《56歳・英語ゼロ・別室送り》サンフランシスコ入国審査で「マフィア」に囲まれた、私の絶望の留学初日
昨日までは、車椅子での生活や、
ヘルパーさんとの日々の攻防戦について書いてきました。
実を言うと、今までは過去の写真を
意識的に見ないようにしてきました。
かつての自分のように自由に行動できない今の私にとって、
アクティブだった頃の写真は、ただ「辛いもの」でしかなかったから。
けれど今朝、ふと開いたFacebookの画面に、
数年前の思い出として一枚の写真が流れてきました。
いつもなら、すぐに目を背けていたはずなのに。
なぜかその時は、
吸い寄せられるようにその写真を見つめている自分がいました。
「そうだ、私は、こんなに無謀で、こんなに強い女だったんだ……」
写真が連れてきたのは、
56歳の時のあの無謀な挑戦。
今、こうして不自由な体でも「自分の人生をデザインしたい」と
あがいている私の原点は、ここにあったのだと思い出したのです。
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56歳、英語力ゼロ。
「日本での個人事業がこのままだとオワコンだ」という
切実な危機感だけで、
片道切符を持ってサンフランシスコに降り立った私を待っていたのは、
キツそうな女性審査官の痛烈な一言でした。
なぜ、今、留学が必要なのか?
必死に準備した答えを伝えても、
私のカタカナ発音はピクリとも通じません。
絶望で何も言えなくなった私のもとに、
次に現れたのは屈強な審査官。
F1ビザ 留学用のビザ申請してる女が
会話もままならないなんて
不審者以外の何者でもないよね。
そのまま、全くの想定外であった
「別室」へと連行されてしまったのです。
そこは、異世界の溜まり場だった
別室に投げ込まれた私を待っていたのは、
映画でしか見たことのないような光景でした。
近代的な空港に似つかわしくない汚れた合皮の長ソファー。
掃除してないよね?な床。
冷凍庫の中かと思う空調。
そして強面の入国審査官たち
明らかに不法侵入だろうと思われる人たち。
「マフィアの一員かしら?」と感じるようななぜかおしゃれな集団。
パスポートを持っていないという
おそらく中東の人々っぽい不穏な会話が聞こえ、
頭に布を巻き付けた々の目は、
ものすごい勢いでキョロキョロと動いています。
「あのスーツケース、絶対に出してはいけないものが入ってるよね……」
そんな疑念が渦巻く殺伐とした空気。
その中に、56歳の日本人女性がポツンと一人。
正直、その場に
「ぎゃーーーーー!!」
と叫んで倒れ込みたい衝動に駆られました。
私を救った「お守り」
「そうだ、お守りだ……!」
強制送還を覚悟した私が思い出したのは、
日本の留学センターの担当者が持たせてくれた一枚の英語の作文でした。
「あり得ないとは思いますけど。
もしもの時のために英作文を持っていくといいですよ」と
言ってくださり一緒に作ってくださったもの。
ただ、鞄を勝手に開けるのはNGだろうな、
別室では変な動きは許されませんから。
なので私は監視の目を意識しながら、慎重にカバンを指差し、
ファイルを取り出してほしいと必死に訴えました。
Please pick up・・・・壊れた人形のように何度も言ってると
しゃぁないなぁって感じで一人の審査官が取り出してくれました。
震える手で渡したその紙に書かれていたのは、
私の「成し得たいこと」。
「日本より10年は進んでいるアートセラピーを、
本場のアート療法の国で学びたい。だから私はここに来たのだ」という、
あまりにも純粋で、この殺伐とした空間には場違いなほどの情熱でした。
それを読み終えた審査官の顔から、
どこで学ぶんだ?と聞かれ
調べてあった場所を告げました。
スマホで検索され、やっと険しさが消えました。
不法侵入の疑いが晴れ、スタンプを押してくれ
「good lack!」と笑顔。
ついに入国の許可が下り56歳のオバ女子大生が誕生しました。
あの日の恐怖と、一枚の紙が起こした逆転劇。 あれから年月が経ち、今の私は車椅子で生活し、ヘルパーさんと「マグカップ一つ」の攻防戦を繰り広げる日々を送っています。
けれど、あの絶望の別室で扉をこじ開けた根性は、今の私の中にも確実に息づいています。
不自由な体になっても、私の人生は「オワコン」なんかじゃない。 あの時の作文が私を救ったように、今度はこのnoteの言葉が、誰かの、そして私自身の「お守り」になると信じて。
56歳の留学生の冒険は、ここから2年弱も続くことになります。 その時のおもしろハプニングは、また少しずつ書いていこうと思います。
読んでくださってありがとうございました。
