「自信」は何かを達成したら得られるものだと思っていた
「自己肯定感を高めて、自分が伝えたい事を相手に伝えられるようになりたい」と言っている人がいた。「自己肯定感」とか「自信」とかは、私自身も2018年は特に考えていたテーマだったので、改めて考えてみた。
「自己肯定感が低い」とか「自信が無い」。私自身は、昔、自己肯定感という言葉すら知らなかった子供時代に、例えば優秀な成績を収めるとか、体育が得意とか、何かしら人の前に立つ人々は、なぜか自分とは異なる別世界にいる人々だと思っていて、そういう人々と自分を比べて、自信が全く無かった。自分の価値とか、そもそも生きている意味とかをよく考えていて、自分は誇れるものが無い、他人に伝えられるものが無いと思っていた。
日本には「他人に迷惑をかけないこと」という空気が前提にあって、他人に対して「かわいい」とか「素敵」とか、そういう褒める言葉を発することすら、「でも、そんな言葉を使う自分像を認める瞬間」がなぜが苦手になって、どんな言葉でも「これを言うと相手に迷惑かもしれない」という感情が優先されている気がする。
長らく、周りを気にし、「自信が無い」状態の自分を過ごすことになったが、ある時「もっと自分に頼ってほしかった」と言われたことがあり、その時は「頼る?別に自分で出来ているし、本当に必要であれば言う、それより迷惑をかけたくない。」と思ったが、後々、より深くこの言葉を考えて、ある結論に達した。
「自分に自信が無いことが、相手にとって失礼だった」ということだ。
「自信」とは、文字通り「自分を信じる」と書く。例えば、自分に自信が無くても、それでも一緒にいてくれる人がいるとする。それなのに、「私は自分に自信が無い」と言い続けるとするとすれば、それは相手にとって「自分を信じていない人と一緒に過ごす自分像」が限りなく悪くなる。「迷惑をかけたくないから頼らない」というのは、相手のことを気にして、というのではなく、結局自分も相手も信じていなかった。
友人でも彼氏でも彼女でも、家族でも、何かしら自分と一緒に過ごす、自分の時間を使うと決めてくれた人に対して、「自信が無い」というのは、「相手と過ごそうと決めた自分の決断に自信が無いけど、どうしたらよい?」と聞いているようなものだ。
そう、考えの視点を変えてから、自分を信じることは、相手を信じることでもあると考えられるようになった。まず、自分を信じること。周りがどう思おうが関係ない。周りの評価は関係ない。「この人と一緒にいると面白い」と思う自分を信じることができれば、素直に「あなたと一緒にいる時間が面白い」と伝えることもできるはずで、そう言われた相手をも幸せにすることができる。一石二鳥だ。
「自信」というものは、自分が何かを達成したら得られるものだとずっと思っていたけど、どうやらそうでは無かった。今の自分を、まずは自分が信じてあげること。そこから、少しずつ周りの世界すらも変わっていった気がする。
きっと、自己肯定感を高めようと思って、それをゴールにしても高まらない。相手がどう思おうが、今の自分を信じること。
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