31か所断られて2か所だけOK。それでも続けたら630人になった話。
2024年の秋、教え子2人と手作りのコートでピックルボールを始めました。
最初の体験会の参加者は2名。私たち3人に対して、体験者が2人。
それが1年半後、630人のコミュニティになっていました。
何をやったのか。正直に全部書きます。
最初の集客:紹介とテニスのお客さん
最初の参加者は、紹介と、私が経営しているテニススクールのお客さんたちでした。
ゼロから知らない人を集めたわけではありません。すでに信頼関係があった人たちが、最初に来てくれた。これが土台になりました。
「まず身近な人から」というのは、コミュニティ運営の基本だと今では思っています。
31か所電話して、OKは2か所だけだった
最初に一番苦労したのは、場所の確保でした。
ピックルボールをやらせてもらえる施設を探すことが、想像以上に大変でした。コートや学校に交渉に行きました。電話をかけまくりました。
31か所に電話して、OKをもらえたのは2か所だけでした。
断られ続けました。「ピックルボール?何それ?」という反応も多かった。でも続けました。2か所あれば、始められる。そう思って動き続けました。
体験して来なくなった人も、もちろんいた
正直に言います。
体験会に来て、そのまま来なくなった人も多くいます。理由はわかりません。合わなかったのかもしれない。タイミングが悪かったのかもしれない。全て私の責任。間違いなく。
でもこれは当然のことだと思っています。全員が続けてくれるわけではない。来てくれた人の中で、ピックルボールが好きになった人が残ってくれる。その積み重ねが630人になりました。
来なくなった人もどこかでピックルを続けてくれていると嬉しいな、なんて思います。
大きな失敗はなかった。継続が全てだった。
「失敗したことは何ですか?」と聞かれると、正直大きな失敗はありませんでした。
細かいことは色々ありましたが、振り返ると色々言われながらも継続してきたことが全てだったと思っています。
特別なマーケティングをやったわけではありません。毎回の体験会を丁寧にやり続けた。それだけです。
転機:テレビの影響は大きかった
「ここから一気に増えた」という明確な瞬間は、正直あまりありません。
ただ、テレビでピックルボールが取り上げられた時の影響は大きかったと感じています。メディアで話題になるにつれて、施設も増えた。「ピックルボールって何?」という反応が「ピックルボールやってみたい」に変わっていった。
時代の波に乗れた部分は、正直あると思っています。
結局、何が一番大きかったか
630人になった理由を一言で言うと、続けたことです。
最初は2名の体験者。31か所電話して2か所だけOK。体験して来なくなった人も多い。隣のコートを使っている人からのクレームは結構ありましたね。特に初期は。
それでも毎回の体験会を丁寧にやり続けた。
時代がピックルボールを後押ししてくれた。それも大きい。でも続けていなければ、その波に乗れなかった。
結局続けることが全てでした。まだまだ継続していきますよ!
株式会社tennis-peak代表 林紘太郎
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