多重下請けの経済学 — なぜ、あの構造は消えないのか
前回、日本でソフトウェアを作る仕事の年収は、国内の平均的な働き手の1.1倍しかない、という計算をしました(米国は2.7倍)。
今回はその続きで、「なぜ上がらないのか」の話です。
犯人としてよく名指しされるのは、多重下請けです。
エンジニアとエンドユーザーの間に何社も挟まって、それぞれが取り分を抜いていく、あれ。
実際、調べれば調べるほどすごい構造でした。
ただ、調べ終わって手元に残ったのは「中抜き業者を退治せよ」という結論ではありませんでした。
退治しても、たぶん構造は残ります。
今回はその理由——多重下請けが"経済的に成立してしまう"仕組み——を書きます。
国が「中抜き」を定義した日
まず、あの構造がどれくらい公式に「ある」のかから。
2022年、公正取引委員会がソフトウェア業の下請取引の実態調査を出しています(報告書)。この種の調査としては18年ぶり、資本金3億円以下の2万1,000社に聞いた大規模なものです。
この報告書、国の競争当局の公文書なのに、「中抜き」という言葉が定義付きで登場します。
曰く——「多重下請構造の下、商流上は形式的に関与するものの、実際には何ら業務を行うわけでもないのに利益を上げている者」。
そして、そういう事業者の存在を「感じたことがある」と答えた会社が全体の25.9%。
商流の末端、最終下請に限ると33.5%——3社に1社です。
調査に寄せられた実例が生々しい。
「個人事業者として活動していた際に6次下請の末端技術者として参加したことがある」
「エンジニアの準委任契約(SES)では最大5社が中間に入るケースがあり、間に入っている企業は何もしない」
「商流は『発注元→A社→弊社』と聞いていたが、実際は『発注元→B社→C社→D社→A社→弊社』だった」
「ソフトウェア会社とは名ばかりで、技術者が一人もおらず、中抜き営業のみを行っている会社がいる」

犯人を退治すれば、直るのか
ここまで読むと、話は簡単に見えます。働かずに抜く業者がいる。
けしからん。退治すれば、エンジニアの取り分は増える。
私も最初はその筋で書こうとしました。でも、ひとつ引っかかることがあります。
この調査は「18年ぶり」でした。つまり2003年にも同じような調査をやっているんです。
当時から問題は指摘されていて、20年経って、構造はまだある。
20年生き延びる構造を「悪意」だけで説明するのは、たぶん無理です。
悪意は取り締まれるけど、この構造は取り締まりをすり抜けて残ってきた。
残るものには、残るだけの経済合理性があります。
ここから先は、その合理性を順番に倒していくドミノの話です。
ドミノ1枚目: 需要は波打つ。雇用は波打てない
システム開発は、プロジェクト型の仕事です。
要件定義は少人数、開発のピークで一気に膨らみ、リリースしたら数人の保守に縮む。
需要が波打つのは、この産業の宿命です。
一方で、人を雇うのは固定費です。
ピークに合わせて雇えば、谷で人が余る。
谷に合わせて雇えば、山が越えられない。
だから、どの国のIT産業も「波をどう吸収するか」という問題を抱えています。
ここまでは万国共通です。分かれるのは、ここから。
米国は原則として随意雇用(employment at will)の国なので、山で雇い、谷でレイオフする——波を社内で吸収する選択肢があります。ドライな話ですが、機能はする。
日本では、その選択肢が実質的に封じられています。
解雇には「客観的に合理的な理由」と「社会通念上の相当性」が要り(労働契約法16条)、経営上の理由で人を減らす整理解雇には、判例の積み重ねでいわゆる4要件(人員削減の必要性・解雇回避努力・人選の合理性・手続の相当性)が課されます。
「プロジェクトの山が過ぎたから」は、この要件をまず満たしません。
先に断っておくと、これは解雇規制が悪いという話ではありません。
規制は労働者を守っていて、それ自体はひとつの価値です。
ここで見てほしいのは因果だけ——波は実在するのに、社内で吸収する手段がない。なら、波は社外へ流れ出すしかない。

ドミノ2枚目: 「抱えて貸す」という発明
波が社外へ流れ出した先に、それを受け止めるビジネスが生まれます。
技術者を正社員として抱え、顧客に貸し出す——SES(準委任契約での常駐)です。
借りる側から見ると、これは合理的どころか、ほとんど魔法です。
人件費という固定費が変動費になる。
山では借り増し、谷では契約を終える。
そして契約終了は解雇ではないので、4要件も要らない。
つまりこういうことです。
日本のIT業界は、雇用の柔軟性を、労働市場ではなく商流で調達している。
解雇規制は各社の中では守られている。
でも産業全体を引きで見ると、波の調整はちゃんと行われていて、その調整弁の役割が、商流の下の方にいる会社と技術者に割り当てられている。
貸す側の事情も見ておきます。
技術者を抱える会社にとって、最大のコストは「ベンチ」——案件が切れて待機している人です。
売上ゼロで給料だけ出ていく。
だから稼働率がすべてになり、単価を下げてでも案件に入れることが合理的になる。
この「空けたくない」圧力が、業界全体の単価を下へ下へと押します。
ここまでで、登場人物を並べ直すと——発注者は完成責任を負わずに人手を調整でき、元請は差益を得て、SES会社は雇用を維持でき、技術者は(給料はさておき)職を失わない。
全員が、それぞれの場所で合理的に振る舞っています。誰も悪くない。
そして誰も悪くないまま、全体としては誰も望んでいない形が出来上がる。
多重下請けが20年消えない理由は、たぶんこれです。
ドミノ3枚目: 給料が商流に溶ける
では、その構造の中で、エンジニアの給料はどう決まるか。
公取委の報告書に、身も蓋もなく正確な一節があります。
多重下請構造下では、エンドユーザーの発注金額を上限として、再委託の都度、中間マージン等が差し引かれるため、下層に行くほど、受注金額が低くならざるを得ない。階層が積み上がると価格交渉の余地も小さくなるため、下流では「初めから原価割れ」といった状況も生じ得る。
発注金額が天井で、そこから階層の数だけ引き算される。
エンジニアの手取りは「生み出した価値」からではなく、「天井から、通過した階層のマージンを引いた残り」から決まる。
前回の1.1倍——あの数字の正体は、この引き算の出口です。
で、ここで気になるのが「いくら引かれているのか」。
調べて、少し驚きました。誰にも分からないんです。
労働者派遣には、事業所ごとのマージン率をネットで公開する法的義務があります(労働者派遣法23条5項)。ところがSESは契約形態としては準委任=事業者間取引なので、この義務がない。
各層がいくら抜いているかを開示するルールは、どこにもありません。
よく「中抜きは3割」とか「5割」とか言われますが、私の知る限り、裏の取れる公的な数字は存在しない。
だからこの記事では使いません。
数字が無いこと自体が、この構造の一部です。
建設業にあって、ITにないもの
「多重下請けなんてどの業界にもある」という反論があると思います。
その通りで、たとえば建設業は typical な多重下請け産業です。
ただ、建設業には施工体制台帳があります(建設業法24条の8)。一定規模以上の工事では、元請が「どの会社が何次下請でどの工事を担うか」を台帳に記録する義務があり、下請がさらに再下請に出したら通知義務がある。公共工事なら金額にかかわらず全件です。
つまり建設業は、多重下請けをやめたのではなく、見えるようにした。
ITには、これに相当する制度がありません。
6次下請の存在を、国が18年ぶりのアンケートでようやく把握する——それが現在地です。
商流が見えないから、中抜きも、原価割れも、偽装請負(発注者が他社の技術者を直接指揮命令する状態。職業安定法44条等に触れ得る)も、statistics にならず、個々の現場の愚痴で終わる。

見えないものは、直せません。
逆に言えば、見えるようにするだけで変わることは、たぶん結構ある。
誰も悪くない、で終わらせないために
まとめます。多重下請けは、悪意の産物というより、需要の波×解雇の壁×稼働率の圧力が組み合わさって析出した、経済的に安定な結晶です。
安定だから20年残った。中の誰かを退治しても、条件が同じなら、また同じ形に固まります。
ただ、条件の方は、いま少しずつ動いています。
公取委は上の報告書で「サプライチェーンのスリム化」を業界に求め、優越的地位の濫用への監視を強めると宣言しました。2024年11月にはフリーランス保護法が施行されて、商流の最末端にいる個人との取引に、取引条件明示などの義務がかかるようになった。
そして前々回から書いてきたとおり、発注側の内製回帰という、構造の外へ出る動きも始まっています。
悪者探しは気持ちがいいけれど、20年ものの構造の前では、あまり役に立ちません。
効くのはたぶん、透明化(見えるようにする)か、退出(構造の外で作る)のどちらかです。
どちらも、少しずつ始まっています。
筆者について — Pinddy(ピンディ)。情報系学科を出てからIT業界に20年余り、学生時代から数えれば25年ほど日本のITに身を置いてきました。仕事は通信キャリア系企業のSI部門でインフラ系プロジェクトをやりながら、趣味でコードを書いたり書かなかったり。最近の関心は生成AI、クラウド、IaCです。この記事は、IT業界の内側に長年いる人間として書いていますが、なるべく俯瞰的でフラットな視線を心がけます。
本記事はAI——Anthropicの Claude——との協働で執筆しています。構成と論点の壁打ち、草稿、公的資料の調査(公取委報告書本文の読み込みを含む)をAIと行い、事実関係はリンク先の一次資料で検証のうえ、最終的な編集と文責は筆者(Pinddy)にあります。
出典: 公正取引委員会「ソフトウェア業の下請取引等に関する実態調査報告書」(2022年6月) / 厚生労働省(兵庫労働局)「解雇・退職」(労働契約法16条・整理解雇の4要件) / 厚生労働省「労働者派遣事業と請負により行われる事業との区分に関する基準(37号告示)関係疑義応答集」 / 厚生労働省「派遣会社のマージン率等について」(労働者派遣法23条5項) / 国土交通省「施工体制台帳、施工体系図等」(建設業法24条の8) / 政府広報オンライン「フリーランス・事業者間取引適正化等法(2024年11月1日施行)」
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