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絵本のような街で、名も知らぬ人と過ごした2時間半|1990年ひとり旅

※本稿は、1990年のバックパックひとり旅のお話です。

ブリュッセルから列車でブリュージュへ日帰りの旅

(グランプラスと小便小僧を見た後、私たちは、ブリュッセル中央駅に戻った)

彼女は夜行列車が出るまでそこで時間をつぶすつもりらしく、私はブリュージュへ足を延ばす予定だった。

駅に着いてみると、ブルージュ行は14:21発があるという。
念のため近くにいたおじさんに訊いてみる。

「ブルージュ行は、あの電車ですか?」
「そのとおり。私もブルージュへ行くんだ」

おじさんは英語で教えてくれた。

私はこのまま彼女と別れるのがなんとなく寂しくて、一緒に行かないかと誘ってみた。しかし、夜行の時間が決まっているから駄目だという。

ブリュッセルからブリュージュは片道1時間程度なので、夜行の出発時間から考えて、むこうに2時間半ほどいられることになる。

とはいえ繰り返し誘うのも悪いなと思っていると、気が変わったのか、彼女も「行ってみる」と言ってくれた。

よし、決まり!

ということで、さっきのおじさんの所へふたりで戻る。おじさんがブリュージュまで一緒に行ってくれると言っていたからだ。

着くまでの列車の中でおじさんは
「ブリュージュは良い所だ。自分はそこに住んでいる」
と話してくれた。

大学で医学に関することを教えているというおじさんは、日本の学校教育について私たちに質問をした。

私はあまりよく聴き取れず、したがって答えられないので、彼女にバトンタッチする。

彼女はこの時も自分からは、なかなか話そうとしなかったが、ふたりの会話を聞きながら、私は自分の語学力の足りなさが恥ずかしく悔しく、もどかしかった。

そのうちおじさんは本を読み始め、私たちは窓の外を見ながら、やれ羊がいたの可愛い家があったのと騒いでいた。

それにしても私は、羊を実際に自分の目で見たのはあれが初めてではなかったろうか。

最初、もこもこした毛の塊を窓の外に認めて「何だろう?」と思い、時間差で羊と気づく。

「えーっ、可愛い!!」

窓側にいた私は、「ねえ、羊!羊がいたよ!」と彼女をポンポン叩いて呼んでしまった。

約1時間の列車の旅を楽しみ、ブリュージュに到着。
(*2025年の旅では、インターシティで1時間23分かかりました)

おじさんは私たちのために時刻表で帰りの電車を確かめ、ホームの番号を教えてくれて、さらに駅前に出て町の中心までの道を教えてくれた。ありがたい。

絵本の中のような町ブリュージュ

ガイドブックによると、ブリュージュの町は人口約12万人で、運河のある、『北のベニス(ベネチア) Venice of the North』と呼ばれる美しい街並みとのこと。
(*AIによると1990年当時、約117000人だった人口は、2025年約120000人とあまり変化はないようです)

しかし私の記憶の中では、運河よりもむしろ、長閑のどかな公園の芝生や木立、そして中世から残る建物がブリュージュのイメージを形作っている。

駅前の広い道を渡ると、斜め右に入っていく道Oostmeers通りが続くが、その手前左手に公園があった。

早春の陽の光の中で、老夫婦が散歩をしていたり、若い夫婦がベンチに座りベビーカーの中の赤ちゃんをあやしていたりする。

運河のほとりには(私はその時ただの川だと思っていたのだが)白い水鳥たちが遊んでいて、その向こうに赤い屋根の可愛らしいレストランが見える。

私たちは、絵に描いたようなその長閑のどかな風景に感動し、鳥たちと一緒に写真を撮ったりして、すっかりはしゃいでいた。

時代を感じますね、いろいろと

平日のこの時間に、どうして人々がこんなにのんびり過ごしているのだろうと疑問にも思ったが、それよりも羨ましさを感じ、こんなところでのんびり暮らしてみたいと思った。

しばらく歩き、商店街のようなところを通り抜けると、グランプラスと同じような古い建物に囲まれた広場-マルクト広場(Markt) に出た。
中央は駐車場で、周りは郵便局、カフェ、土産物屋などになっている。

郵便局前の公衆電話で、国際電話をかけてみた。ヨーロッパに着いて2度目の電話だが、ベルギーでは初めてだ。

5ベルギーフラン(BF)と20BFの硬貨が使えるらしいが、その時持っていた小銭を全部使ったのに、あっという間に切れてしまった。
やっぱり日本は遠いなぁ。

その後、私たちは早めの夕食を取ることにした。
扉の所に「日本語のメニューあります」と日本語の貼り紙がしてある店を見つけた。
入ってみると、長身のウェイターが席へ案内してくれる。

まず出されたのは普通の(現地語の)メニューである。

しかし、彼が注文を取りに私たちのテーブルへ再度来た時、まだ決めかねているのを見て、こちらが聞く前に日本語のメニューを渡してくれた。

私は思わずにっこり笑ったが、彼女は
「日本語のメニューやとぼったくられるんやないかな」
と言う。日本人向け(?)の高い金額を提示されるのではと訝っているのだ。

確かに、さっきのメニューとこちらの日本語メニューは若干値段が違う。

「ほら、ぼったくられとるわ!」

もう、ぷんぷんである。

ギリシャでもタクシーに乗ろうとして法外な値段を吹っ掛けられたという彼女は、もうこの手のことは何度か経験済みらしい。

ちなみにそのギリシャの時は、頑として譲らなかったために、運転手が同情したような顔で他の交通機関の乗り場を教えてくれたという。

ともあれ食べるために入ったわけだから、私たちはその日本語メニューを見て注文した。

私は、コーヒーとステーキ、スープ、それにチョコレートムースがセットになったものにした。お値段は455BF(約1956円)。
(*えーー!!なんでそんなに高いもの食べてるの!?おいっ!)

味の方はなかなかで、ステーキは特に美味しかった。肉類を口にしたのは、機内食以来である。

それになぜか、支払いは“ぼったくられた”値段ではなかった。
ふたりとも大満足で店を出た。

マルクト広場を囲む建物は夕陽に照らされ、ロマンティックな色に染まっている。

2025年にも変わらぬ姿を見ることができました

広場に別れを告げ、もと来た道を戻る。

そろそろ急がなくては列車に乗り遅れてしまう。

彼女は
「私、ひとりで帰ってもええよ。もっとゆっくりしたいやろ?」
と言ってくれたが、私もあまり遅くなって暗い道をホテルへ戻るのは不安だ。

ふたりで足早に駅へ向かう。

途中、私は振り返って、木立の向こうに尖った屋根の街並みが見える風景をカメラに収め、また先を急いだ。

再びブリュッセルへ

ふたりともユーレイルパスを持っていたので切符を買う手間は省けたが、それでも駅前からは走り通しでギリギリに間に合った。

あのおじさんに発着番線を教えてもらっておいてよかった。

それにしても、日本人の女の子ふたりが血相を変えて走っているのを、みんな振り返って見てたなぁ。

帰りの電車の中で、彼女は

「誘ってくれてありがとう。良い思い出ができたわ。ひとりやったら絶対行かへんかったもんな。得した気分」

と言ってくれた。私も嬉しかった。

ほんの2時間半。
まだまだ見どころはたくさんあったようだけど、とりあえず、あの長閑な公園で幸せそうな人々を見られただけでも満足だった。

ただし、この町はもう一度ゆっくり訪れてみたい。
必ず、もう一度。
(*35年後に叶いました)

私は中央駅まで行くが、彼女はそのひとつ前の南駅で下車し夜行列車に乗ることになっていた。握手をして私たちは別れた。

ホームの彼女に手を振りながら、最後まで名前を聞かなかったなと思った。

※1990年の旅のエピソードはマガジン▼にまとめています。


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