『無形文化遺産たる助産術―医療と生活の「間」で、私たちが守り抜くもの』
「産む力」は、本来すべての女性に備わっている。
しかし現代の出産現場は、効率と管理という名の医療の枠にがんじがらめになり、その野生の輝きを失いつつある。
私は助産師だ。
ガイドラインも知らない、医療の進歩を軽視する専門家はナンセンスだと断じる。安全な環境は大前提だ。
けれど、モニターの数値だけでは測れない「いのちのサイン」が、確かにそこには存在する。
お母さんの呼吸がわずかに変わる瞬間、赤ちゃんの意志が動き出す気配。
長年の経験で培われたカンの鋭さと、心身の健康を引き出す対話の技。それは、機械には代替できない、人類が繋いできた無形文化遺産そのものではないか。
医療と暮らし。その「間」で、ボロボロになりながらも新しい命を迎える女性たちに、私たちはどう寄り添えるのか。
病院の白い壁を飛び出し、地球の大地を踏みしめて開業を誓った一人の助産師が、現代の出産が置き去りにした本質を、先ゆく師の言葉や経験から残す。
第1章:矢島床子先生(矢島助産院)-助産師学生時代
「魔法の手と、母子手帳に乗せるラブレター-私を助産師の世界に沼らせた、朗らかさ」
学生だった頃、1週間助産院実習をさせて頂いた。
私の目の前で、床子先生はいつも、まるで魔法のように妊産婦さんの緊張を解いていった。
先生が部屋の中に座って妊婦さんを迎える。
それまでの空気が、陽だまりのような温度に変わる。
「大丈夫よ」
そう言って先生が温かな手でお腹に触れるだけで、産婦さんの心と体が、雪解けのように柔らかく解れていく。
それは知識や技術という言葉では到底説明できない、「絶対的な安心感」という名のギフトだった。
私はその背中を追いかけながら、あることに気づいた。
先生は、検診のたびに必ず、母子手帳に記録以上の何かを書き添えていた。
そこにあるのは、単なる血圧や子宮底などの数値や経過報告ではない。
「元気だね~」
「お母さん、よく頑張ってるね~」
一文字一文字に、母子への愛と、共に歩む決意が乗っている。それは先生から母子へ贈られる、一行ラブレターのようだった。
「助産師って、こんなに人を好きにさせてしまう仕事なんだ」と射抜かれる私。
先生の朗らかな笑い声と、あの温かくて柔らかい手の感触。
モニターの数値や観察することに必死だった私の助産師像に、新しい光が差し込んだ瞬間だった。
第2章前編:上司中根さん(総合周産期母子医療センター)-総合周産期母子医療センター時代
「命の最前線で学んだ『凪』の境地 -負荷をかけず、待つということ」
「貴方はいまじゃない。
2.3人子どもを産んできなさい」
総合周産期母子医療センターという、
一分一秒が命の選別のような現場で、私は焦っていた。
何かが足りない、もっと成長しなければ。
そう自分を追い込んでいた私に、
上司である中根さんは、短く、けれど見透かすようにそう告げた。
(後にこの言葉を、出産して理解する)
中根さんは、多くを語らない。
けれど、その圧倒的なロジックと安定感は、医師たちさえも一目置く「かっこよさ」に満ちていた。
フリースタイル分娩を広め、
少子化という大きな壁に本気で立ち向かおうとしていた背中は、とにかく絶対的な信頼があった。
私が何より衝撃を受けたのは、中根さんの持つ「凪」の空気だった。
お産の場では、産婦の邪の部分が全て出ることで分娩となるという空気もある。
例えば、物凄い叫んだという声や、夫に罵声を浴びさせたなどがこれにあたる。
産婦の想いが表出された時、開放されるのかお産が進むことも多々ある。
そんな中で、私はその邪を正面から受けやすいのだ。
中根さんに、どうしたら自分が受けないか、疲れないかということを聞いたことがある。
「あのねぇ、全て出してあげて、受け流すのよ。」
と、さらっと静かに伝えてくれた。
まさに凪なのだろう。
アクティブに動き回ることでしか自分を証明できなかった当時の私にとって、
その凪の境地は、気が遠くなるほど遠く、けれど、いつか辿り着きたいと願う聖域になった。
第2章後編:上司大野さん(総合周産期母子医療センタ)-総合周産期母子医療センター時代
「命を信じ抜くということ -モニターには映らない胎児の意志」
「大切にされた母子は、その後の人生が違う。私たちが守るのは、いまこの瞬間の命だけじゃないのよ」
この言葉は後にも先にも、実践して間違いなかった経験済みの言葉だ。
総合周産期母子医療センターの緊張感の中で、大野さんのその言葉は、
「どうやって?」と頭が迷路のようになった。
中根さんが「凪」の境地を見せてくれたなら、大野さんは「命への圧倒的な信頼」を私に教えてくれた人だ。
NSTモニターの波形をはじめとする助産の観察眼など、科学的な情報やアセスメントを千本ノックのように叩き込んでくれ、(いや当時はもう白目だったが…)、
さらに産婦の身体感覚を、胎児の意志を信じることを教えてくれた。
「経産婦の言葉は、よほどあなたのアセスメントより信頼できるから」
助産師としてのプライドが邪魔をして、自分の知識を優先したくなる私を、大野さんはいつも、その人が持つ「産む力」へ立ち返らせてくれた。そして、何より私を震撼させたのは、
「赤ちゃんたちは、状況をちゃんと選んでくるからね」
確かにとても判断力のある素敵な先輩がいたのだが、その先輩の時の夜勤にはハイリスクで他科との連携が必要となったり、
一晩で10人生まれ、進行者(分娩が開始されている産婦)を抱えるなんてこともザラだった。
その言葉をまさに裏付ける事象だった。
医療が進歩すればするほど、私たちが決して踏み込んではいけない、命の神秘の領域を指し示していた。
私たちは、コントロールする者ではない。
ただ、その命の意志を尊重し、その時を待つ者なのだ。
第3章:岡本先生(ウパウパハウス岡本助産院)-「私」という一人の妊婦時代
「助産師の鎧を脱ぐ-私を『私』として抱きしめてくれた言葉」
助産師として、母として、周囲からは「分かっていて当然」と思われがちな日々。
2人目を助産院で産みたい、と思ったのは
当時1人目を介助してくれた先輩がいたから。
岡本先生は年を感じさせないパワフルさで、
力強い言葉でありながら、温かく包み込んでくれる助産院院長だった。
エコーを見ながら
「あなたが笑うと、赤ちゃんの頭が凄い刺激されてるわよ~」
と言いながらまた笑うと
お腹の中の我が子は、シェイカーのように縦揺れしている、それを見てまた笑うというエンドレスで幸せな健診であった。
そんな中で岡本先生からかけられた言葉がある。
コロナの緊急事態宣言での出産だったため、
立ち会いが出来なくなってしまった。
どうにも悲しみにある私に、
「あなたにしかわからない悩みもあるでしょう」
「できる限り支えるからね」
という一言。それは、職業や役割を剥ぎ取った「私」という一人の人間を、そのまま肯定してくれる言葉だった。
特別な演出ではなく、
ただ「普通に、常にそこにいてくれる」安心感。
人生そのものに伴走されているようなその感覚こそが、大野さんの言っていた「大切にされた母子」を作る原体験なのだと、身をもって知った。
最終章:無形文化遺産としての助産術
「鍛錬された技と、剥き出しの精神性が交差する場所」
お産は、心と体がダイナミックに変化する究極の体験です。
裂傷を作らない、貧血を防ぐなどなどといった科学的アセスメントや「ハウツー」は、プロとして当然備えるべき土台。
しかしその上に、その人の「個性」と「鍛錬」によって磨かれた「引き出し」があるからこそ、お産という嵐の中で「凪」を作ることができる。
人的環境である助産師は、最大のアメニティであると思う。
自分自身が経験したからこそ断言できること。
それは、どんな豪華な設備よりも、自分を信じてくれる「人」がそこにいるという環境が、産む力を最大に引き出す。
師匠たちから受け取った「カンの鋭さ」や「命への信頼」という無形文化遺産を、AIという現代の武器も使いこなしながら、決して命の主体性を奪わずに支えていきたい。
「大丈夫、あなたには産む力がある」
「助産師は身体を診るのではない。
その人の『人生』が動く瞬間に立ち会っている。」
この見出した言葉に、一生モノの根拠と愛を込めて。
謝辞
本作で描いた助産師としての私の哲学は、私一人で築いたものではありません。
御三方はもちろん、当時であった母子家族、医師、医療スタッフ、同期、そして友人家族、沢山の方に支えられました。
心から感謝申し上げます。
