1990年②2月21日 パリへのフライト【女子大生ヨーロッパ32日間バックパックひとり旅】
※本稿は、1990年に大学生だった私が、2月21日から3月24日の32日間バックパックでヨーロッパを旅した時のエピソードです(第2話)。旅の間に書いた旅日記のオリジナルは2026年時点で行方不明ですが、その日記をもとに書いた原稿が残っていました。旅に慣れて写真が増えるのと反比例して文章量が減っていくその原稿をnote用に編集し、ところどころ2026年の私が突っ込み注釈[*]を入れつつ、ゆるっと投稿します※
アエロフロート機内にて
私が乗ったのは、アエロフロート576便13:00成田発の飛行機だった。
パリには現地時間2月21日20:35に到着する予定で、約16時間の空の旅である。途中、モスクワ空港で乗り継ぎをすることになっていた。
(*ロシア領空を回避しないと、乗り継ぎしてもこのぐらいで着くのですね…)
アエロフロートはあまり評判がよくないと聞いていたが、なぜかは知らなかった。
しかし、実際に利用してみてわかったような気がする。
(*ここからしばらくアエロフロートをディスってしまっていますが、あくまで1990年当時のアエロフロートに乗った1990年当時の私の感想です。どうかご容赦ください)
まず機内が狭い。
狭いうえに何か、におう。
そして狭い通路をロシア人客室乗務員がのっしのっしという感じで歩く。
彼女たちは、日本人客室乗務員とはどうも雰囲気が違う。
言葉はわからないが
「ちゃんと座ったかい?こらこら、荷物はここにしまうんだよ。シートベルトは締めた?じゃ、行くよ」
という感じなのである。でもまあ、それもお国柄なんだろう。
(*あくまでも「感じ」です…)
とにかく私も自分の席(窓側だった)にたどり着き、なかば意地で機内持ち込みにした荷物を足元に置いて、その上に足を乗せ窓の外を見ていた。
機内は左右3列で、私は左側だったが、隣の2つの席には大学生の男子ふたり連れが座った。
(*座席編成が妙な気もします)
搭乗後しばらくして落ち着くと、隣の彼が「今回は、ひとり旅ですか?」と話しかけてきた。
彼は、H大学のHくんと名乗った。通路側のもうひとりの彼は同じ大学でUくんといった。
ふたりは一緒に日本を出発したが、最初の目的地パリで数日過ごしたあとは、別々のルートをたどるのだという。
Hくんはイタリアの方へ、Uくんはモロッコへ行くつもりだと言った。
Hくんは初めての海外旅行で、Uくんと別れた後が不安だと言い、私がひとりと聞いてひどく感心していた。
Uくんはその行先からもわかるとおり“何でも見てやろう精神”が旺盛で、とことん危険なところを歩きたいと言っていた。
長時間の機内で、私たちは互いに情報交換をし、不安を慰めあった。
機内食は成田発なら東京で積むということで、はじめの2回はなかなか美味しかった。
(*謎の上から目線…)
1回目のメインは牛のフィレでデザートのアイスクリームが美味しかった。2回目のメインはチキン。
モスクワで乗り継ぎをしたあと、3回目の機内食が出たが、これがよくわからないシロモノだった。
お肉は、鹿か何かの肉のような気がしたが、そのわきにデンと2切れの物体が添えてある。ナスを輪切りにしたような感じで直径4㎝ほど、厚さも2㎝ほどあったと思う。
「これ、なんだと思う?」
私がナイフでつつきながらUくん(*離陸したときはHくんが隣だったはずなのですが、原稿ではこの時、隣に座っていたのはUくん)に訊くと、彼はそのうちのひとつを半分に切って、かたまりのまま口に入れ、途端に顔をしかめた。
「これ、あれだよ、ほら…ハンバーガーにはさんであったりするやつ」
ピクルスだった。
それにしてもデカい。それも2つも。私はひと口で遠慮しておいた。
他にはイクラや酸味のある硬い黒パンが、これまた酸味のあるバターとともに出されたが、周りを見回すとほとんどの人が多かれ少なかれ残していた。
(*キャビアも出てきた記憶があります。「キャビアだ、キャビアだ!」と浮かれた記憶があるのですが、手元のノート等には書かれておらず…。帰りの飛行機だったかも。当時バブルの追い風を受けた中で大学生活を送ったものの、普通の大学生が簡単に食べられるものではなく「これがキャビアかぁ。しょっぱいなぁ」と思った記憶があります)
機内のトイレというのがまたすさまじい。
便器には一応黒い便座がついていたが、除菌クリーナーで拭いてみると見事に真っ黒になった。塗料が塗ってあるのかと思うくらいだ(*大げさでは…?)。
そして、トイレットペーパーというよりは薬包紙のような四角い紙が添えられていた。
どんな飛行機のトイレにもヘアトニックの類が備えてあると思うが、このにおいがまたキツい。ドアを開けるとむっと鼻を突き、出るころには体にしみついてしまうのではないかと気が気ではなかった。
まともなペーパータオルが備え付けてあったのがせめてもの救いだろう。
(*返す返すも生意気な感想で恐縮です…)
「飛行機こわい」
私はあまり乗り物酔いをする方ではないし、飛行機が初めてというわけでもないのだが、半分ほど飛んだところで、どうしようもなく落ち着かなくなった。
なぜか、本気で「この飛行機は落ちるのではないか」と思い始めたのだ。
こうなったらもういけない。手は脂汗をかいて冷たくなるし、機内食は喉を通らない。
隣にいたUくんたちにひたすら「こわい。こわい」と訴えたが、私の不安をよそにふたりはペロリと機内食をたいらげ、呑気にガイドブックを見たり、いびきをかいて眠ったりしている。
「オレが乗ってんだから、落ちないって」
私の方は、自分が今、地上からどれくらいの高さを飛んでいるのか考えるとたまらなく落ち着かない。
「客室乗務員たちは、実は今、危険な状態なのに平静を装っているのではないか」とまで考えた。
でもここでもし危ないとしても、自分は何もできない。
この“自分ではどうしようもない”という気持ちが不安をより強くしていた。
今思うと、どうしてあんなにこわくなったのか自分でもわからない。旅の途中で知り合った人たちにその話をすると、たいてい笑われた。
「落ちるわけないじゃん」
「そんなに簡単に落ちてもらったら困るよ」
「飛行機は1回落ちるとひどいからねぇ、目立つけど実際そんなに落ちるもんじゃないよ」
まったくだ。
一番説得力があったのは、帰りの飛行機で一緒になった子に聞いた話だった。
「アエロフロートのパイロットは軍隊出身だから巧いんだよ」
(*これは本当の話でしょうか。「共産圏のパイロットは軍隊出身だから操縦が上手」と聞いたことがありますが“都市伝説”でしょうか…)
帰りの飛行機では素直にそれを信じることにして、成田に着くまでおまじないのようにその言葉を頭の中で繰り返していた。
(写真を撮る余裕はなかったらしく、成田を発ってパリに着くまでは1枚も残っていませんでした。次はパリに着きます)
