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シャマユとアンスネスによるシューベルトの晩年の連弾作品

今晩は、エラートから11月21日にリリースされた、ベルナール・シャマユとレイフ・オーヴェ・アンスネスによるシューベルトの晩年の連弾作品を聴きます。

収録曲は以下の通り。

フランツ・シューベルト(1797–1828)
幻想曲 ヘ短調 D.940(1828年1月〜3月)
第1楽章 アレグロ・モルト・モデラート
第2楽章 ラルゴ
第3楽章 スケルツォ:アレグロ・ヴィヴァーチェ
第4楽章 フィナーレ:アレグロ・モルト・モデラート
アレグロ イ短調 D.947《人生の嵐》 (1828年5月)
フーガ ホ短調 D.952
ロンド イ長調 D.951

すごいお二人の連弾。夢のような組み合わせですが、こういうアルバムって結構あります。しかもシューベルトの連弾曲、それだけこれらの曲は連弾のレパートリーの中でも別格なのでしょう。
シャマユもアンスネスもピアノの連弾について、その特殊性について語っています。まずプリモ(1番奏者、高音部担当)とセコンド(2番奏者、低音部担当)で役割が全く違う。時にトレブルは左手が旋律を奏でて主役となることもあって、これが絶妙なアンバランスになると。また上のパートを弾いていると音が多すぎると感じることがあるそうで、これは確かに聴いていてもそう思う時がありますね。そしてシューベルトの連弾ではこの濃密さに慣れるのに時間がかかると。それからペダルがすごく難しいと言っていますね。

このアルバムはまた、シューベルト最後の年、1828年の作品を選んで弾いています。1827年には冬の旅、3つのピアノ・ソナタ、歌曲集「白鳥の歌」、4つの即興曲、弦楽五重奏曲。名曲に溢れている中で、このアルバムに収められている作品も傑作ばかり。
それからよく言われることですが、シューベルトは晩年になってから済んできたとか、死を意識した作品を書いたとか言われますが、シューベルトはまさか自分が31歳で死んでしまうとは夢にも思わなかったのではないか、そんな重い病気だと思っていなかったのではないかということ。ステレオタイプで晩年の境地で捉えるのではなくそこにある新たなまだまだ発展しようとしていたシューベルトの姿がそこにあるように思います。

さて、聴いてみます。
まずは幻想曲 ヘ短調D.940。シューベルト晩年の最高傑作の一つですね。ここではアンスネスがプリモ、セコンドはシャマユが務めています。暗鬱な和音の上を沈鬱なテーマが静かに現れますが、そこには柔らかさと静かに内面を見つめるようなメロディ。この深い音はいかにもアンスネスです。そして内声のバランスが実にいい。この曲はよく生で聴く機会ありますが、なんだか騒々しくてガチャガチャしがちなのですが、さすが超名手二人、バランスが実にいいですね。展開部などでは二人のソリストとしての音楽が交差し、鋭いくらいのぶつかり合い、感情が昂る時にあります。それでも各音が透明に聴こえてくると同時に邪魔し合わない。さすがです。
第2部はラルゴは劇的なトリルと鋭い付点の応酬がこの二人の持つ音が際立ちます。そして次のパートでは音色を見事に変えソフトな中に二人の旋律の対話。フォルテとピアノの対比、ダイナミックレンジの幅が大きく、現代的と言ってもいいかも。

第3部のスケルツォは速めのテンポ。ここも賑やかになりがちですが、まるで指揮者がいるように動機がそれぞれのピアノから浮き彫りのように現れます。非常にダイナミック。調性の変化で微妙に音色が変わっていくのもさすが。
そして第4部は第1部の再現ですが、ここで注目したいのは、非常に対位法的な音楽になっているということ。シューベルトは美しいメロディや浮遊感のあるハーモニーが特徴ですが、亡くなる前には教師の作曲家、ジーモン・ゼヒターに助言を求めていて、対位法に深い関心を寄せいていたとのこと。このアルバムにも含まれるフーガなどもそこから生まれていますが、この幻想曲の4部も対位法的に展開し、ドラマが感じられます。演奏する二人もそれを意識して弾いているのでしょう、各パートが対等に絡み合い、劇的な響きを作り出しています。

続くアレグロは激しい情動と推進力を持つ単一楽章ながら演奏に15分以上かかる大作。ここではシューベルトの晩年の曲に突然現れる劇的な感情の噴出と、暖かく柔らかい音楽の対比が繰り返されていきます。この曲には「人生の嵐」というタイトルが付けられていますが、これはよくあるように作曲者本人がつけたわけではなくて出版社が付けたタイトル。確かに冒頭の部分はそんな感じもしますが、あまりそれにとらわれたくないかな。
ここではプリモにシャマユ、セコンドにアンスネス。というか、はっきり言ってわからん。変わってもダイナミックの激しさはすごいし、抒情的な部分は美しい。ここでプリモとセコンドの音色の差が出ないようにお互いの音楽感や音色、タッチ、そして呼吸を合しているのでしょうね。興が乗ってきて少しずつテンポが前にいきますが、それもまるで一人のピアニストが弾いているかのように息が合っています。
そして20本の指が奏でるサウンドはゴージャス。普通なら煩く感じると思うのですが、二人の音が主張し合っていても、統一感のようなものが感じられます。特にこの曲で繰り返されるダイナミックな主題は1台のピアノを鳴らし切っている感じ。

フーガホ短調 D.952でもプリモがシャマユ、アンスネスがセコンド。先ほど書いたシューベルト晩年の対位法への関心が明瞭に現れた小品。多くの作曲家が歳を取るにつれて対位法的な傾向を持ってきますね。シューベルトがもっと長生きしていたら、そっち系の複雑な音楽を作曲していたかも。
この曲は、何も知らないで聞くとバッハ?と一瞬思ってしまうようなフーガ。ただ進むにつれ、やはりバッハとは違う抒情性やロマンの香がします。でもこの曲を聴く限り、相当シューベルトは真剣に対位法に取り組んでいたのではないかしら。
演奏は各声部が見事に独立して濁ることなく聴こえてきて録音も超優秀。最後にバスが雄大にテーマを鳴らし始めるところは感動します。

最後のロンドイ長調 D.951はシューベルトらしい明るいメロディ、そして様々に和声が変わり旋律が変わる美しい作品。しかしやはり連弾なので響きは充実していて和音がみっしり詰まった感じ。このあたりは普段ソロで活躍をしているお二人にはバランス感を捉えるのが大変だったのかしら。
ここではアンスネスがプリモ、シャマユがセコンド。こうやって聴くと抒情的な作品はアンスネスがプリモ、ダイナミックな曲はシャマユがプリモ。逆にいうとダイナミックな低音はアンスネスということかな。
シューベルトのこのあたりの作品はメロディが繰り返されることで不思議な効果を生みますね。独特の時間感覚、永遠につながるかのような・・・しかし二人の演奏は時に微妙に速さを変えたりすることで、その淡々とした音楽に変化をつけていて、でもそれがシューベルトの持つ不思議な永遠性を少し邪魔しているかな。もうあんまり劇的な演出はしないで、あるがままに弾いてもいいかも。二人が弾いているとどうしても盛り上がってドラマになっちゃうのかな。もちろんそれも面白いけれど。

録音はアンスネスの深い音をとらえてきたジョン・フレイザー。ロンドンの教会で行われていて、たっぷりとした教会らしい響きの中にくっきりと二人のピアノが浮かび上がります。天井の高さが感じられる美しい録音でありました。

録音:2025年5月23日–25日
会場:セント・ジュード・オン・ザ・ヒル教会(ロンドン/ハムステッド・ガーデン・サバーブ)
エグゼクティブ・プロデューサー:アラン・ランセロン
録音プロデューサー/ミキシング/編集:ジョン・フレイザー
録音エンジニア:アルネ・アクセルベルグ
マスタリング:イアン・ワトソン
ピアノ技術者:ピーター・ソールズベリー
写真:ポール・マーク・ミッチェル
デザイン、レイアウト & 編集:WLP ロンドン Ltd

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