1990年①2月21日出発まで【女子大生ヨーロッパ32日間バックパックひとり旅】
※本稿は、1990年、大学生だった私が2月21日から3月24日の32日間バックパックでヨーロッパを旅した時のエピソードです(第1話)。旅の間に書いていた旅日記のオリジナルは2026年時点で行方不明ですが、その日記をもとに書いた原稿が残っていました。旅に慣れて写真が増えるのと反比例して文章量が減っていくその原稿をnote用に編集し、ところどころ2026年の私が突っ込み注釈[*]を入れつつゆるっと投稿します※
1990年当時、バブル経済はまだ弾けきっておらず、日本は好景気の中にいて、大学生でも海外旅行が遠い夢ではない時代になっていた。
大学在学中に小田実さんの『何でも見てやろう』を読み、19歳で初めての海外旅行でアメリカを訪れ、海外を旅することへの憧れが私の中に大きく育っていた。
そして旅に出たのは、沢木耕太郎さんの『深夜特急』などの影響からバックパッカーが流行り始めた頃、ベルリンの壁に東西ベルリン市民が登った日(1989年11月9日)から数か月後のことである。
パリへ出発|1990年2月21日
アエロフロート576便が、モスクワを目指し、ユーラシア大陸上空を飛んでいる。
乗客は、モスクワで降りる人の他は、トランジット後パリへ向かう。ほとんどがフランス人あるいは日本人だ。
私もそのひとり。卒業旅行でヨーロッパを1か月かけて旅することに決めたのだ。
狭い機内の乗り心地はお世辞にも良いとは言えない。
おまけに荷物を強引に機内持ち込みにしたために足の置き場もなく、仕方なくバックパックの上に足を乗せているという有様だった。
(*そんな体勢、許されたのでしょうか…謎)
ふと指先を見ると、ぎょっとするほど“ささくれ”ができている。
ああ、親不孝しているな。心配しているだろうな…。
母は、この旅行に最初から反対だった。
当たり前だ。年頃の娘をひとり外国へ旅立たせるのに心配しない親などいない。
「何かあったらどうするの?!殺されたらどうするの?!どこかで死んでたって、ひとりで行ったら、こっちは何もわからないじゃない!」
(*当時インターネットも携帯電話もなかった時代です)
母が興奮して大声を出すので、思わず受話器を耳から遠ざける。
「大丈夫だよ」
「そんなこと、どうしてわかるの?!お父さんに聞いてごらん。きっとダメだって言うから。お父さん!ちょっと来て」
「なんだ?」
母に変わって、父が電話口に出る。
「…あのね、お父さん。私、ヨーロッパに行ってこようと思うんだ。ひとりで」
「ああ、行ってこい」
父はあっさり言う。
「お父さん!!」
母が叫ぶ。
こんな調子がまさに出発当日まで続いた。
しかし今行かなければ、絶対に後悔する。
母の大反対を押し切って、私はここにいるのだ。
就職してしまえば、長期の休暇を取ることも難しくなるだろう。そしてヨーロッパをひととおり見て回るにはやはり1か月は必要だろう。だから今しかない。
(*と言いながら予測がつかないのが人生。この旅行から帰って3か月で私は結婚し専業主婦となりました)
旅行日程はほぼ決まっていない状態で出発した。
アルバイトで稼いだ15万円に加え、当時の彼(その後、夫となる)から15万円を借り(*貸主と結婚したためこの借金を返したかどうか記憶にない…)、何かと心配して「お金は少ないより多い方がいい」という両親からもありがたく10万円を頂戴し、合計40万円が出発までに用意できた旅の資金だった。
出発前に整っていた準備は、航空券、ユーレイルパス、到着後第1泊目のホテル、トラベラーズチェック、それからガイドブック2冊という程度だった。
(*2泊目以降の宿を予約していないなんて、無謀というか何というか)
航空券はオープンジョーではなく、東京⇔パリ往復にした。
最初と最後を同じ街にしたのは、1か月旅をして戻った時、自分が受ける印象を試してみるのにいいだろうと考えたためだ。
ユーレイルパスは1か月有効2等車専用で380 USドルだった。
(*1990年2月の平均レートはUS$1=¥145.694、3月はUS$1=¥153.308なので約55000~58000円といったところ。2025年の旅では2か月有効ファーストクラスのユーレイルグローバルパスを購入しました。1056€=173371円。高っ!まじか)
購入する時はずいぶん高いなぁと感じたが、あとあと非常に役に立った。確かに割安でもあったと思う。

トラベラーズチェックはUSドルを500ドル分、日本円を15万円分、そのほかにフランスフランを現金でいくらか用意した。
(*日本円のトラベラーズチェックを持って行ったということでしょうか。使えたのだろうか)
荷物は最小限にまとめ、バックパックで旅をすることに最初から決めていた。
それでも荷物は15kgほどになってしまい、出発前に背負ってみるとよろめいて歩くどころではないほどだった。
(*それがこの旅を終える頃にはしゃんと立っていられるようになったのだから、旅はしてみるものです。そして2025年の旅では約2倍の重さの荷物ってどういうこと…)
「卒業旅行はひとりでヨーロッパに行くつもりだ」と言うと、たいていの人は反対した。
みな口々に、いかに治安が悪いかということを語り、スリ、盗難、強盗、暴行、果ては人身売買の話まで飛び出した。
私自身、事前の知識として持っていれば予防にもなるだろうと、ヨーロッパで実際に日本人が遭遇した事件を集めた本を買って読んでみたが、その内容は真剣に旅行を取りやめようかと思うほどであった。
(*この本については、2026年現在全く覚えていません)
「行かなければ後悔するだろう。でも行ったらもっと後悔するかもしれない」
そんな怖さも感じていた。
本当に私にひとり旅ができるだろうか。とても不安だった。
それでもヨーロッパをこの目で見てこの足で歩いてみたい。
『外国』という名前の国があるのだと思っていた幼い頃から写真で見ていた、外の世界の様子を自分で確かめてみたかった。
それには今しかない。
出発の朝、空港へ向かう途中でも迷っていた。駅のベンチに座って電車を待ちながら「やっぱりやめようかなぁ」と考えたりもした。
周りの人には「大丈夫!」と胸を張っても、やはり怖くてびくびくしていたのだ。
ちょっと背中を押されたら泣きだしそうなくらい。
でも今さら後戻りできない。
ここまで来てすごすご家に戻るなんて絶対いやだ。
あとはもう勢いのように、成田空港の北ウイングへ向かった。
ここからは本当にひとり。
エスカレーターに乗る足が自分の足ではないようだった。
振り向くと、見送りに来てくれていた彼がガラス越しに大きく手を振っていた。
涙が溢れて歪んで見える。
振り払うように私も大きく手を振った。
