あなたには、安心できる『居場所』が、ありますか?
人は誰でも、
愛されたいと思って生きています。
それは、わがままでも弱さでもなく、
人間としてごく自然な感覚です。
けれど、もしそれが叶わなかったとき。
人は次に、こう思うようになります。
――せめて、認めてもらいたい。
この「認めてもらいたい」という感覚、
いわゆる承認欲求は、
実は脳に組み込まれた生存本能のひとつです。
社会の中で孤立せず、
自分の居場所を確認しながら生きていくための、
とても大切な“機能”でもあります。
|居場所。
承認欲求という言葉には、
どこかネガティブな響きがあります。
・評価を気にしすぎる
・他人の目ばかり追っている
・承認欲求が強い
そんなふうに言われがちです。
でも、承認欲求の正体は、
何か特別な賞賛を求める気持ちではありません。
もっと根っこの部分では、
安心して、ここにいていいと思える居場所を探しているだけです。
人は誰でも、
排除されず、見捨てられず、
「自分はここにいていい」と感じられる場所を必要とします。
それは、
わがままでも、依存でもなく、
人間としてごく自然な感覚です。
自分は、ここにいていいか?
この社会の中で、存在していいか?
それを確かめるための、
極めて人間的な確認作業。
承認欲求そのものが問題なのではありません。
問題が起きやすいのは、
それを支えている自己肯定感が不安定なときです。
|誤作動。
自己肯定感とは、
「うまくいっていない自分でも、完全に否定しない感覚」。
これがある程度安定していると、
承認欲求は“補助的な役割”になります。
認められたら嬉しい。
でも、認められなくても立っていられる。
一方で、自己肯定感が弱いと、
承認欲求は生命線になりやすい。
認められない=価値がない
反応がない=存在していない
そんなふうに、
感覚が極端に結びついてしまう。
ここで、人は誤作動を起こします。
|意地悪。
とても分かりやすい例があります。
好きな子に、意地悪をしてしまう。
本当は好かれたい。
本当は仲良くなりたい。
でも、
どう関わっていいか分からず、
どう気持ちを出していいか分からず、
結果として“逆の行動”が出てしまう。
これは、心が歪んでいるからではありません。
性格が悪いからでもありません。
ただ、
欲求の出口を見失っているだけです。
承認欲求そのものは正常。
でも、表に出る形がズレてしまっている。
大人になっても、
この構造はほとんど変わりません。
形を変えて、
仕事、評価、数字、SNS、比較の中で
同じことが起きているだけです。
|刺激。
自己肯定感が揺らいでいると、
人は無意識に、分かりやすい承認を求めます。
・すぐ返ってくる反応
・数字で見える評価
・比べやすい指標
それらはすべて、
安心を一時的に補ってくれる刺激です。
だから、刺激を求めてしまう。
「刺激を減らそう」
「気にしないようにしよう」
そう言われて、苦しくなるのは自然です。
それは、
支えにしていたものを
いきなり外される感覚だから。
|別の道。
ここで、少しだけ哲学の話をします。
古代ギリシャの哲学者・エピクロスは、
「快楽」について、こんな視点を持っていました。
刺激を増やすことが幸福なのではない。
不安を減らすことこそが、幸福に近づく道だと。
承認を求めること自体を否定せず、
過度な刺激に振り回されない状態を、
静かな幸福として捉えていたのです。
もし、
・刺激を追いかけて疲れている
・認められないと不安になる
・頑張っているのに、落ち着かない
そんな感覚があるなら、
それは意志が弱いからではありません。
人間の仕組みとして、
とても自然な反応です。
|まとめ
承認欲求は、
生きていくために必要な機能です。
ただ、自己肯定感が不安定なままだと、
それは誤作動を起こしやすくなる。
エピクロスは、
その誤作動を無理に止めるのではなく、
刺激を減らすことで整えていく道を示しました。
不要な刺激を減らす。
そのヒントとして、
「3つの幸せ」という考え方があります。
その話は、
コチラの記事で、もう少し丁寧に書いています。↓↓
