読書の技法 | 小林秀雄と内田義彦

私が高校生だったとき、現代文の教科書で、小林秀雄「読書について」と内田義彦「地球がまるい話」というエッセイを読んだことがある。
それ以来、この二人の評論はいくつも読んでいる。
二人とも読書家で博学だ。
小林秀雄は「文は人なり」という言葉の真の意味を理解したいならば、「その人の『全集』を読め!」と言う。
それに対して内田義彦は、「『断片』を身につまされるように読め!」と言う。
一見すると、二人の主張は相反するように見えるけれども、深いところでは二人の主張は共通している。

小林秀雄が「全集を読め!」というのは、その人の傑作だけでなく、駄作や日記・書簡にいたるまですべて読め!、ということである。
一般には、よく売れた本や傑作と呼ばれる作品しか読まれないものだが、1つの作品を読んだだけでは、その人の思想の発展の仕方や人柄はわからない。また、ときに、一見、相反する主張を目撃することもあるだろう。
あなたが読んで疑問に思った箇所は、その作品だけを読んでも、解消されない。人間の考えには、時と共に変化するものだし、そのような経緯を理解しないことには、その人を理解できたとは言えない。だから、なるべくその人の書いたものをたくさん読むことが大切である。できれば、その人の書いたものをすべて読み尽くすことが理想である。

内田義彦は「断片、断片です!」と繰り返し述べている。全体を読むことの重要性を否定しているわけではない。
だが、著者の意図を深く理解するには、まず、その著者が書いた断片を、読者が自分のことであるかのように「身につまされる」ように読まなければならない。
全体を読もうと先へ先へ急ぐのではなく、疑問に思った箇所で立ち止まり、その断片がどういう意味を持つのか、なぜ著者はこのような「断片」を書いたのだろうと、自分の経験に引き付けて読むことが大切だ。
そして、その断片の深い意味を理解して、「こういうことを言いたいのではないか?」という仮説を立てる。その仮説をもとに考えて、他の箇所を読んだとき、もし矛盾が生ずるのであれば、また、新たな仮説を立てて再構築してみる。

二人の主張を合わせれば、「全体を知ること」と「部分を知ること」、その両方を両立するような読み方が理想ということになる。
いずれにしても、読書には時間がかかるものである。
だが、漫然と全体を流すように読んでも、その読書には意味はないだろう。
もちろん、速読できたらそれに越したことはないが、じっくり考えるというプロセスは省略してはならないだろう。
「早く!」と「じっくり!」は、読書経験が浅いと、両立できないかもしれない。けれども、急いで結論を知ろうとして、わかっていないのにわかったフリはしたくない。
読書論は、「速読か?遅読(スローリーディング)か?」と、二者択一で問われることが多いけれども、断片を深く理解したら、全体の意図を汲み取ることも早くなるではないだろうか?
私の経験で言えば、カントを読むとき、いきなり「純粋理性批判」を読んでもその意図は理解できなかった。が、「実践理性批判」や「道徳形而上学原論」の断片を読んだとき、カントは哲学を科学的法則のように、「いつ如何なるときにも成り立つ法則があるはずだ」という考え方に基づいていることに気がついた。
そういう前提に立つと、カントの言わんとすることが氷解したような気分になった。
全集を読むことと、断片を精読して考えることは矛盾しない。

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