元気な男の子です
私が産みました
ぜひ有機野菜のパッケージに載っている生産者のような晴れやかな表情をイメージしてほしい
いま横でスヤスヤと気持ちよさそうに寝ている我が子を見て、誇らしい気持ちになっている母の姿がそこにはある
もうすぐ退院になるので備忘録として残しておくことにする
これは出産という一大イベントをこなした1人の麻雀プロの出産レポである
私は痛みに強い方ではない
注射も怖くて痛いしいつも針の先は見ないようにしている
そんな私が妊娠する前から決めていたことは「無痛分娩」で出産する事だった
日本ではまだ無痛分娩が浸透しておらず全体のわずか8%程だという
無痛分娩は普通分娩よりも費用がかかるのと、未だ自然体で出産する事の美学のような物もあるらしい
私の脳はシンプルな構造をしているので「課金で痛み取ろっと」くらいの軽いノリで、一度も迷うことのないまま無痛分娩の産院を予約した
東京都では令和7年10月以降無痛分娩の費用を助成する様になったらしい
もう少し早く決まってくれていればよかったのにとは思ったがこればかりは仕方がない
今後この助成金で無痛分娩という選択肢が増えたことで、少子化が少しでも良くなって行くことを期待する他ない
もしくは2人目で恩恵を受けるか
きっとまだまだ先の話になるだろうけど
時は遡り、計画出産1週間前の事だ
私が予約した産院は計画無痛分娩を推奨しており、正産期(37週)以降は出産する日を決めて、朝に入院し陣痛促進剤で出産する、という流れで出産するという事になっていた
予定日が近づくにつれ、毎日大きいお腹で苦しい思いをしていた私の口癖は「早く産みたい」だった
しかし早く産みたいとは言っているものの早く産まれてきて欲しくない、も本心だ
胎児は少しでも長く子宮の中で安全に栄養を供給してもらいながら、しっかりと成長していく事が必要らしい
早産になる事を望んでいる訳では無い
「早く産みたい」は「この辛い日々を早く終わらせたい」という意味で使っていたのだ
これが良くなかったような気がする
寝ている時に、なんだかじわっと下着が突然濡れた感覚で目が覚めた
妊娠後期にもなると、大きくなったお腹で尿もれが起きてしまうことはよくある事らしく、とりあえずトイレでも行くかと寝ぼけながら向かった
下着を下ろしてティッシュで拭くと、
それは紛れもなく血だった
それも少量ではなくそれなりの量で、今まさにポタポタと流れ出し便器の中の水を赤く染めあげた
一瞬で脳が覚醒し、焦りに変わっていった
「血が出たどうしよう」
寝ている夫を起こす
ただ事ではない雰囲気を感じとった夫は目を閉じながらも
「病院に電話しなよ」
とまあそれはそれは冷静にアドバイスをくれた
そんな血が出た程度で病院に電話したら「こんなの良くあることですよ〜はっはっは〜」みたいな感じであしらわれるんじゃないかと謎の恥ずかしさがあったので、とりあえずスマホで検索してみることにした
出血することはよくある事だがサラサラとした多量の血は緊急を要するという事がわかった
何かあったらスマホですぐ調べられるこの現代で良かったと思いながら、病院に電話してタクシーで向かう事になった
病院につくと検査と内診をし、先生から「破水してますね、入院です」と告げられた
えっもう産んでいいの?ヤッター!!てか良かった胎児何ともなくて、あれでも早産なんじゃないの?1週間早いけど大丈夫なん??え??あと無痛でいけます??
って思ってグルグルしてた気がする
(あえてありのまま書いています)
その後は書類を書いたり夫に荷物を持ってきたりしてもらって、慌ただしくもどんどん出産の時は近づいていった
LDRという出産する部屋で台の上に乗り先生の診察が始まると、どうやら破水はしたものの、子宮口は0.5センチしか開いていないようだった
10センチ開くようになるといよいよ出産になる
陣痛もまだ来ていないということで一旦部屋に戻り陣痛を待つことになった
陣痛が来ないようであれば明日の朝に陣痛促進剤を入れて出産しようという事だった
これから陣痛が来ることもあるから、そうしたら麻酔を入れるからまた連絡をするように言われた
少しでも痛くなったら教えてね、先生はそう言って去っていった
部屋に戻りソワソワしていると夫も仕事を終えて駆けつけてくれた
一人で産むことになるんじゃないかと怯えていたが、夫の顔を見てとりあえず安心したのを覚えている
24時以降は食事禁止という事だったので軽食を買ってきてもらいギリギリまで食べて過ごした
まだ出産への自覚がないまま、明日産むんだって〜なんて呑気にアイスを食べながら話しているとなんとなくお腹がズキズキ痛いような気がしていた
なんか痛いような気がするけど気のせいかもしれないレベルの痛みって痛いって言いづらくないですか?私だけですか?
そんな感じでモヤモヤしていると、痛みが強くなって来たような気もするというこれまた曖昧な感じにお腹が痛んだ
これは陣痛なのか?どうなんだ?
誰かこの痛みが陣痛だよって教えてくれよ──
少しでも痛くなったら教えてねって先生言ってたしな…
とりあえずわからないのでナースコールで聞くことにした
プルル…ガチャ
『H(助産師の名前)です。はい、どうしました?』
「すみません、なんだか痛いような気がするんですがどうしたらいいですか?」
『その前に痛くなったのはいつかな?』
…覚えてねえ!!!
ていうか陣痛カウントするなら言ってくれよ!!!
「…多分15分くらい前です」
これはかなり適当に言ったのを覚えている
『それだとまだ早いかな?間隔が10分切るくらいじゃないと。どうしても痛いなら麻酔入れることもできるけど』
…聞いてた話とちがう!!!!
少しでも痛くなったらって先生言ってたもん!!!
トトロいるもん!!!!!!
「…はい、わかりました」
この痛みが”どうしても痛い”に分類されるものとはとても思えなかったので諦めることにした
ナースコールの後10分くらいしてHさんから電話がかかってきていた
その間も曖昧な痛みは続いている
『Hです。痛みはどうですか?ほんとに痛かったら言ってね。』
「まだ大丈夫です」
その30分後
『Hです。せっかく無痛分娩なんだから我慢しない方がいいよ。』
「はい、もう少し様子みてみます。」
いやお前絶対最初間違えたなって思っとるやん!!
私のせいで我慢させちゃったなって反省しとるやん!!
ていうかなんでさっきからタメ口なん?!!!
色々思うところはあったが別にHさんを懲らしめようというような気持ちはなかった
シンプルに我慢できそうな痛みだったのと、どうせ朝になれば出産が始まると思っていたのでとりあえず寝とこうという気持ちの方が強かった
気づけば時計の針は深夜4時を刺している
定期的に腹痛があるのとテンションが上がっているのもあってなかなか寝付けなかった
そんな時
コンコン
突然部屋に響くノック音
『Hです。』
遂に強行してきた〜!!!アチィ〜〜〜!
『痛みはどうかな?痛みは麻酔で取り除けるけど、どうする?』
もうじゃあわかりました
そこまで言うなら取りましょう、痛み
という事で妊婦は大人しく連行される事にした
そんな中、ベッドに目をやると夫はスヤスヤと寝息を立てて寝ている
私が助産師と戦っているのにそれはそれは呑気な顔だ
歯ぎしりをしながら妊婦は部屋を後にした
LDRに着くと深夜だと言うのにも関わらず先生が颯爽と現れた
『痛みがあったんだね、すぐ麻酔でとっていくから安心してね』
あなたが神か?
もっと早くから痛みはあったんですけどHさんに我慢させられたんですぅ、と言いたくなったが人として言えなかった
神にそんなみっともない姿は見せられない
子宮口は3センチ開いていたようで、あの曖昧な痛みは陣痛の始まりだったようだ
あのまま我慢していたらもっと痛くなっていたに違いない
H、私をよくぞ連れ出してくれたね
神が言うには、これから硬膜外麻酔というもので背骨の近くに麻酔を入れていくらしい
麻酔の注射を刺されたあと、カチャカチャと何やら音を立ててテキパキと作業している
そのスムーズな進行に数多の実績と信頼を感じ安堵していた
何をされているか全くわからないが、なんだかゴリゴリと背骨の辺りを固いものが何本も入っていくような不思議なくすぐったい感覚があった
サイボーグにでもなったような気分でなんだか精神的にも強くなった気がする
処置が終わったようで、あとは定期的に麻酔を足されたり子宮口の開きをチェックされたりする以外は放置されるらしい
その間さすが無痛分娩といったところで、全くと言っていいほど痛みはなかった
気づけば下半身は自分の意思では動かせず、触っても感覚がない
肉の塊が2本だらりと情けなく台の上に乗っているだけだ
体勢を変えることもままならない
固い台の上でスマホを弄ることしか出来ず、ウトウトしながら寝たり起きたりを繰り返していた
どうやら子宮口3センチからは初産婦だと産まれるまでに10時間はかかるらしい、GoogleのAIが教えてくれた
時刻は午前9時
まだまだか〜なんて思っているとまたもや颯爽と現れた先生から
『そろそろお産です』
と告げられた
ええ!?!なんで?!どうして!!
まだ5時間くらいです先生!!!
突然のことに面食らいながらも部屋で待機してもらっていた夫に、もう産まれるって!とLINEを送る
ちなみにさっき病院の朝ご飯を食べたらしい
私は空腹だったので腹が立った
いよいよ出産の時が来たということに胸を躍らせていた
まだまだかかると思っていた映画が一気にクライマックスに迫って来たような感覚だ
寂しくもあるがそれよりも楽しみが勝っていた
これも陣痛の痛みが無いことのメリットとも言えるだろう
もし痛みと戦っていたら既に衰弱しきってしまってこんな気持ちになっていないかもしれない
ワクワクしながらその時を待っていた
10時まだ呼ばれない
11時まだ呼ばれない
12時まだ呼ばれない
そろそろってなに?!!?
夫にLINEを送る
どうやら病院の昼ご飯も食べたらしい
めちゃくちゃ腹が立った
待ちくたびれていた頃ようやく助産師さんと先生が来て一気に準備が進んだ
カテーテルで導尿すると言われ一瞬怯んだが、全く痛みはなかった
ありがとう硬膜外麻酔
麻酔に感動していると遂に準備整ったようで、
「旦那さん呼んで」と言われる
いま来て!LINEを送った
「旦那さん呼んだ?OK。はいじゃあここ掴んで力入れてね、いま!いきんで!」
言われるがままにいきんでみたが力の入れ方が全くわからない
なんせ下半身は肉の塊になっている
34年間生きてきた感覚のみを頼りに力を入れた
「うまいうまい、その調子ですよ!」
手応えが全くないのにも関わらず褒められている
なんかよくわからんが出来ているらしい
それよりも、
(夫まだ来てないけど大丈夫?!)
で頭がいっぱいだった
再度いきむように言われる
相変わらず手応えは0だ
夫まだ来ず
(ちょっと早く来いや!!産まれてしまう!!!)
焦りが出てくる
ていうか先生達も夫の到着待ってくれないのなんでなん…
この意思が伝わってない感じに悲しくなってきていた
そして3度目のいきみに入る時、夫遂に登場である
部屋でゴロゴロしていただけなのに随分遅くなったもんですね
と言ったか言わなかったかは覚えていない
「早く動画撮って!」
と言ったのは覚えている
夫はスマホをここに付けてくださいと助産師さんに指示されている
これ、付けにくいなぁ…撮れてるかな…もたもたしながらボソボソ言っていた
そして3度目のいきみに入る
順調にお産が進んでいるらしい
「旦那さんは枕から持ち上げてサポートしてください!」
そう言われ持ち上げているが、本当にただ枕を持ち上げているだけだったので全くサポートになっていなかった
もっとこう、背中を支えてくれると助かります
そして先生がこうしてああして言うのを繰り返すだけのオウムになっていた
自分の言葉とかないんか
そして更に何度かいきんだ所で無事に産まれた
3032gの男の子だ
きっとかなりの安産だったと思う
出てきた瞬間涙が出てきそうになったがなんか照れ臭くて我慢してしまった
今思えばちゃんと泣いておくべきだったと思う
痛みがなかったという余裕が私の涙を冷静に止めてしまった
これはデメリットと言えるだろう
それだけの余裕が無痛分娩にはあるという事だ
わたしが涙を我慢している時に、夫は「髪の毛が生えてる」と2、3回は言っていた
1番そこに感動したのだろう
赤ちゃんはハゲしかいないと思っていたに違いない
こうして私は初めての出産イベントを無事に終えることが出来た
母子共々健康で本当に心の底から良かったと思う
この子がこれから先もずっと健やかで幸せな生活が送れるように、私たちは精一杯サポートするだけだ
その時こそはしっかり背中を支えてあげて欲しいと、
夫に願うばかりである
