ルソー『人間不平等起原論』。本当に守りたいものはなにか?

さきほど、池辰彦さんの「『良い人』の条件」という記事を拝読しました。
松下幸之助さんの「水道哲学」に触れた記事でした。水を盗まれても、咎める人はあまりいない。というのも、水は安くて豊富にあるからです。
この記事を拝読していて、戦争の原因はつねに、貧困とそれに伴う不平等感にさいなまれたり、民主主義的な話し合いの余地を忘れることにある、と思いました。
(もちろん、水が貴重な地域もありますが) 水のように、どんな人でも豊富に使えるならば、争い事は発生しません。
…と考えていたら、ルソーの『人間不平等起原論』を思い出しました。
ルソーはこの著書の第二部の冒頭に次のように書いています。
ある土地に囲いをして「これはおれのものだ」と宣言することを思いつき、それをそのまま信ずるほどおめでたい人々を見つけた最初の者が、政治社会 [国家] の真の創立者であった。杭を引き抜きあるいは溝を埋めながら、「こんないかさま師の言うことなんか聞かないように気をつけろ。果実は万人のものであり、土地はだれのものでもないことを忘れるなら、それこそ君たちの身の破滅だぞ!」とその同胞たちにむかって叫んだ者がかりにあったとしたら、その人は、いかに多くの犯罪と戦争と殺人とを、またいかに多くの悲惨と恐怖とを人類に免れさせてやれたことであろう。
(出所)
ルソー(著) /本田喜代治・平岡昇(訳)、
「人間不平等起原論」(岩波文庫)、p85

ルソー自身がこの後に続けて書いていますが、この「私有の観念」は順次的に発生したものであり、人間精神のなかに突如として現れたものではありません。
つまり、ルソーが批判しているのは、ある日突然、一人の人間が「これは私のものだ」と言った、という歴史上の出来事ではありません。
ルソーが批判したのは、そうした私有の観念が、人類の長い歴史のなかで少しずつ形成され、やがて社会の制度として定着していった過程そのものです。
だからこそ、この有名な一節は、一人の人物を非難するためのものではなく、「所有とは何か」「なぜ人は争うのか」という問いを私たちに投げかける寓話として読むべきでしょう。
池さんの記事を読んで思ったのは、豊富にあり、誰もが安心して利用できるものは争いの種になりにくい、ということです。逆に、希少で「自分のもの」「他人のもの」という境界が強く意識されるほど、対立は生まれやすくなります。
もちろん、現代社会で私有財産や国家を否定することは現実的ではありません。けれども、ルソーの問いは今なお色あせていません。
私たちが本当に守ろうとしているのは「所有」そのものなのか、それとも「誰もが安心して生きられる社会」なのか。そのことを改めて考えさせられる記事でした。

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記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします