手のひらの力。リハビリでも、整体でも、子育てでも、私が信じているもの。
数あるnoteの中から、この記事を見つけてくださってありがとうございます。 理学療法士として10年、今は整体師として活動しながら、夫と7歳の子どもとウサギと暮らしているピノです。
今日は、ちょっと専門的な話でもあり、とても個人的な話でもあることを書きたいと思います。
テーマは、「手」です。
リハビリをしてきたときも、自分の身体を整えるときも、そして子育てのなかでも。 私はずっと、「手」の力に助けられてきました。
何をするわけでもなく、ただそっと触れているだけ。 それなのに、不思議と心が落ち着いたり、痛みがやわらいだりする。
手には、そんな力があると思っています。
今日は、その話をさせてください。
「考えるんじゃない。感じるんです」
理学療法士として働いていたころ、私の仕事は、徒手——つまり「手」を使った介入がメインでした。
機械を使う物理療法もありますが、私が一番大切にしていたのは、自分の手で相手に触れること。 だからこそ、いつも考えていました。
「私の手は、相手にどう伝わっているんだろう」と。
入職したてのころ、上司に言われた言葉が、今でも忘れられません。
「手で触れた時点で、筋肉のトーンは変わるよ」
触れた、その瞬間。 まだ何もしていないのに、相手の身体はもう変わりはじめている。 そのことを教わったとき、「手ってすごいな」と素直に思いました。
もうひとつ、上司の口ぐせがありました。
「考えるんじゃない。感じるんです」
当時の私には、正直よくわかりませんでした。 でも、何年もかけて、その意味が少しずつ身体に染み込んでいきました。
ソフトに触れると、相手の声が聞こえてくる
私が施術で心がけていたのは、できるだけソフトに触れることでした。
不思議なもので、やさしく触れるほど、相手の身体の状態がよくわかるんです。 今どんな状態か。どう動きたいのか。どこが力んでいるのか。
そして、こちらからの情報も伝わりやすくなる。 お互いの「ぶつかり合い」が、減っていくんです。
リハビリは、身体の回復を目指す仕事です。 ただ気持ちよくほぐすだけではなく、間違った動きはやさしく正して、その人自身の力で動けるように導いていく。 私の介入が「介助」になってしまっては、本当の意味での回復にはつながりません。
だからこそ、「私の手からの情報が、相手にどう伝わっているか」を、常に意識していました。
ただ、これは失敗談でもあるのですが——。
「こう動いてほしい」「この筋肉に働いてほしい」 私の思いが強すぎるとき、手は知らないうちに“誘導”になってしまうんです。
すると、私の手と相手の動きがぶつかって、うまくいかない。 力が入りすぎた手は、相手の声を聞き逃してしまう。
「考えるんじゃない。感じるんです」
たぶん、これがその意味だったんだと思います。
言葉が届かない相手にも、手は伝わる
忘れられない経験があります。
人工呼吸器をつけた患者さんの、呼吸リハビリを担当したときのことです。
その方は意識がなく、言葉でのやりとりはできませんでした。
ベッドのそばにあるモニターで呼吸の状態を確認しながら、手足の関節をゆっくり動かしたり、身体の向きを整えたり、呼吸が少しでもラクになるようにアプローチしていきます。
できることはある。
でも、「これで合っているのかな」「ちゃんと届いているのかな」と、ずっと不安でした。
それでも私は、手の感覚を頼りに続けました。 胸の動きが乏しいところにそっと手を当てて、呼吸を促していく。
そんなある日、近くにいた看護師さんが、こう言ってくれたんです。
「リハビリしてもらうと、リラックスしてるね。呼吸しやすそう」
私には読み取れなかった反応を、看護師さんは見つけて、言葉にして伝えてくれました。
その一言に、私はどれだけ救われたか。
そして、思ったんです。
言葉が交わせなくても、「手」で伝えられることは、ちゃんとある。
手の温かさは、それだけで安心になる
自分で自分の身体を整えるときも、手は本当に頼りになります。
まず、手は温かい。
その温かみが、それだけで気持ちを落ち着かせてくれます。
これは、たぶん多くの人が無意識にやっていることだと思うんです。
肩が凝ったとき。 お腹が痛いとき。 腰が重いとき。
気づいたら、手がそっとそこに触れている。
ただ触れているだけ。 それなのに、なんだか落ち着く。
手には、そういう力があるなと思います。
先輩の手と、同期の手は、なぜ違ったのか
理学療法士1年目のころ、こんな発見がありました。
新人のうちは、知識も技術もまだまだ。 だから、セラピスト同士でよく実技練習をしていました。
そこで一番おどろいたのが、「触れる人によって、感じ方がまるで違う」ということです。
同じやり方を教わっているはずなのに、先輩にやってもらうのと、同期にやってもらうのとでは、身体に起こる反応が全然違う。
なぜだろう、とずっと考えていました。
今ふり返ると、たぶん1年目の私たちは、自分の思いや「結果」を意識しすぎていたんだと思います。
「うまくやらなきゃ」「こうならせなきゃ」
その気負いが、手を通して相手に伝わってしまう。 力が入った手は、どこか緊張を生んでしまうんですね。
ここでもやっぱり、「考えるんじゃない。感じるんです」だったんだなと、今は思います。
手は、言葉よりも正直に、その人の状態を伝えてしまう。
だからこそ、「手ってすごいな」と思うんです。
娘の背中に、そっと手を当てたら
そして、育児のなかでも、私は何度も手の力に助けられてきました。
うちの娘は、寝るのがあまり好きじゃありません。 眠たいはずなのに、寝まいと抗う。 布団の上でコロコロ転がったり、急に歌い出したり。
ある夜、そんな娘の背中に、そっと手を当ててみました。 特別なことは何もしていません。ただ、手を置いただけ。
すると——すーっと、眠ってしまったんです。
不思議でした。
でもきっと、手のぬくもりが、娘を落ち着かせてくれたんだと思います。
考えてみれば、私自身も、小さいころの寝かしつけは「背中トントン」でした。
大人の温かい手と、規則正しいリズム。 それは子どもにとって、「ここにいるよ。守られているから、安心して眠っていいよ」という、最高のサインなのかもしれません。
手は、そんな安心感まで届けてくれる。
小さな手から、教えてもらったこと
逆に、娘の小さな手から、気づかされたこともあります。
娘が3〜4歳のころ、肩をもんでくれたことがありました。 おままごとの延長のような、そんな流れだったと思います。
「もむ」というより、ぎゅっと「握っている」に近い。 それなのに、すごく気持ちよかったんです。
なんだか温かくて、心地よくて。 不思議な感覚でした。
それから、娘と手をつないでいるときも、私はいつもホッとします。
ひとりで走って転ばないか、危ないことをしないか。 そういう心配が減るのもあると思います。
でも、それだけじゃない。
つないだ手から、なぜか私のほうが落ち着いている。
小さな手にも、ちゃんと力がある。 そのことを、娘が教えてくれました。
昔から、人は手を当ててきた
リハビリの場面。 自分の身体を整える場面。 そして、子育ての場面。
この3つに共通して感じるのは、「手は、ただ触れているだけなのに、不思議と心を落ち着かせ、痛みをやわらげてくれる」ということです。
考えてみれば、人間は昔から、自然とそうしてきました。
お腹が痛いとき、そっと手を当てる。 大切な人が落ち込んでいるとき、背中に手を添える。
理屈ではなく、身体が知っているんだと思います。 触れることには、力があるということを。
今日もお疲れさまでした
最後に、ひとつだけ。
しんどいとき。 疲れているとき。 言葉では伝わらないとき。
そんなとき、よかったら、そっと手で触れてみてください。
自分の肩でも、お腹でも。 あるいは、大切な人の背中でも。
何か特別なテクニックはいりません。 ただ、温かい手をそっと当てるだけ。
それだけで、何かがいい方向に変わっていく。
手には、そんな力があると、私は思っています。
今日も一日、本当におつかれさまでした。
あなたの手も、今日たくさん頑張ってくれましたね。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
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【保有資格・経歴】
理学療法士(臨床10年)
3学会合同呼吸療法認定士
ボバース成人アドバンスコース修了
ボバース小児ベーシックコース修了
整体師
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