唇から溢れた「同情」という刃――これにはまいりました。
初めてその事業所の所長さんと会った時、私は彼女の「口元」を見て、すぐにピンときました。
私よりもずっと言葉数が多く、感じたことがそのまま、濁流のように口から溢れ出してしまうタイプの方だ、と。
仮面心理学というレンズを持っていれば、相手の「思考の癖」はあらかじめ予測できます。
だから、どんなに饒舌(じょうぜつ)な人が来ても、多少のことなら「この人はこういう特性なんだな」と聞き流せるはずでした。
けれど、彼女が悲しそうな顔を作って放ったその一言は、
私の心に深く、鋭く突き刺さったのです。
「私ね、眞子さんのカルテを見たときにショックだったの。
だって私たち同い年なんですもん。
それなのにこんなことになられて。。。
彼女から溢れ出したのは、
純粋な「同情」という名の、あまりに残酷な言葉でした。
「同い年なのに、かわいそう」
その言葉の裏側には、無意識の安堵が透けて見えます。
彼女は自分の基準で私の人生を勝手に「ショックなもの」と定義し、
上から目線で憐れみの色を塗ったのです。
仮面心理学を知っている私は、頭のどこかで冷静に分析していました。
「彼女に悪意はない。
脳の特性上、心に浮かんだことがフィルターを通らずに出てしまっただけ。
彼女なりの、精一杯の寄り添い方なのだ」と。
けれど、頭で理解できていることと、
心が納得できることは別物です。
その夜、私は悲しくて、そして自分でも驚くほど腹が立ちました。
「特性だから仕方ない」と割り切るには、
私の人生はあまりに尊く、私自身が大切に育んできたものだったから。
けれど、この物語には続きがあります。
私は後日、リハビリの先生にこの「爆弾発言」のことを伝えました。
すると、先生は私以上に顔を真っ赤にして憤慨してくれたのです。
「そんな言葉、絶対に許されることじゃない!」
その後、サポート事業所が集まる集団会議の席。
先生は、例の所長さんがこぼした失言を、
逃げ場がないほど鮮やかに、
そして容赦なく叩き切ってくださいました。
専門職として、
そして何より一人の人間として、
私の尊厳を代弁して戦ってくれた先生。その姿を見て、
私の心に居座っていたドロドロとした悲しい怒りは、
すうっと消えていくのを感じました。
仮面心理学で相手の特性を知っているからといって、
すべてを自分一人で飲み込んで、
菩薩のように笑っている必要なんてない。
「それは違う」と言ってくれる味方を持ち、
自分の心を守ること。それもまた、幸せに生きるための大切な技術です。
饒舌な口元を持つ彼女は、あの日、
自分の言葉がどれほどの刃になったかを初めて知ったかもしれません。
今、私の心は穏やかです。 あの刃のような言葉さえも、
今では「仮面心理学」というレンズの奥にある、
人間という生き物の不思議さを語るための
一つのエピソードになっています。
