走馬灯のススメ
4月28日のこと。
朝、目が覚めると泣いていた。
いや"君◯名は"じゃないんだから、、と思ったけれど、実際自分の身に起きたことだから仕方がない。
娘が早朝に起きてわたしの布団に入ってきたから
抱きしめるようにしてまた寝た。そしてほんの少しの間夢を見た。
起きた瞬間なかなかの号泣具合だった。
すぐにあれは夢で、現実じゃなかったと分かった。
夢の中のわたしは病気で、もうすぐ死んでしまうらしかった。号泣する息子と娘を抱きしめて夢の中でわたしは言った。
「多分、ママがいなくなったら心にポッカリ穴が空いてしまったように感じると思う。
でも2人がそう感じた時、『悲しいな』とか『寂しいな』って思った時、必ずママは2人のことをこうやって抱きしめているよ。
二人には見えなくても、抱きしめているから。
悲しい時は今ママがふたりのそばにいるんだって証拠なの。絶対に忘れないで。
悲しくなったら会いに来るからね。
分かるかな?ママはいなくなっても、二人が寂しいって気持ちの時、そばから離れない。約束だよ。」
そこで起きた。そりゃ号泣するはずだ。
夢ってすごい。あれは確かに現実だった。
わたしが普段二人に言い聞かせるように、ちゃんと理解しているか確かめながら同じことを何度も繰り返した。結果分かったんだか分かってないんだかイマイチ分からない反応まで、普段の5歳と3歳、そして自分の姿そのものだった。
泣きながら起きると、目の前には抱きしめたままの娘がすやすやと寝ている。
あなたのおかげで普段あまりみない夢をみたんだね。それでママの遺言は理解出来たのか?と問いたくなった。
あれが夢だったとは分かったけれど
気持ちはまだ引きずったまま。
さよならモードの心でせっせと子どもたちの朝食を作り身支度をした。日常だ。
気分的には豪華な朝食を作りたかったけれど冷蔵庫が空っぽだったので予定通りホットサンドを作った。
死を覚悟したあの少しの間の出来事って
実際は何を考えるだろうか。
夢のおかげで気持ちはもう出来上がっている。
夢を夢とは知らずに感じた限りなくリアルな感情がある。
ちょっとやってみよう
ではスタート。
『わたし死んじゃうのか。
ああ、腹筋割ってみたかったな。
でも腹筋を割るような生活が出来ていたらきっと
"もっと白米食べときゃよかった"とか、"チョコも我慢するんじゃなかった"って思うかもしれない。
腹筋も少し割りつつ、一日に一食は好きなもの食べているくらいが良かったかもしれない。
たまにブロッコリーとゆでたまごだけの日も作ったりね。それが後悔しない食のバランスだったかも。
わたしは自分が食べることが大好きだと思っていたけれど、"もっとフォアグラ食べておけば良かった"とは案外思わないんだな。わたしにとって食よりも下っ腹のお肉を引っ込めたい気持ちのが強かったんだ。知らなかったな。それならやっぱり腹筋しておくんだった。
コーヒーを水みたいに飲むんじゃなくて週末の楽しみにするような人になりたかった。パンを焼いたり、クッキーを焼いたり、丁寧に生きてみたかった。
イライラするたびにチョコをつまむんじゃなかった。チョコももっとこう、人生の楽しみとして食べたかった。
そもそもチョコを食べないといられないほどイライラする人生、イライラする自分は嫌だったな。
芸能人のスキャンダルで頭の中がいっぱいになるような生活を送るんじゃなかった。
もっとちゃんとご飯作れば良かった。
カレイの煮付けとかまだ作ったことない。お刺身もケチらずにもっと出したかった。しょうがを千切りして料理に使ったり、お洒落なちらし寿司を作ったりしてみたかった。
色んなところに出かけたかった。スマホを見すぎるんじゃなかった。
頭痛で苦しんだ時間がもったいなかった。脳神経外科で頭痛予防の注射を打てば良かった。もっと毎日を頭痛抜きで楽しく過ごしたかった。そのお金をケチるんじゃなかった。
ああそうだ!せっかく自分に似合う色の診断をしてもらったのに
似合う色の服を持ってないまま死ぬのは嫌だな。
カーキやボルドー、茶色とか深みのある色が好きだけど、似合う色は淡いラベンダーとかレモンイエローとか、明るいパステル調らしい。布を合わせて比べると確かに深みのある色は全く似合ってなかった。
淡いラベンダーの服は局アナとかインフルエンサーが着るものだと思ってしまっていたけど
似合うなら堂々と着たらよかったんだ。だって似合うって言われたんだから大丈夫。
何かしらで一発当てたかった。
大金持ちになって色んな人に寄付をしてみたかった。子どもが卒園したら幼稚園に、卒業したら小学校に、去り際の寄付をしてみたかったんだ。今はそんな余裕ないけど。何より子どもたちの学費はどうなるんだろう。お金大丈夫かな。
一発当てられるか分からなくとも、もっとがむしゃらに何かをやってみたかったのに。
やりたかったことと言えば家のDIY。
やるやるって言ってまだ材料も買ってなかった。
とにかく材料くらいは買って少しでもやってみればよかったのに。
一発当てるより簡単なのに。
何か親子で習慣を作りたかった。
土日はバルコニーでお昼を食べるとか、
その前日に一緒にバルコニーをデッキブラシでこすって綺麗にするとかもよかったな。わたしと子どもたち3人の長靴を新しく買ったりしてさ。子ども用のデッキブラシとかあったら良かったのに。
毎週金曜は一緒にカレーを作るとかもよかったな。
ああなんか涙が出るな。今になってアイデアが出てくるなんて。
土曜の朝は早起きしてお散歩とかさ、
はたまたお誕生日は毎年ディズニーで過ごすとか。
急に富豪。
意味もなく月一でテントをはって寝るとか、
内容はなんでもいい。とにかく繰り返しイベント的なことがやりたかった。大人になっても記憶に残るような。
毎年夏にカブトムシ探しでもいい、お正月にはボウリングでもいい、なんでもいい。
子どもたちが「毎週土日はバルコニーで食べたよねぇ、しつこかったよねぇ」とか言うくらい記憶を残したかった。
時々やるんじゃ足りない。毎週または毎月、毎年、それを何年か。我が家恒例の何かを作りたかった。
子どもたち。。そうだよ大事なのは子どもたち。
息子の幼稚園のスモックはポケットのアップリケが取れてベタベタになってる。ああ可哀想に。
でもあれすぐ取れちゃうんだよね。
あんなの上から大きいアップリケを貼って、さらに少し縫えば済むことなのに
なんでずっとベタベタのまま着せてしまったんだろう。
すぐやればよかったのに。
今からでもやってあげたいのに。ああ可哀想に。
おしゃべり好きな息子の話をもっと聞いてあげたらよかった。たまに面倒くさそうな自分の顔を見せながら話を聞いてしまった。
本当はいつだってイライラせずに接したかった。
もっと勉強を教えてあげたかった。教える時間なんてたくさんあったのに。習い事の宿題もまともにやってあげられなかった。
すっぴんだからとか気にせずにもっと子どもたちとの家の中の写真を残しておけばよかった。お出かけの写真じゃなくて、パジャマで一緒にソファにいるところとか、ご飯をたべているところ、一緒に寝ているところ。
自分が一緒にうつっているものを。
もっと夫に撮って貰えばよかった。
そうだ、夫!!夫だよ!!!!!
いるのが当たり前すぎて走馬灯にもガッツリは映らないような気がする。そんな存在こそ大事なんだよ。後回しすぎて回想の時間足りるかなこれ。
"可愛い"って言ってくれる時素直に"嬉しい"って返せばよかった。
朝イライラした態度を出すんじゃなかった。
お盆にのった副菜多めのご飯とか出してあげたかった。何に使うの?みたいな小さな小鉢を並べて酢の物とか出してみたかった。
自分が作りたいご飯じゃなくて夫の好物をもっと聞けば良かった。
日焼けするのが死ぬほど嫌であまり釣りに付き合わなかったけど本当に死ぬくらいならもっと付き合ってあげればよかった。
ちゃんと貯金して、余裕がある状態でお小遣いを増やしてあげればよかった。
もっとみんなで旅行に行きたかったけど、それよりもやっぱり家族で習慣を作りたかった。
外を歩くとか、いつも行く公園とか、
わたしたちはスーパーも公園も定まっていないじゃない。
飽き性というか、コロコロ変えてしまうんだよね。
そうじゃなくて、ママはこの公園が好きだったよね、とか
この道を通ってお散歩したよね、とか
"いつもの"をもっと作りたかったのに。
街中にわたしが居た形跡を残しておくんだった。
夫、あなたとも
"月曜の夜は二人で映画"とか、やりたかったよ。
それじゃ、みんな大好き。ありがとう。』
体感では30秒くらい。一文字ずつ噛み締める余裕もなくあれこれ同時に脳内へ大波のような後悔が押し寄せてきた。
人生は航海だからね。って別にうまくない。
意外にも子どものランドセル姿や成人式が見たかったとか、無理なのだから考えても仕方がないことはあまり浮かばないような気がする。気になるのは、やれたはずなのにやれなかったこと。過ぎてしまった時間への後悔が大きいようだ。
にしても思ってたのと違う。
夢の中では出来たように、死ぬ間際は子どもたちへの愛をもっと語りたい。その先の人生の支えになるような言葉。嘘でもいいから、思い出すと胸がしめつけられるような愛情を伝えたいんだ。ママはずっとそばにいるって言いたいのに。
伝えるだけじゃなく子どもたちからの言葉も聞きたい。
残される子どもたちにとっても"母親に言えなかった後悔"をして欲しくないから、
わたしへの気持ちをちゃんと聞いてあげたい。どんな言葉でもいい。
このままじゃまずい。
人生の大後悔を脳内であれこれ並べているうちに死んでしまう。
夫は拍子抜けだろう。
ああ、うちの妻はよほど腹筋割りたかったんだなって。
それはそれで自分らしいけど
わたしはもっと素敵な最期を迎えたい。
とにかく真っ先に浮かぶのが腹筋への後悔なのは嫌だ。
中でも、簡単に出来たことを先延ばしにした後悔が1番嫌だ。
そうしてわたしは朝食のホットサンドを作り終えた後、
死ぬ間際の回想シュミレーションの反省を活かして
早速息子のスモックにアップリケを付けて縫うことにした。
取り掛かれば早いもの、と思いきや
アップリケを縫うのは大変だった。
分厚いし、間の糊が針についてベタベタで進まない。
結局1つのアップリケの3針だけ縫って
幼稚園へ送り出すことになってしまった。
これは大問題だ。
人生の最期、大後悔の波起こしを回避するには計画が必要らしい。
わたしの最期の日を決めよう。
あまり長くても中弛みしそうだし、、半年後?
いや、わたしが作りたい家族の恒例には最低でも四つの季節を経験しておきたい。だから期限は1年後。
夏のカブトムシや冬のスキーにも行くんだ。
絶対行く。最後のチャンスだと思ったら行くしかないもの。1年後死ぬまでにやりたいことをやるんだ。
今日は2025年4月28日。
来年の同じ日に死んでもいいように生きる。
一言目がボディメイクへの後悔ではなく
子どもたちへの愛を残せるように。
腹筋はあらかじめ割っておくこと。
幼稚園のスモックにアップリケを縫い付けること。
料理をのせるお盆を買うこと。
カレイの煮付けを作ること。
子どもたちをたくさん抱っこしておくこと。
息子の話をたくさん聞くこと。
コーヒーは週末の楽しみに。
金曜は子どもたちと一緒にカレーを作る。
感情は当てにならない。
感情は薄くなったり無くなってしまうから。
だってもう今日の午前が終わる頃には尊いあの夢もきっと薄くなってる。
わたしは"メメントモリ"という言葉を知った日からすでに何度か死を意識して生きるということはやってみたから分かる。
あれは絶対続かない。
毎日毎日死を意識して生きたら、朝起きた時に何故か裏切られた気持ちになる。"今日死ぬかもしれない"という気持ちは、数を重ねるごとに"きっと今日も死ぬわけない"という反対の確信に変わってしまう。統計学みたいなものだ。今のところ死んだことがないからどうしてもそうなってしまう。わたしがおかしいんだろうか。
もしも本当に深刻な病気で、例えば「余命8年です。」と言われたらどうなんだろう。8年は、日々を大切に生きるには難しいラインじゃないかと思う。
残り1年くらいまではこれまで通り生きてしまいそうだ。わたしなら。そう考えるといかに日々を大切に生きるということが難しいか分かる。
それに1年間役に入りすぎて悲しい気持ちで過ごすのは嫌だ。
もう自分の気持ちは分かった。浸るのは今日だけで十分だ。
最期を思い描いたその時に感じたことを
ただリスト化して、感情は抜きにして
淡々とやってみる。本当に死ぬかどうかは大した問題ではないという意識が大切だ。
余命よりもただ終活という作業にフォーカスして
あくまでイベント的に目標に向かっていこうと思う。
悲しい、寂しい気持ちになるのは最初の1日だけ。今日は寂しかったけれど、明日から素敵な毎日にしていくだけだ。
来年のカレンダーは4月28日以降が真っ白になってしまったようなイメージで。
毎日、毎週、毎月を大切に生きてみる。
早速DIYの道具を注文して、ネイルサロンも予約した。好きな色よりも似合う色のネイルをしてみるつもりだ。仕事へ行く前に洗い物を片付けることが出来たし、夫と子どもたちをおだやかな気持ちで送り出した。良い調子。
そして思った。
これから毎日を大切に生きるつもりだけど
もう大後悔の回想シーン(仮)は脳内で済んだから、近々本当に死ぬとしてもさすがにもう一度「腹筋割ってみたかったな・・」から回想をやり直すわけがない。
まだ腹筋は割れていないのに、腹筋への後悔を飛ばす事ができるんじゃないか。一通りの後悔を自覚したことで、そのままのわたしの状態でも一言目はきっと子どもたちへの愛で始まるはずだ。
それはもはやわたしの腹筋は割れていて、大金持ちで寄付をして生きたも同然ということ。
わたしが今日夢をみたのは人生最大のラッキーだったかもしれない。
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