見出し画像

『最後の審判』の下で、私の記憶に残ったこと

バチカンのシスティナ礼拝堂は、『最後の審判』を見に来た人々で混雑していた。

2025年3月27日。
ここを訪れるのは、私にとって2度目だ。

しかし前回1990年に訪れたとき、システィナ礼拝堂はあいにく修復中で、そこにあるミケランジェロの作品はほとんど鑑賞できなかった。

35年越しに、やっと『最後の審判』を見られる。

システィナ礼拝堂の中は、写真撮影禁止だ。
礼拝のための場所でもあるから
「お静かに」という案内が貼られている。

それにしても、人が多い。

礼拝堂の両端には、腰掛けられる場所があった。
だがそれも、壁沿いに一列に並んだベンチくらいのもの。
ひとりが立てば、すぐ別の人が座り、埋まってしまう。
多くの人は立ったまま、天井を見上げていた。

私は、タイミングよく座ることができた。

次から次へと入場する観光客。
その波を、背の高い若い男性係員が誘導していた。
大きく腕を振りながら、大声で人々を促す。

「止まらないで。どんどん進んで」

ミケランジェロを見に来たはずなのに、私は彼の声が気になった。

この係員にとって、これは日常なのだろう。
『最後の審判』も、もう見慣れた生活の一部なのかもしれない。

だが、観光客は違う。
初めて来た人が大半だろう。
そして多くの人にとって、今日は一生に一度の「『最後の審判』を見る日」になるかもしれない。

そのとき。
私のそばに座っていたひとりの女性が、手を伸ばし、男性係員の袖にそっと触れた。

40代後半くらいの、品のある白人女性だった。

彼女は、係員をまっすぐ見て人差し指を自分の唇に当て、「静かに」という仕草をした。

係員は、不意を突かれたような顔をした後、胸のバッジを指し「私はスタッフだ」という身振りをする。
構わず女性は、無言で近くの案内表示を指さした。

「お静かに」

彼は一瞬たじろいだように見え、気まずそうに少し声のトーンを落とした。

しかし数分と経たず、彼は、また人々を誘導し始めた。
そうしなければ、礼拝堂は人で溢れかえってしまう。

それが彼の仕事だ。

ただし、さっきよりは抑えた声で。

『最後の審判』(絵葉書)

こんな大作を仕上げたミケランジェロには、もちろん圧倒された。

それでも、システィナ礼拝堂を思い出すとき、真っ先に浮かぶのは、
まっすぐ係員を見た女性の目と静かな仕草、
そして動揺したような若い係員の姿だ。


正直に言えば、私にはその若い係員の大声をとがめる気持ちがあった。
その場に一番響いていたのは、彼の声だったから。
でも、横目で見ることしかしなかった。

私はまだ、彼女のように静かに毅然とした行動がとれる人間になっていない。

私が見たのは、ほんの一瞬の出来事だ。

500年近く前に描かれた『最後の審判』は、その下に訪れては行き過ぎていく人々の、無数のそんな一瞬を毎日見下ろしているのかもしれない。



いいなと思ったら応援しよう!