23歳が考える、「老後に住むなら?田舎vs都会」
長野県塩尻市に移住して1年と少し。地元関西に帰るたび、東京に住む友人に会うたび、何より長野県で出会う人々と語る旅に、「田舎と都会」の違いについて、暮らしやすさについて、たくさん語ってきたが、それも住む年数によって変わっていくと思う。また、最近ずっと自分の生き方や暮らし方についてもやもやしていて、それが会社のせいなのか長野県の移住なのか、人間関係なのか、今日はそれを言語化してみようと思う。
私の住む長野県塩尻市について
人口6.5万人、長野県のほぼ中央、松本盆地の南端に位置する。古くから交通の要衝として発展し、現在もJR中央本線・篠ノ井線や長野自動車道・国道19号・20号・153号が交差する交通の結節点となっている。
長野に来て感じること
・人が優しい。関西から就職できたというと、興味を持たれる。し、いまだに関西弁が抜けないため、「旅行できたの?」と聞かれる。
・お店はサービス精神が旺盛。物価高に対し、定食屋さんのご飯が日本昔ばなしくらいてんこ盛りでやってくる(そのため、「少なめ」でオーダーしないといけない。)あと、お会計もまけてくれたり、1品サービスしてくれる店も多い。
・コンビニ、スーパーなど暮らしに必要なものはあるが、映画館やカラオケ、洋服アパレルの類は一切なく、休日の日中の遊び場はない。
・購買欲が薄れる。会社と家の往復にはスーパーくらいしかなく、流行り物のカフェや洋服、カバンを目にする機会がないため、欲しいものは無くなってくる。
「お金じゃないものを身につけたものしか許されない本当の強者の大地、それが田舎」
「都会暮らしの若者がここではないどこかに行きたい幻想としていっている田舎」
田舎とされるポイント(「老後に住むなら?田舎VS都会」より抜粋)
①車が必要
→これは完全に同意。長野県暮らしも1年を超え、「車なんてなくてもいけるやん!」と意気込んでいたことを忘れるほど車が欲しくなっている。夏は暑すぎるし、冬は寒すぎる。どんなアクティビティをするにも車はいるし、なかったら友人に気を遣って送り迎えしてもらわなければいけない。それが心が痛い。気の知れた友人がいないなら、なおさら。他の友人を見て、当たり前かのように車に乗り込む姿を見ると、ヘコヘコし、申し訳なく乗るのも嫌になってくる。車に乗ることは、かなりリスクなことである。目撃されたら「付き合っている」と噂されたり、偶然乗せてもらった友人の彼女に嫉妬され酷い目に遭ったりすることもあるため。(長野に来てから起こった本当にあった女の嫉妬が怖い話を聞きたい方はコメントまで)(今まで何かしら私を運んでくれたみんな、何はともあれ、本当にありがとう。)
②虫が多い
→これは同意しない!長野に限ってなのか・・?みんな大っ嫌いなGや、刺されまくる蚊がびっくりするほど、見当たらない。いるのと言えば、見たこともないような名前もわからないようなでっかい虫だけ。実害はほとんどないため、虫嫌いの人は安心して長野県に来られよう。
③孤独(人間関係)
→これだ。これである。今の私に足りないものである。私の思い浮かべる社会人は、職場では歳の近い先輩とじゃれあい、ランチを共にする。困難な課題にも一緒に立ち向かい、男女も年齢も超えた、仕事仲間、という稀有な絆ができる。職場以外にも、多様な部署の人と関わり、顔の広い人材となり、意外なところで交渉をうまく進める。同期は毎週飲みにいく仲。仕事の悩みや困りごとだけでなく、恋バナなんかもしたり。週末は、街の人と朝から晩まで遊びまわる。よそ者だからこそ、なんでも楽しむ!
〜と、ここまでフィクションであり、どこまでも私の理想を詰め込んだのである。
要素を分解すると、
理想→「同期<職場の先輩方<街の人々」と言う感じ。このフィクション、全てがうまくいっていないわけではない。特に、「街の人々=こっちで出会った人々」に関しては、一番仲良し。なので、実情を表すと、こんな感じ。
「街の人々>>>>>>>>>>>>>>>同期、職場の先輩方」
まあ大袈裟かも知れないけど、こんな感じ。自認では。最近、今年になって周りを見渡すと、同期で旅行に行っていたり、付き合っている人がたくさんいて、ああ、自分はこの一年何をしていたんだ。。と思った。もちろん、街の人々と遊び回っていたのは言うまでもないし、気持ちもそちらに持って行かれていた。何より、決定的な事件や同期の誘いを断ったことはない。自然と、そして、じっくりと、同期との人間関係は消滅の道を歩んでいたのである。なんと寂しい、私。とにかく、今の私は同期との人間関係に飢えているらしい。納得。
逆に!出身の関西にいたらどうなんだろう。会社以外の友人もたくさんで、それなりに心豊かな生活を実現していたのかも知れない。
東京はどうだろう。最近、東京に行った。ーーー長くなるので、別で語ろう。こちらも良かった。気の知れた友人と話すと、新たに気づくこと、共感できることがたくさんで嬉しかったのと同時に、友人と話す楽しさを得るには東京か関西に来なければいけないのか、と悲しくなった。どこまで私は求めてばっかなんだろう。ーーまた話します。
④都会のメリットが多すぎる(医療機関、車を使って歩かない、給与が違う)
→これはそうかも知れない。最近よく見るが、やはり、東京は便利なのである。少し歩けばコンビニがあり、病院があり、電車もバスもある。若い私からすると、選択肢がたくさんあるのである。それは、休日に何をするのか、と言うお金の使い方もそうである。流行りのスイーツや洒落たカフェ、欲しかったブランドものの鞄や化粧品は、長野県では絶対に手に入らない。せいぜい、GUかユニクロである。(ここで出したのは、決して低くとらえているのではなく、全国どこにもある便利さの象徴としてである。)
ただ!!それを求めるかどうかは、甚だ疑問であると言うのも事実である。実際に私の休日することといえば、土曜日は家事をして松本でランチとカフェに行き、夜は川辺や松本城で黄昏る。日曜日は朝パンを買いに行き、図書館で本を借りて、隣駅から登山をする。美味しい空気と心地よさを味わった後は、帰ってきて1週間分の食料の作り溜めをする。これだけ充実した長野の休日に、ブランド物や流行りのものを求めて街を歩く、と言う隙間はないのである。そうしたらどうなるか。お金が貯まる。そのお金で、海外旅行に行く。あれ、消費活動、できてるじゃん!と思う。
と言うことで、つまりは、長野県での消費活動に適応し、慣れてきたのである。東京・関西はたまに行く。そのタイミングで、生活に必要なものや服を買う。それでもいいと思ってきたのである。(これについても不安感を抱いているのはまた今度)
まとめ
ここまでなんとまあ、好き放題書いてきたが、結論として。この私、新卒2年目長野県OLは、就職で長野県に飛ばされ、始めこそ絶望的な気持ちであった。しかし、1年を通じて、塩尻や松本の人々と素敵な出会いを重ね、1年目とは思えないほど充実し、順風満帆な生活を営んでいた。そうするにつれ、本当なら仲がいいべき同期や職場の人々とは距離ができた。2年目になり、寂しくなり始めた彼女は、この寂しさが長野県にいる所以なのか、人間関係なのか疑問に思い始める。素直にいろんな要素を出して比べてみた結果、「気の合う人間」が長野県で少ないことに気づく(会社外だと何人かいるが)。なので、今年の目標が気が合う人間を増やすこと。社内でもいいし、社外でもいい。自分がもう少し、頑張って生きよう!と張り合いが持てるような何かを見つけ、それに注力してみよう。頑張ろう。食いしばれ!w
動画の感想
一貫して、「田舎」「都会」の定義がなかったため、一元的に「田舎」と「都会」でくくることができず、(名古屋や関西周辺の地方都市、など)白黒つけるには素材が足りない気もした。けれど、いわゆる論争を考えるきっかけになったのは言うまでもない。ここで感じたのは、あくまでも「都会」「田舎」と言う価値観自体がかなり主観的なものであり、絶対はないのだと思った。
