コルドバでドイツ人の神に2度も助けられた話|1990年バックパックひとり旅
※これは1990年のヨーロッパひとり旅のお話です(第30話)。
3月16日 コルドバへ向かう列車
朝7時に起き、8時過ぎには列車に乗って、コルドバへ向かった。
空いている席を見つけ、隣の男性に座ってもよいかと尋ねて座る。
30歳くらいの、ひょろっとした脚の長い男性だった。
車内には、若い軍服姿の集団もいた。
(*1990年のスペインには、徴兵制度があったようです)
そのうち、隣の男性と会話をするようになった。
ドイツから来たバックパッカーで、アンダルシア地方を中心に旅しているという。
(そして私は、この男性に2度も助けられることになる)
「君は日本人?」
「そうです」
「日本語は難しいね。ドイツ語とは系統が違うから。僕は、英語も話すしスペイン語も勉強したけど、日本語はダメだ」
前の席にいた軍服の青年が、タバコを手に振り返り、男性に
「どう?」
と勧めると、彼は
「いや、結構。手巻きタバコを持っているから」
と答えた。
彼は見ている間に、薄い紙でタバコの葉を器用にくるむと紙の端を舌で湿して閉じ、一本の紙巻きタバコを作って、軍服の青年に手渡した。
青年は嬉しそうにそれを仲間に見せている。
(*車内でタバコの交換…。そんな時代だったのですね)
「君は日本のどこに住んでいるの?」
「東京」
「東京は大都市だってね。ひとつ不思議なんだけど、どうして日本の若い人はこんなに遠くまで旅行に来られるの?
ヨーロッパでは、日本のような遠くの国に行ったことがある人なんて、そんなにいないよ」
「うーん。大学を卒業して就職すると、長い休暇はなかなか取れない。だから今のうちに行っておく。
それに、ヨーロッパまでの往復の航空券は安ければ15万円くらいで買えるし、アルバイトすれば、バックパッカーとして1か月旅行するくらいのお金は作れるからだと思う」
(*バブル経済のおかげだったのでしょうか。というか航空券が当時で15万円は高くない?…どうでしょう)
シエスタで、両替ができない!
話しているうちに、列車はコルドバに到着した。
駅前で彼とは別れ、ホテルを探す。
安いだろうとたかをくくっていたが、結構高い。
やっと見つけた部屋は、ビルの6階だった。
重い荷物を背負ってせっせとのぼる。
(*フロントが上階にあったようです)

チェックインを済ませて部屋に荷物を置き、外に出るとまず両替だ。
しかし。
銀行は閉まっていた。
しまった。“シエスタ”を忘れていた。
2~3時間の長い昼休みだ。
窓口に人がいるのは見えたが、「休憩時間だから」とキャンディだけくれて去って行った。
困ったな。
もうペセタはほとんど財布に残っていない。
(*この旅の途中、こんなふうに「両替ができない!」と困ったことが何度かあり、そのせいか何年経っても「両替できなくて、お金がない!」と焦る夢を見ました…)
どこか両替してくれるところはないだろうか。
ユダヤ人街と呼ばれる白い壁の家が立ち並ぶ地域に入って行き、細い道が迷路のように続くところを困り果てて歩いていると、向こうから見覚えのある背の高い人が歩いてくる。
列車で一緒だったドイツの人だ。
「やあ」
「どこか両替できるところを知らない?もうペセタがないの」
すると彼は一緒に、土産物屋やレストランの人たちにスペイン語で訊いて回ってくれた。
そのうち、あるレストランで、主人がひとり、客のいない店内で食事をしていた。
そして
「お金はいらないから、何か軽く食べていくかい」
と言ってくれた。
「そうさせてもらいなさい」
ドイツ人の彼と店の主人とが揃って、同情したような困り果てたような顔で私を見ている。
慌てて私は
「ここは、クレジットカードが使えるのかな」
と聞いた。
「使えますよ。どんなカードを持っているの?」
私が差し出したカードを見て、主人は安心したように
「これなら問題ない」
と言った。ドイツ人の彼も
「なんだ、カードを持っているなら早く出しなよ」
と少し呆れている。
なるべく使いたくなかったんだよ。
でも仕方がないので、そのカードで食事をすることにした。
ドイツ人の彼は出て行き、私はひとりで食事をする。
食べている私の顔を、主人がじっと見ているなと思っていると
「日本人の顔って、かわいいね」
と唐突に言う。
(*なんかこう…新種の動物を観察して興味を持つような感じですかね)
「指輪をしてるね。恋人がいるの?」
「ええ」
「日本に?」
「うん」
「寂しいでしょう」
「まあね」
「私もフランスに彼女がいるんだけど、離れていて寂しい。どうだい?寂しい者同士、仲良くやらないか」
「はあ?」
「今夜、デートしようよ。店は10時に閉めるから、それからドライブでもしよう」
相手は父親ほどの年齢である。
まったくラテンの男は、まめというかなんというか。
デートのお誘いは丁重にお断りして店を出ると、街並みをぶらぶら歩いた。
ユダヤ人街と美しいパティオ

白い壁に緑の鉢植えが飾られて美しい。
天気もとても良い。

家の内庭『パティオ』と呼ばれる空間を、小路から覗くことができる。
イメージしていたとおりのアンダルシアの風景だ。
(*2025年に訪れた時には、そんなに気軽に覗けないようになっていました)


良い気分でホテルへ戻る途中、またあのドイツ人の彼にばったり会った。
「これからどこへ行くの?」
「ホテルへ帰るところだけど」
「じゃあ、少しお茶でもどう?」
私たちは、通りにテーブルを出しているカフェの椅子に並んで座った。
私たちが英語で話していると、向かいに座っていた男性が声を掛けてきた。
男性は休暇でオーストラリアから遊びに来ているのだという。
「一度、日本に行ったことがあるよ。
いとこが日本で働いていてね。久しぶりに会ったら、そいつ、少しだけど日本語をしゃべっていてびっくりしたよ。日本語ってのは難しいね」
とてもおしゃべりが好きらしく、次から次へとよくしゃべる。ジェスチャーも大きく楽しそうだ。
「どうして日本人ってのは、じっとしていられないのかね。
1週間の旅行でも、今日はこっち、明日はあっちと飛び回るだろう?
僕らなら、1週間1か所にとどまってのんびりするのに。信じられないよ」
(*ええ、私も、この駆け足の旅の慌ただしさが信じられません。もっと時間をかけて、ひとところでじっくり観光できるとよかったのですが…)
ドイツのことを言われた時、ドイツ人の彼が真剣に反論すると
「ムキになるなよ」
と苦笑していた。
このカフェは、彼のおじさんが経営しているとかで、私たちの分をおごってくれたりもした。
途中で彼が席を外した時、ドイツ人の彼が私に尋ねた。
「彼の話、ちゃんと聴き取れてる?」
「うーんと、半分くらいかもしれない」
「それをちゃんと彼に言わなきゃダメだよ」
ごもっとも。
またもや、日本人の良くないところだ。
(*というか「私の良くないところ」ですかね)
しばらく楽しい時間を過ごして、ふたりとは別れ、ホテルに戻ったのは7時だった。

シャワーが出ない!再び神様降臨
その夜、シャワーを浴びようとすると、途中でお湯が出なくなってしまった。
「せっかくシャワー付きの部屋にしたのに」
と思いながら、フロントへ文句を言いに行く。
(*文句なんて言えるようになったのですね)
フロントには、昼間のおじいさんとは違う若い男性がいた。
「お湯が出ないんだけど」
「じゃあ、ちょっと見てみよう」
そこまではスムーズに話が進んだが、そこからは全然ダメだった。
彼は英語が分からない。
私もスペイン語は分からない。
でも、とにかくお湯も出ないのに、シャワー付き料金は払いたくない。
そう思ってがんがん言い合って、お互いに通じないまま疲れてきたところに、神様が現れた。
あのドイツ人の彼だ。
重い荷物を背負って現れた彼に、私はまたも通訳をお願いした。
ホテルの人の言い分はこうだ。
「自分には『料金を下げる』と言う権限はないから、明日、ホテルの主人が来た時に、お湯が出なかったことを伝えよう」
仕方なくそれで了解することにした。
ところで、ドイツ人の彼がどうしてここに現れたかというと
「知人のところに泊めてもらうはずだったのが、いくら電話しても通じない。
今夜寝る所がないから、仕方なく部屋を取ろうとしてやって来た」
しかし、あいにく空き部屋はなし。
彼は、ホテルの人に「Muchas gracias|《どうもありがとう》」と言って、またバックパックを背負い、階段を下りて行った。
困った時に、タイミングよく2度も現れてくれるなんて、本当に神様みたいだ。
(*不思議なほど良いタイミングでした)
チェックアウトで一騒動
ところが翌日(3/17)、チェックアウトの時に、またもや大騒ぎである。
私は話がついていると思っていたのに、主人は何も聞いていないという。
まったくいい加減なんだから。
挙句に主人はスペイン語でまくしたてる。
私も日本語で
「どうしてお湯も出ないのに、シャワーの分まで払わなきゃいけないの!」
と主張した。
結局、ほんの50ペセタ(70円弱)くらい安くしてもらったが、主人は最後までコインを握ったまま抵抗する。
再び日本語でひと言怒鳴ると、名残惜しそうに返してくれた。
こんなこと、3週間前の私なら到底できなかったと思う。
(*うん、迷子になって泣いていたのと同じ人間とは思えません…)
さて、今日はマドリードへ移動だ。
※1990年の旅のエピソードはマガジン▼にまとめています。
