がかりの調査です。どこかで紹介しようと思っていましたが、いい機会ですのでかいつまんで説明します。

マサチューセッツ工科大学が300万人のツイッター投稿を分析したところによると、フェイクニュースは、事実を伝えるニュースよりもはるかに速く、はるかに広範囲に拡散されていた▽事実を伝えるニュースが1000人以上に広まるのは稀だったが、上位1パーセントのフェイクニュースは、10万人くらいに拡散されるのが普通だった▽根拠が確かなニュースはフェイクニュースに比べて、1500人以上に広まるのに約6倍の時間がかかっていた―といった内容です。
マーク・トウェインやチャーチルの言葉もここで紹介しておきます。

偽情報に騙されない、拡散しないためのリテラシーが一人ひとりに求められます。しかし、そもそもこの時代に、情報リテラシーに対して完璧さを求めるのは無理な注文です。
ここで、Ⅾさんが提起した「ゲートキーパー」という言葉がこんにち的な意味をもってよみがえってきます。
一人ひとりが内なる「ゲートキーパー」を持ち、それをもとに情報に接する姿勢を持つ努力が必要だということです。
自分なりの「内なるゲートキーパー」ができることはいくつもあるでしょう。
ソースの点検で気を付けること
たとえばソースの点検。発信元は内外で広く知られているメディアか。引用されているのは一般に信頼され、責任をもって語っている専門家か。異論や反論は実名で提起されているか。それを受けて冷静な議論が展開されているか。同じテーマについて別の媒体では何と言っているか。こういったことの点検は、ひとつの手がかりになります。
匿名アカウントは要注意です。また、ステマ(ステルスマーケティング)ひとつとってもわかるように、フォロワー数、シェアの数の多さと情報の信頼度の間に直接の関係はありません。発信者のプロフィールも調べてみましょう。
ファクトチェックをしているNPOやメディアは世界中にあります。人手不足と財政難を抱えながらチェック作業を続けている民間団体の実践には頭が下がりますが、実際問題として情報の洪水のなかで追いついてはいません。
組織力があるはずの一般メディアも、労力や予算の制約で常時チェックする体制はつくれていません。しかし、皆さんがそうしたサイトを意識的にチェックしておくことはとても有益です。
軽い気持ちで反射的に「いいね」をしないことも重要です。ウクライナ戦争やコロナ禍では軽い気持ちで「いいね」を押した後に、それが誤情報、フェイクニュースだったことが明らかになった事例がたくさんあります。
AI時代の調査報道については回を改めて触れますが、プロのメディアではなくても、画像検索ツールなどで過去の画像の使い回しかどうかを調べることはできます。個人でできることもあるということです。
ウクライナ戦争では、ロシア発の偽誤情報やプロパガンダが日本のネット空間でも数多く流れました。一方で、深刻な人道危機を前に、「情報をシェアしない」イコール「行動を起こさない」ととらえる心理が強いあまり、すぐ情報をシェアしたいという欲求が働いて、結果的に偽・誤情報の拡散につながった、という研究もありました。いわゆる連帯プレッシャーと言われています。
「戦争とプラットフォーム」は次回講義のテーマとなりますが、ロシア発、中国発、アメリカ発、ウクライナ発にかかわらず、あとでフェイク画像とわかった投稿に条件反射的にボタンを押してしまっていたという例は枚挙にいとまがありません。

パイプライン型ビジネスのゲートキーパーが廃れたとしても、一人ひとりが自らの努力で「情報ポートフォリオ」をつくり、情報に対する「ゲートキーピング機能」を備えておくことはとても大切なことだと思います。
伝統メディアとDX人材
大学院生Eの質問:伝統メディアはデータ人材に力点を置いていないのでは?
「初回の授業で紹介があった『デジタルボルテックス(渦)』(第2回配信)と、今日の授業で説明されたパイプライン型ビジネスの弱体化についての質問です。渦の中心に位置するメディア業界が、デジタル破壊の最も深刻な影響を受けるというのはわかりました。伝統メディアは果たして、渦の外側にあるほかの業界に比べてDX人材を抱え込めているでしょうか?そうは見えません。日経や朝日などに研究開発部署があるのは聞いていますが、やはり、採用や育成において主眼はどこまでも記者に置かれ、コンテンツの流通やデータの活用といった新しい領域については、テック企業に外注しているように見えます。パイプライン型ビジネスとしての新聞業界の衰えは、デジタル人材対策が弱いという側面が大きいのではないでしょうか」

編集と技術の融合、そして統合へ
西村教授
Eさんの指摘の通りです。私が新聞社で編集部門の責任者をしていたころの重要課題が、編集局と技術部門の交流、融合、そして統合でした。ワシントン・ポストなどはだいぶ前から、記者と技術者が文字通り机を並べて密接に協力して仕事をしていました。
紙の時代には販売や広告と編集部門との人事交流がありましたが、技術部門や研究開発部門と編集部門との人事交流はようやく始めたところでした。
ワークフロー効率化のために生成AIを取り入れ、調査報道やデータジャーナリズムにもAIを活用するようになり、AIの知見はさらに必要となっています。編集部門と技術部門との交流→融合→統合の動きはこれからもっと活発になっていくはずです。
以前はあまり実態を伴っていなかった新聞社のCTO(最高技術責任者)ポストも、たとえば朝日の場合、私が退職した翌年だったと記憶していますが、ミクシィの役員だった方を社外CTOに迎え、技術戦略・事業戦略づくりを担当してもらっていると聞いています。
技術部門の採用も、日経を先頭にだいぶ多彩になり、人数も増やしています。世界各国のメディアも、それまでのソフトウェア技術に加えて、データサイエンティスト、データアナリスト、AI専門家など幅広く大量に採用しています。
ただ、この分野は雇用市場での競争がとても激しく、人材の確保、人材のつなぎとめはとても難しくなっています。GAFAMや日本のプラットフォームなどの給与水準の方がはるかに高いからです。
私がかつてともに働いた技術者たちは、ニュースに関心があり、ニュースが好きな人たちでした。こうした人たちはすぐには転職しませんが、これから「ニュース好き」の技術者がどのくらい出てくるのか、現段階ではわかりません。
これからは、生成AIの訓練のためのプロンプトエンジニアのように、単なる技術の専門家ではなく、歴史や倫理、哲学の知見も併せ持つ人材も必要になってくるでしょう。
また、これはすでに欧米メディアが先行していますが、経営としても本格的なAI時代の到来で、生成AIとデータ分析がこれからの重点投資分野となるでしょう。
コンテンツ管理システムをはじめとするデジタルプラットフォームの独自あるいは複数の社の協業による開発も進むでしょう。これはライセンス契約をすることによって収入の多角化の一環となるからです。
社会人学生F(メディア業界)の質問:「周縁」のデジタルシフトは難しいのでは?
「Eさんの質問に関連しますが、新聞業界では遅れているといっても、コンテンツ面はデジタルシフトが始まっています。しかし、経営を支える販売・広告・輸送は物流を伴う分野として組織の周縁に置かれています。こうした部門、とくに紙の新聞の輸送は、最もデジタルシフトが難しい分野です。日本の新聞社もいずれは欧米のような完全にデジタル中心のビジネスモデルになるのでしょうが、それがいつになるのか、先を見通せません」
「上流」と「下流」のデジタルギャップの拡大
西村教授
今日はプラットフォーム企業がパイプライン型企業を脅かす話をしましたが、その過程では、パイプライン型企業も当然、変革をはかろうとします。
新聞を例にとれば、Fさんの言うように、パイプラインの川上にあたるコンテンツの制作や配信の過程でデジタル化を進めてきました。
しかし、ここで、パイプライン型企業ゆえの問題が起きます。
川上のデジタルシフトが進み、さらに一歩進んだDX(デジタルトランスフォーメーション)によって編集局の組織文化が大きく変わったとしても、川下の紙の新聞のトラック輸送、新聞販売店での集積・チラシ入れ・各家庭への人力による配達といった物流は、多少の効率化はできるにせよ、デジタルシフトは進みません。
私が新聞社に勤務していたころから、新聞販売店の人手不足は深刻な問題となっていましたが、たとえアマゾンの配送にドローンが一般的に普及し、アマゾンの倉庫がロボットとAIで完全管理されるとしても、全国各地で毎日1回か2回、中小規模の拠点から網の目のように紙の輸送と配達をしている新聞では物流面のデジタルシフトは難しい。
これがまさに、Fさんが日常的に仕事場で痛感していること、つまり、伝統的なパイプライン型産業である新聞業界における川上と川下のデジタル化のずれの拡大、工程と工程のデジタルギャップの広がりというジレンマです。
この点は、デジタル化への過渡期のトンネルが長期にわたって続く以上は避けられない問題です。
かくも長き過渡期においては、川上のデジタル化とDXを不断に進めつつ、川下の物流部門は縮小、協業による合理化をするといった防衛策をとるしかないと思っています。
