アニメ『日本三國』にどハマりした理由をマーケター目線で考察してみた
こんにちは。東京で株式会社LampTokyoと株式会社ANIVAというブランディング・マーケティング・クリエイティブ会社を経営している的場タカキといいます。
6月まで放映されていたアニメ『日本三國』をつい先日、動画配信サービスでイッキ見しました。
手が伸びたきっかけは、たまたま目に入ったこのキービジュアル。

仕事柄、日頃から多くの作品のキービジュアルやPVを目にするのですが、その中でも『日本三國』はちょっと目を引くものがあったんですよね。
ただインパクトがあるだけではない。
このキャラクターが何かを背負っていて、何か大きなことをやりそうな感じが伝わってくるし、こちらをグッと見返してくるそんな力強さがある。
こういう“引っかかり方”をする作品って、そう多くはありません。
そして実際に本編を見てみると、その魅力はビジュアルだけにとどまらなかった。
世界観、物語、キャラクター、そしてIPとしての設計にまでしっかり奥行きがあって、グイグイ引き込まれてしまいました。
今回はそんな『日本三國』の魅力について、マーケター目線で少し考えてみようと思います。
冒頭の一撃で体温が爆上がりする
まず、『日本三國』は冒頭からかなり衝撃的な展開です。
なるべくネタバレは避けたいと思うのですが、物語の冒頭で、主人公は国家権力の横暴によって一瞬にして人生を狂わせられてしまう。
スタートがもう、めちゃくちゃ重い。
そこで描かれているのは、単にショッキングな事件というだけではなくて「国家や権力が個人の人生をどれだけ無造作に踏み潰せるのか」という本質的暴力です。
そこが『日本三國』をただの乱世の成り上がり譚で終わらせない、大きなポイントだと思います。
スタート地点から「奪われた個人が、壊れた国家にどう向き合うのか」という大きな問いを背負って物語が始まる。ここが視聴者の感情を強く揺さぶるわけですね。
この「感情の起点」があるからこそ、その後に続く政治や制度の話がただの構造論で終わらない。
復讐や怒り、喪失の哀しみが物語全体の熱源として機能している感じがあって、壮大なスケールの話であっても視聴者はリアリティを感じるようになる。
国家という大きな話をしながら、起点はあくまでひとりの人間の人生なんですよね。
ここがまず、物語としてとても強いなと思いました。
リアルな「不穏さ」を感じさせる未来像
舞台設定、世界観も魅力的です。
『日本三國』で描かれる舞台は、文明が崩壊した近未来の日本です。
核大戦、天災、悪政などから革命が起こり、文明が崩壊した近未来の日本が3つに分かれた国として描かれています。
僕がおもしろいなと思ったのは未来を描きながらも、未来に対する楽観や進歩を前提にしていないところ。
テクノロジーの発展やそれによる新しい秩序といったポジティブな未来像ではない。描かれるのはあくまで、制度も秩序も壊れたあとの未来。しかもそれが、荒唐無稽な空想として遠くへ逃げていかない。
見ていて感じたのは「これは絶対に起こらない実生活とは遠い話だな」という安心感ではなくて「絶対にあり得ないとは言い切れないんじゃないか……?」という不穏さでした。
この現実の延長線上に「もしも」が積み重なったら、つながってしまいそうな100年以上先の日本の未来。その不穏さが、かなり怖い。
いわゆるディストピア物にも分類できそうな作品ですが、そうしたリアルな「不穏さ」を感じさせるからこそ、世界観がただのディストピア装置ではなく、具体的な恐怖を伴って迫ってくる気がします。
武力ではなく、知識と弁舌で勝負する主人公

主人公のキャラクター設定もかなりユニークです。
主人公である三角青輝は、理屈屋で、旧文明の知識に長けている。そして、妻との誓いを果たすべく「日本再統一」を志す人物として描かれています。
この時点で、すでに普通の主人公とは一線を画している。
国取りや戦乱がテーマの作品を考えるにあたって、どんな主人公がふさわしいか? ありがちなのは圧倒的な武力や、突出したカリスマで道を切り開いていくようなキャラクターです。
でも『日本三國』はそこを少しずらしてくる。
武力一点突破ではなく、知略と弁舌でのし上がっていくタイプのキャラクターを主人公に据えている。そこがすごくイイんです。
そのような主人公のキャラクター性によって、『日本三國』は英雄譚であると同時に官僚制や制度設計、交渉術などについての物語にもなっている。
剣を振るう前に、構造を見る。押し切る前に、読み解く。勝つというより、動かす。
こうした主人公の異質さが、そのまま作品全体の個性にもつながっているわけですね。
マーケティングの観点から見ても、主人公のキャラクター性だけで作品の個性と奥行きが同時に伝わるのはとても強い。
主人公の存在そのものが、かなりのフックとして機能しているんですよね。
全員が主役のような魅力的キャラクターたち
さらに、この作品の魅力を支えているのが、脇を固める周囲のキャラクターたちです。
阿佐馬芳経、東町小紀、龍門光英、賀来泰明、平殿器、輪島桜虎。
それぞれのキャラクターが単に性格や見た目だけでなく、立場、思想、国家との距離なども含めて多彩に差別化されている。
それによって、まるで全員が主役のような魅力的キャラクターに仕上がっています。
濃いキャラクターがたくさん出てくる作品は、下手すると作品全体の印象が散らかってしまうこともありますが『日本三國』はむしろ逆。
人物が増えれば増えるほど、この国がどう分裂しているのか、誰が何を背負っているのか、何と何が対立しているのか……といったことが立体的に見えてくる。
一人ひとりが、単なるキャラクターであると同時に、壊れた社会の断面としても機能しており、作品全体としてもかなり強い設計になっています。
ファンはキャラクター単推しで終わらず、勢力図ごと好きになってしまいますし、人物関係だけでなく、物語全体の構造そのものを追いたくなってしまう。
そしてこのタイプの作品は、見終わったあとに誰かと語りたくなる余地が大きい。
その“余白の大きさ”も、この作品の魅力のひとつだと思います。
「何か」を予感させる秀逸なビジュアル設計
加えて、この作品において重要な役割を果たしているのは、強烈な2つのビジュアルだと思います。
『日本三國』のビジュアルは、ただ目を引くだけではなくて、その先に何かあると予感させる力がかなり強い。
冒頭でも触れた1つ目の赤・黒・金を基調にしたキービジュアル。これはまず、三角青輝の視線そのもので見る人の心を引きつける力がある。
そしてもうひとつ。以下に貼った2つ目のビジュアルは、街の空気感や人物同士の距離感まで含めて、この世界が「生きている」という感覚を伝えてくる。

この2枚のビジュアルの役割分担がとても上手い。
キービジュアルは、立ち止まるための絵。セカンドビジュアルは、深く入り込ませるための絵。
絵だけが強い作品は、確かに一瞬スクロールを止めてしまうような力はあるものの、その先にある「中身」との落差でガッカリしてしまうこともある。
逆に設定だけが強い作品は、ハードルの高さというか、作品への入口が重くなってしまうこともあります。
『日本三國』は、そのちょうど中間にあるようなバランス感が絶妙です。
入口ではビジュアルの強さで掴み、その奥にある中身では魅力的なキャラクターと世界観の厚みで引き込んでいく。
受け手側も「何だろう、この作品?」で終わらずに、「ちょっと調べてみようかな」から「実際に見てみたい」に進んでいくような、そんな心理的動線設計の流れをうまく作り出している気がします。
この流れが機能しているとするなら、これは本当に秀逸なビジュアル設計です。
物語の始まりに視聴者を揺さぶる感情の起点がある。
100年後の世界観に現実的な不穏さが漂っている。
主人公に他作品と一線を画すような明確な差別化がなされている。
個性豊かなキャラクターたちが世界感の厚みを生み出している。
そして、強いビジュアルで入口を開いている。
こうした一本筋の通った戦略があるからこそ、僕も含めて多くの人が『日本三國』にハマっているのではないでしょうか。
久々に次シーズンが待ち遠しいアニメに出会いました。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
